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2019年4月29日 不登校やひきこもりの子どもを持つ親の会

不登校やひきこもりの子どもを持つ親の会で、一社の相方、里見君が話す。そういえば、彼は中学から学校に行っていない。
きっかけ結局なんだったのか。丸刈りや白い靴を履かなければならない校則に納得が行かなかったのか。
そしてゲームをするため、学校に行く暇はなかったと彼は言う。ほとんど修行。練習をサボるとゲームが勝てなくなる、だから訓練や色々な研究に余念がなかったらしい。最近知ったけど、当時九州1そのゲームが強かったらしい。


転機があり、20台後半で大学に行きたくなって、ゲームをやめた。中途半端にやるならやめた方がいいと(練習を怠ると勝てなくなるから)。
そんな事を最近知りました。8年くらい一緒に活動してるのに。彼曰く今まで聞かれなかったから言わなかったと。…そう言えば、…そういう人間だった。
以下そんな彼の言葉です。

・子どもの感性は確かである。一方必ずしも時代(制度、仕組み)や世代(人の考え)が追いついているとは言えない。
・人は所属する社会の常識や、同時代の物の見方からは離れられない。だから多様な価値観に触れる必要がある。体験を通して、人を介して、書物を通して。
・たまたま通うことになった学校と合わなかっただけで、子どもの価値を判断しない。させない。生きることのできる世界はもっと広い。
・大人が「子どものため」「〇〇のため」と言う時、どこかに「自分のため」が紛れこまないようにする。
・人と違う道を歩くことを不安に思うか、楽しみに思うか。早いうちに歩き方を覚えるとそれが当たり前になってくる。


学校に行かないことに全く不安を感じていなかった彼。自分も震災でちょっぴり?結構?常識の枠が外されたような気がする。社会の常識がいつも正しいとは限らない。参加されたお母さんたちは何を思っただろう。

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