何もしない、をあえて、選ぶ。

うだるような暑さの夏の日の午後。錦糸町の喫茶店を出たあとすぐに銭湯へ向かおうとしたがやめた。喫茶店の窓から見えた公園で涼むことにしたのだ。

公園で何かするわけでもない、ただぼさっとベンチに座り込んで前の噴水の周りにたかる人間を観察する。

考えてみれば、地元にいたときなんか、行きたいところに行けなかった。もちろん子供だから親の許しを得ないとものを買ってもらえない、学生だったから校則の決まりでアルバイトはしてはいけないという理由があった。東京で大都会だkらやりたいこと、自分の欲望をかなえられる場所なんていくらでもある。

あらかじめスケジュールを立てて目的まで最適解、最短ルートでたどり着く計画をたてる。

ただ時々それはひどく疲れることで、何もしていない時に考え付かなかったような閃きやアイディアを思いついたりするものなのだ。

地元にいた時の私は刑務所にいるようなもので、出たくても自分の意志だけではどうしようもないことや難しいことがいっぱいあった。家の前が海だったので、日が沈むまで地平線を見ていたこともしょっちゅうあった。

今自分には少額ではあるが稼ぎもあり、生意気だが自分のことは自分で決めれるほどには歳を重ねた。

銭湯に行ってもいいし、日が暮れるまで芝生でレジャーシートを拡げダンスの練習にいそしむ女子中学生を眺めていたっていい。

そしてそれを私はとても尊いことだと思った。

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