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〇〇なら××くらいって、ほっとけよ。

Twitterを見ていたらこんなツイートに遭遇した。

「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。
私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら。

率直に思った事は、高齢男性に対する嫌悪感

高齢男性が、子育て世代の女性に対して行った発言、

子育て真っ最中の私としては、自分の妻が買い物中にこんな事を言われたら、と想像して、幼児連れの女性に感情移入してしまって、より嫌な気持ちになった。

ふと思ったのは、世の中に『〇〇なら××くらい』という言い方をされる事、してしまう事、は結構あるのではないか?と

そして、自分も言われる側ではなく、言ってしまう側になる時もあるなと思った。

例えば、長男が次男とゲームの取り合いで、喧嘩中に長男へ『お兄ちゃんなら、ゲームくらい、我慢しなさい』と言った事など。

この言い方をされた長男はとても不機嫌になる。

理由は2つあると私は思う。

1. 長男=我慢しなさい という、お兄ちゃんはこうあるべき という、親の勝手な押し付け。

好きでお兄ちゃんやってるわけじゃない!なんでいつも俺ばっかり!って気持ちになると思う。


2. ほっとけよ と言う気持ち。

【一台しか無いゲームをどちらが使うか。】という弟と自分の問題を 他者(親)が介入してきて、勝手に指図する。 そりゃ不機嫌になる。言ってる私もそう思う。


今回のTwitterの「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」という、事も こうあるべき という押し付けと 他者の介入 これが嫌悪感のポイントだったのでは無いか。

母親ならこうあるべき、という事を、関係ない、高齢男性による指摘。

ほっとけよ。

そう思った。

それと同時に、私も含めて『なぜほっとけよ、と思うような事を言ってしまうのか?』と考えさせられた。

高齢男性のように、関係のない他人に言う事はしないにしても、我が子を嫌な気持ちにさせてしまってる自分の行動を直したい。

なぜ、自分が長男に『お兄ちゃんなら、ゲームくらい、我慢しなさい』と言ってしまうのか。

理由は次男を守ろうとしたからだ。


少し話は脱線するが、長男はすこぶる優しい。

弟に殴られても、蹴られてもやり返す事はしないで笑いながら相手をしてくれる。

ゲームをする時、友達とゲームをしている最中だとしても『弟も混ぜて良い?』と聞いてくれる。

私自身が、自分の弟達に行ってきた仕打ちとは、比べ物にならない程優しさが滲み出ている。


話を戻すが、喧嘩をしてる時は、そんな長男でさえも、弟を攻撃しているように見えてしまう。

身体も大きければ、言ってる事も正しい。親としては、弟を落ち着かせるより、長男を説得した方が手取り早いからだ。要するに都合が良いのだ。

私に都合が良いような、状況になる為に、息子が嫌な思いをしている。

結果 良い状況ではない。

本来であれば、長男、次男 両者の話を聞いて、理解してどうすれば良いのかを2人に考えてもらう事が大事だと思う。

嫌な気持ちになったなぁ。と終わらせるだけじゃなくて、なんでそうなったのか、自分に当てはまるところは無いのか。

日々の出来事をそんな風に考えられたら、明日の自分は今日よりも成長出来るかなと思った。

でわまた。






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