見出し画像

坂本教授は「王立宇宙軍」をどこまで理解していたのか?

世界のサカモトの輝かしい音楽経歴のなかで、ご本人公認の黒歴史として名高いのが、アニメ映画「王立宇宙軍」(昭和62年)のサウンドトラック仕事です。アニメ好きのあいだではモダン・クラシックとして位置づけられているこの映画について、どうして音楽監督そのひとが生涯語ることを拒んだのかについては、これまで何度か検証したとおりです。

彼と、「王立」制作スタッフの両方の名誉のために強調しますが、龍一さまは手を抜くどころか、音符のひとつひとつまで磨き上げた音楽を、この映画に提供しています。昨日、YouTubeをさまよっていたら、こんな面白い動画を見つけました。「王立」メインテーマの間奏部分を耳コピで再現したものです。


龍一楽曲は、しばしば和音の表裏が裏返ったり、ねじれたりするような和声進行を仕掛けてきますが、これもそうですね。いったいどういう風にこんな不思議な響きの流れを彼は着想したのか、興味がわきませんか?

前にある方から送っていただいた「王立」メインテーマのピアノ演奏用楽譜があったので、それをもとに分析してみたところ、面白い技が使われているのに気づきました。

順に見ていきましょう。


いったいどういう法則にそってこの音符が選ばれているのかわからない。


しかし以下のドレミ記譜をどうかじーっと眺めながら、この楽譜を弾いてみてください。何かに気が付くと思います。


気が付きましたか? 最後の和音を除いて、どの和音も「ド」と「ソ」が必ずペアで鳴っているのですよ。


それぞれ並びを変えながらドレミ表記してみるとよくわかります。「・ミ・・シ」→「・レ・ミ・・ラ」→「・ミ・・ラ」→「・レ・」→「・ファ・」(→「ファ♯・シ・ミ」)。

どういうことかわかりますか?


「ド・ミ・ソ」和音に着地しようとして着地できないでいるのです。


子どもの時、こういうので遊んだことありませんか。

マグネットに別のマグネットを近づけると、何か見えない力で反発するのが感じられて、そこを無理にぎゅーっと押し付けるのだけどまた反発される…そういうの指で感じて面白がったこと、どなたもあると思います。


この和音の皆さんも、そんな関係にあります。

最後のを除いてどれも「ド・ソ」のハーモニーを内蔵しているのだけど「ド・ミ・ソ」和音つまりトニック和音にはどうしても着地できず、何か見えない力で何度も押し返されるのです。

ド・ミ・ソ・シ」→「・レ・ミ・ソ・ラ」→「ド・ミ・ソ・ラ」→「・レ・」→「・ファ・」。面白いですね「ド・ミ・ソ」和音そのものにはとうとう着地しない。


この「ド・ソ」ハーモニーは、ヒーローの音程です。スター・ウォーズのメインテーマを口ずさんでください。「♪ ド~ソ~」 おおヒーローの旋律です。

このヒーローな「ド・ソ」のモチーフが、「王立宇宙軍」メインテーマの間奏部にもそっと組み込まれているのですが、しかしヒーローにはなり切れないまま和音があれこれうだうだと変形し続ける、そんな作りです。


最後に現れる「ファ♯・シ・ミ」はどうかって?これはこの後現れる「ソ・ラ・ド・ファ」和音つまり並び替えると「ファ・ソ・ラ・ド」になる和音へのつなぎ役と見ます。(下の楽譜の最初の和音)

この小節部分、「ド・ファ」のハーモニーが基調です。先ほどのぶんは「ド・ソ」ハーモニーで、ここは「ド・ファ」(というか「ファ・ド」)基調。

事実、それぞれの和音を、上下の並びを変えて見ていくと、「ファ・ソ・」→「ファ・ミ」→「ファ・ミ」→「ファ・レ」(→「ソ♯・ド♯」)の進行です。「ファ・ラ・ド」和音に着地しそうでついにしない

「ファ・ラ・レ」和音が心憎いです。「ド・ファ」のハーモニーがここではわざと外されています。「ド」が鳴らない。どうしてかわかりますか?

