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橋を渡るための歩きかたが分からないのなら<声を使うこと・中編>

さて、なんで、子育て中で夜に出かけづらく、会場に知り合いもいない私がライヴに足を運ぼうと思ったかと言ったら、ライヴと同名の音楽絵本「銀河ノコモリウタ」制作プロジェクトに、ひとかけら参加させて頂くからだ。
クラウドファンディングで制作が計画されたもので、リターンの1つである、短い朗読のレコーディング、を選ばせてもらったのだ。

前編はこちら

私は子どものクラスや大人のためのワークショップを仕事にしていて、授業の一環で歌ったり、お話を語ったりしている。
でも、パフォーマーとしてはほぼ、経験ゼロの私が、録音として残る形で喋らせてもらう、なんて、天地がひっくり返るハプニングを自分から起こしていいのか。

でもね、ああ、もう旅の恥はかき捨てで書いてしまうけれど(人生は旅だから)、私はずっとパフォーマーとして声を使いたかった。

どんな形でも飛び込むチャンスはあっただろうにそこへ踏み込む努力をしないままけっこうな年齢まで放置したのは私だ。

ものごとを形にするにはプロセスがあって、プロセスを経るには当然、年月もお金もかかる。私がステージパフォーマンスなり、録音なり、形にしようと思ったら、自分で自分を放置した年数だけのプロセスが必要ではないか。やりたきゃやればいいのは分かっているけれど、何せ何からやればいいのかすら。手も足も出ない。

ところが、仕事のため宮沢賢治作品に取り組んでいた頃、昨年から受講したヨガオブボイスを通じて、お名前だけは存じあげていたKawoleさんのプロジェクトをSNSで目にした。

紹介動画がとんでもなく素敵だった。
作品を購入できるリターンを選ぼう、と思ったら、朗読参加のリターンが目についた。

少しの逡巡のちに支援のボタンを押していた。

橋を渡るための歩き方も分からないなら、飛んできたヘリコプターに乗せてもらうのもありなんじゃない?


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