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学習発表会の練習が始まりました   ~オッチビから届いた招待状~

こんばんは!
もう本当に、夜中にしか更新しないという日々…
BTSの音楽聞きながら(*´艸`*)
noteの更新が、一つの日課になればいいなと思いながら書いています。

さて、オッチビ(特別支援学校小学部4年)から招待状が届きました。
というか、手渡されました。
来月学校で行われる、学習発表会に来てね!という内容。


もちろん、早々と勤務には休み希望を入れていたのは何を隠そうこのワ・タ・シ。
実は、オッチビが学習発表会に出席するのは小学校入学して初めてのことなんです。

小学校1~2年生は、「特別支援学級」で過ごし殆ど学校にはいけませんでした。
オッチビの特性が中々伝わらず、初登校3日目で不登校へ。
時々登校しても、顔面蒼白。

学ぶ機会が減っていきました。
自宅でできることの限界、放課後等デイサービスでの支援の限界。
「特別支援学級」はオッチビとってハードルが高かった。

オッチビは勉学より先に、ADL(日常生活動作)やQOL(生活の質)を充実させることが先でした。
新入学に受けた就学相談では、日常生活で介助を要しないと判断されたことが果たして覆るのか?
特別支援学校への転入を希望し、再度就学相談を受けることに。

もちろん、1回で出来るわけもなく。
前回同様、部屋から脱走。
2回に分けて行いました。
その際の、心理士さんや職員の方の対応には感謝です。

結果的に、日常生活において支援が必要と判断され特別支援学校へ。
3年生の時に転入。
しかし、行けたのは半年。
ここでも、オッチビの特性がオッチビを苦しめました。

一言でいうと。
「先生を信じすぎていた。」
スクールコーディネーターの先生もついてくれましたが、担任の先生がスクールコーディネーターの先生を一切入れなかったのです。

そして、もうそろそろ入院した日から1年がたとうとしています。
2週間で連れ戻しましたが。。。
3年生のこの時期、オッチビも私たち家族も互いにつらい時期がありました。

判断できないオッチビに変わって判断するのは保護者。
私は、ここで判断を誤ります。
(入院中と退院後の話は、後日投稿しようと思います。)
入院をさせてしまった。
これが大きなあだとなりました。

入院して得たものは何もなかった。
そこから毎日が戦い。
オッチビが一番苦しかった。
今も、その苦しみと戦っています。

4年生になり、担任の先生がオッチビが大好きな若いホンワカした雰囲気の先生に変わりました。
新年度に入りスグにケース会議を行いました。
今回は、コーディネーターの先生も入れるいい感じの雰囲気です。

連絡帳も分かりやすく記載されていて、オッチビが学校でしていることがよっく分かるのです。
自然と学校に対する不信感も消えていきました。

トラウマだった給食も、メニューを見て食べられるときは給食、食べられない時はお弁当。
まだまだ綱渡り状態は変わりませんが、4年の年月を経て学校を楽しい場所として認識できるようになりました。

ゆっくり、ゆっくりですがオッチビの世界が広がり始めました。
オッチビからの招待状は、本当に嬉しくて仕方ありません。
あまり大きな声で喜ぶとオッチビがプレッシャーを感じるので、静かに「ありがとう」を伝えました。


あーーーーむずかしいっwww
でも、うれしーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!


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