2021/3/5 『教育サポートセンター条例』

『教育サポートセンター条例』

気仙沼の市教育委員会は、不登校支援を強化するため、スクールソーシャルワーカー等の派遣を行っている心のケアハウスと、居場所支援・学習支援等を行なっている適応指導教室(けやき教室)などを統合し『教育サポートセンター』を立ち上げようとしていました。今回はその立ち上げに関する条例制定の議案。

とても良いことなのですが、一点条文の中に「適応指導を行うこと」とあり、自分は以前から当事者の方の意見を受け「適応指導」「適応指導教室」という文言や呼称は適切ではないと指摘していました。総論は賛成、でも一部納得できないところあり、この議案をどうするかが問われました。

賛成か反対か、議案の修正か。最初は条例の修正を考えていましたが、それだとうまく賛同が集まっても自分の案を相手方に押し付けるカタチになります。議会なのでそれは仕方ないのですが、そうではなくて、今回の場合は相手方にこの問題のバトンを渡し、考え続け答えを出してもらうことがより重要ではないかと判断しました。
他の同僚議員と共に質疑を行い、その中で条例以外(議案以外)の当事者や保護者の目に触れる「適応指導教室」「適応指導員」等の呼称は全て修正する方向性が示され、条文(議案中)の「適応指導」という文言も、民間団体からの要望書の提出を受けこれに対応し、今後検討を行うとの答弁がありました。また、宮城県では現在「適応」「適応指導」という文言を見直している最中であることが調査の段階でわかったため、質疑や対話を通じて今後の教育委員会の対応を信じ、この議案に賛成しました。

議会では、自分が所属している総務教育常任委員会が先に審議しこれを可決。しかし、その後の本会議では「適応指導」という文言が条文に残されていることから、条例制定の議案に対する反対討論がありました。これに対し、この議案を先に通した総務教育の委員が賛成討論を行うのが筋なので、自分が賛成討論を行いました。

賛成と反対は常に対立軸にあるとは限らない。今回は、適応指導への指摘、相手にバトンを渡す、信じるという選択をしたつもりです。
議案は賛成多数で本会議でも可決されました。

以下、実際の賛成討論の内容になります。
私は第83号議案に賛成の立場で討論いたします。
不登校支援の歴史は、1960年頃から始まり、その頃、不登校は適応障害などの障害と捉えられており、その後、心の問題、非行(学校不適応者)、そして登校拒否、不登校という呼び方になりました。適応とは医療的な分野から入ってきた可能性があります。
また、「適応指導教室」の歴史は、1970年に横浜で始まり、1990年の「学校不適応対策調査研究協力者会議」の提言により設置が図られました。現在も自治体によっては学校適応指導教室、集団適応指導教室などの呼称があり、また不登校支援では、近年、教育機会確保法ができるまで、学校復帰の前提の下、適応指導教室が運営されている現状もあることから、よって「適応指導」という文言には学校復帰の歴史が色濃く残っています。
「適応指導」について文科省、宮城県に伺ったところ、文科省には既に「適応指導」の定義はなく、「適応指導教室」は「教育支援センター」と置き換えることを勧めていました。また、宮城県は、宮城県議会の確保法調査チームの指摘を受けて教育機会確保法の理念にのっとり「適応」「適応指導」と言う言葉を見直している最中であるとの返答がありました。
そして現在、当事者関係団体から、「適応指導」という言葉を使わないでほしいとの要望が出ています。これを受け、私も他の総務教育常任委員会の委員とともに「適応指導」という言葉は適切ではないとの指定をしています。
その上で、議論の中で市教育委員会からは.保護者や当事者が直接目にする「適応指導教室(けやき教室)」や「適応指導員」などの名称を再度検討するとの答弁があり、条文の「適応指導」に関しても、当事者団体の要望を受け対応し、また県などの動向も確認しつつ検討を行うとの答弁がありました。また、子どもを真ん中に置いた支援を実行していくとの、教育長の強い想いも確認しました。
今回「適応指導」という文言に対しては提案を持って修正(修正動議)も考えましたが、現在宮城県においては変化の過渡期であると捉え、市教育委員会は今後この新たな教育サポートセンターを通し、本来「適応指導」が持っている歴史的意味合いとは関係なく、子どもを真ん中に置いた不登校支援を行ってくれるものと信じ、また「適応指導」という文言においても、前向きな答弁があったことから、市民要望を受け今後より適切な対応をしてくれるものと信じ、私は議案第83号に賛成いたします。

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