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常に人格者でいるのは無理

「なるべくコストをかけずに結果を出せ」と話すクライアントと、「1円でも多くの予算でイイモノをつくりたい」と話す協力会社。

おまけに社内からは「高く売って、安く仕入れろ」という指令が降りてくる。

 ものすごく乱暴に言えば、この間に立つのが、営業やクリエイティブディレクターだ。

後者の立場を、30代前半からトライしたぼくは地獄の連続だった。

三者三様。それぞれがそれぞれの立場から、ああしろ、こうしろと、要望を突きつけてくる。

誰の考えに沿っても、誰かが割を食う構図。

「アイツは使えない」

と何度言われたか分からない。その場所にいたくなくて、音信不通になり、捜索されたこともあった。

「おまえどうなってるんだ」

と詰め寄られるものの、何の技術も身につけていないぼくは何もできないまま呆然と立ち尽くした。

先輩は精神論しか話さず、解決には向かわない。再発するたび、怒鳴られつづける日々。

周りの意図を汲みながら、いい仕事がしたいと思っていたけど、そんなことは幻想だと知った。

意図なんて汲み取っている場合じゃなかった。耳を貸しても、物事のすべてを傾けてはいけない。いや、どこかに傾けることは本来的にできない。

自分が何をしたいと思っているのか。どうなれば、そのプロジェクトは成功と呼べるのか。

利益や意義を言葉にする習慣が身についた。死ぬほどつくった求人広告。その経験が、スピーディーに言語化することを助けた。

「うるせえよ。これが成功の筋道なんだよ。多少、話は聞いてやるけど、文句言うんじゃねえよ。おれがリーダーだぞ」

という気持ちを根底に抱えながら、仕事をすることができるようになった。

もちろん、お客様や関係各社に礼節を尽くすことは忘れてはいけない。

どんな状況でもキレるのは絶対にNGだ(昨年2度、関係者にブチ切キレたが)。

だけど、

「成功のためにはこれしかないから。最も責任感を持って、アタマ使ってるおれが言うんだから間違いないぞ」

という強烈な気持ちがなければ、大勢を抱えたプロジェクトはあっという間に暗礁に乗り出してしまう。

みんなの愛されキャラを目指すなら、素直でいいヤツで構わないが、ぼくらはクライアントから大金を預かり、プロジェクトを成功に導かなければならない。

その立場で、常に人格者でいるのは無理だ。

礼節は尽くすが、芯はいる。その芯ができ始める頃は、多少、乱暴者の感情から始まっても構わないと思っている。

社会性は後で身につくから。まずは実力に裏打ちされた、つよい気持ちから。

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