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知っていたと思い込んでいるはずの世界が反転する瞬間<声を使うこと・前編>

きっと今から書くことはだいぶ恥ずかしい感じのことになると思うし、誰かの目に触れるかたちで書いていいのかどうか分からない。
だけど、自分の中に置きっぱなしにせずに出してやった方がいいような気がして、感じたこと→言語化、の動きが明瞭なうちにと引っ張り出している。

昨日、2021年11月23日は、夕方から神戸・塩屋のグッゲンハイム邸へ、歌手・Kawoleさん主催の朗読ライヴ「銀河ノコモリウタ」を聴きにいった。

子育て中の身としては、日が暮れる時間に電車に乗っていることすら新鮮だ。
途中、乗り換えのため降りたJR須磨駅は、改札を出たら海で、海をみたい気分のときに最短で行ける海だから、ときどき爆速とんぼ帰りで来ている。
だけど真っ暗な須磨駅のホームからは知っているはずの青い海は見えない。
何もないように見える暗がりの中、遠くに船のものらしきあかりが浮かぶ。

私は夜の須磨駅からは海が見えないことすら知らなかった。
考えてみれば分かることだけれど、知っていたと思い込んでいるはずの世界が反転する瞬間に軽いショックを感じたまま、ひと駅乗り継いで塩屋駅へ。

塩屋駅で降りるのは初めてだった。
すでに暗くて全体像を掴みにくいけれど、狭い路地と坂が続く、神戸らしい街だと思った。
会場のグッゲンハイム邸は駅から見える場所にそびえている。ほのかな照明のなかに瀟洒な洋館が浮かんでいる。
随分早く着きすぎて、住宅街の中に突如現れたお地蔵様に、はじめましてと手を合わせていたら、向こうに明石海峡大橋が見えた。

そのあとで目的地が同じらしいグループと遭遇し、なんとなく道案内をする形でご一緒する。流れで、記念撮影をして差し上げた。
周りを見渡したところ、参加者はみんなグループやカップルだったり、久しぶり!と声をかけあっている人ばかり。

どちらかといえば、すでにアーティストさんのファンである方だったり、アーティストさんがかかわるなんらかのコミュニティの延長上に、きのうのライブはあったのかもしれない。
誰ともつながりなく、1人で飛び込んだのは、もしかしたら私だけかもしれない。
でも、この感じは苦手じゃない。
1人で飛び込むのって少し勇気がいって、少し居心地が悪くて、でも、同じ景色をみるために来ている人たちだから、必ず共感できる何かがそこにはあるから。

こんなふうに知っていたと思い込んでいたはずの世界は反転して、そしてまた私は小石を1つずつ拾うように新しい世界を手探りで進んでいく。

洋館が大好きな私だけれど、場内を見渡す余裕はあまりなく、予約していたお弁当を受けとった。
マキュマルーンワークスさんの「スパイス香る森の玉手箱」と、Kawoleさんオリジナルのソーダ。こんなに美しい手の仕事、開演までの短時間で余すことなく食べなければ、みたいな責任感のようなものが、1人でいることを解してくれた。お隣さんと、おいしいですね。ほんとにおいしい。なんて交わし合いながら。

中編
橋を渡るための歩きかたが分からないのなら

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