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12.洗礼式当日

 洗礼の学びを終えて、8月に洗礼式当日を迎えました。
 洗礼式というのは、会衆の前で、自分の罪を告白し、イエスキリストを自分の救い主として受け入れることを誓約する儀式です。
 
 誓約の部分は、結婚式で結婚を誓うシーンをイメージされるとわかりやすいかも知れません。
 
 洗礼式では、罪の告白と誓約に続いて、洗礼槽という湯船のようなところに水を張り、牧師が洗礼を受ける者を水に浸け、その後、起き上がらせて水から出させるという儀式を行います(「浸礼」と呼ばれるスタイルの洗礼の場合です。)
 水を頭にまく「滴礼」というスタイルの洗礼を洗礼と認める教会もありますが、私の所属教会の場合は、身体全身を浸ける「浸礼」が原則で体調などの関係で、浸礼が難しい場合に「滴礼」を行っていました。 

 自分が洗礼を受けた後、これまで私も他の方々の受けられる洗礼式に参加させてもらいましたが、冬場に水に浸かるのはちょっと寒そうなので、私は暑くて水に浸かっても大変気持ちよい時期に受けさせてもらったなと思います。
 
 洗礼式当日、まず、私は皆さんの前に出て、6.の記事で紹介したお話をし、もう駄目だと自分のことを決めつけていたことが自分が罪と思っているという罪の告白を行いました。

 そして、膝位まである水が張られた洗礼槽へと案内され、その中で立ちます。その後、顔の部分にタオルを当てられ「父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けます。」と牧師先生が宣言した後、後ろに向かって顔を押さえられ、後ろ向きのまま、水の中に倒れて行きます。
 その後、後頭部を押し上げられて、水の中から前向きに出てくることで、浸礼が終わります。
 
 私の場合は、タオル越しに顔を押さえられて、水に浸かるまでの間なぜか、目を開けたままで水に浸かりました。

 顔が水に浸かる瞬間、水が目の前に一気に広がっていき、その時キラキラとした光が洗礼槽の中の水に差し込んでいるのが見えて、一瞬「あー綺麗な光」と思いました。

 そう感じたと同時くらいに身体と後頭部を引き上げられ、水から上がります。この間本当に僅かな時間ですが、水に浸けられることで死を、引き上げられることで死からの蘇りを象徴するのだと言われます。

 そこまでの深い意味合いを洗礼式の最中に十分には意識していませんでしたが、ともかくも私にとっては、気持ちの良い儀式を終えることができました。
 そして立ち会って頂いた皆さんが讃美歌を歌って下さり、濡れた洗礼式用の服を着替え、その後にお祈りして頂き、洗礼式は終了となりました。

 私の教会ではその後、お祝のための食事会が開かれており、そこで、参加者の方から、受洗者に対して、一言ずつメッセージを贈るということが行われていました。
 私の洗礼式では、偶々旅行者の方が、教会を訪れており、初対面のその方も、私のためにお話をして下さいました。

 「自分は、洗礼をかなり前に受けたが教会を離れて長い。今日は、偶々観光で近くを訪れていて、日曜日の礼拝を覗くつもりで礼拝に参加したが、思いがけず洗礼式もあるというので、教会に残って洗礼式も見させてもらった。
 洗礼前の告白を聞いて、改めて信仰を持つことの大切さを感じたので、旅行が終わったら、教会に集うようにしたい。」とのことでした。
 
 このお話しを聞いて、当時の私は「他人の洗礼がそのように印象に残るものなのかな?」という疑問も感じていましたが、後に他の方の洗礼式に立ち会うと、私も同じように、自分の洗礼を受けたときのことや、この方が言われていたとおり、自分自身を省みるきっかけになることは、数多く経験しています。

 教会で過ごしていると、日曜の礼拝には顔を出しているという方でも「洗礼はちょっと・・・。」と洗礼を受けることに迷われる方もおられますが、私自身は、この記事のように多くの皆さんから祝福される中で、洗礼を受けることができ、とても素敵な経験だったと思っています。

 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。

口語訳 マタイによる福音書28章19~20節

画像は、好山病のミニマリストさんのものを使わせて頂いてます。

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