この後に「ド♯」を鳴らすためですよ。(赤で括った音)

「ソ♯・ド♯」の和音です。ちなみに短3度下に転調していて、それぞれ⑦と③の音です。長調 → 平行調短調 → 同主調長調 つまり短3度下への転調。

すなわち「ドレミファソラシ」が「ラシド♯ レミファ♯ ソ♯」に転調するのです。どちらも①②③④⑤⑥⑦の音です。


続く小節部分を、前者の調でドレミ記譜すると、以下の様になるのですが…



転調しているとはっきりわかるよう、ドレミ記譜を以下の様に変更。

あははハ長調のドレミですね。王道。


そしてこの二小節ぶんのドレミ、じーっと見てみてください。


各和音を、上下関係を整理して表記しなおしてみましょう。

「ファ・ソ・ラ・ド・ミ」→「ラ・ド・ミ・ソ」→「ファ・ラ・ド・ミ」→「ラ・ド・ミ・ソ」→「ファ・ラ・ド・ミ」→「ラ・ド・ミ・ソ」→「ファ・ラ・ド・ミ」→「ラ・ド・ミ・ソ」(→「ソ・シ・レ・ファ♯」)…


何か気づきません?


「ファ・ラ・ド・ミ」和音と「ラ・ド・ミ・ソ」和音のふたつが、交互に現れているのです。

ああ、気づかなかった方はどうか棺桶式潜水艦でタイタニック号の残骸を見に行ってそのまま帰ってこないでください。

冗談はおいといて、「ファ・ラ・ド・ミ」というサブドミナント和音をこの作曲者は好んで使います

耳タコでしょうが浮遊感を出すには絶好の和音なのがこれです。

映画の主人公たちは、いちおう軍人で社会的にはそれなりに一目置かれる立場にあるとはいえ、自分たちが何をしたいのか、何を目指したらいいのか、さっぱりわからないでいる無駄飯食らいの男子若者たちです。

あっちへふらふら、こっちへふらふら、若き彼らのそんな様が、⑨の音「ソ」によって志(こころざし)の響きを伴いながらサブドミ和音によって表現されているのです。


…何言ってるのか分からないという顔つきの皆さんの顔が目に浮かぶようです。

今一度説明しましょう。

「ファ・ラ・ド・ミ」和音は、浮遊感を演出するときよく使われる響きです。

ここにさらに、⑨の音「ソ」を挿んでみます。

ファ・ソ・ラ・ド・ミ

実際に弾いてみてください、「ソ」がないときとあるときとで、苦みに違いが生じているのがわかると思います。

「ソ」があるときのほうが、どういったらいいのかな、靴の内側底に砂が混じっているような感触があります。それもどこか前向きな感触。

なぜか? この「ファ・ソ・ラ・ド・ミ」音列を、以下の様に違うドレミで表記しなおしてみるとわかります。

ド・レ・ミ・ソ・シ

左から順に、鍵盤楽器で弾いてみてください。空を見上げる、高い志(こころざし)のようなものが、感じられませんか? 

感じてください。少なくとも作曲者はそのつもりでこの和音を選んだのです。

弾いてみればロバの耳でもわかります。

「ひーほ」(ロバ語で「さよう」)


この映画の主人公とその仲間たちの、ふわふわしながらも志(こころざし)は失っていない、そんな心象風景にそった響き。

そんな「ファ・ソ・ラ・ド・ミ」和音を、二つに分解してみます。

「ファ・ラ・ド・ミ」  「ラ・ド・ミ・ソ」


そして、くだんの小節部分を、よっくご覧ください。



「ファ・ソ・ラ・ド・ミ」→「ラ・ド・ミ・ソ」→「ファ・ラ・ド・ミ」→「ラ・ド・ミ・ソ」→「ファ・ラ・ド・ミ」→「ラ・ド・ミ・ソ」→「ファ・ラ・ド・ミ」→「ラ・ド・ミ・ソ」(→「ソ・シ・レ・ファ♯」)…


先ほど述べたことですが、もう一度言います。「ファ・ソ・ラ・ド・ミ」和音に続いて、今度はこの和音が二つに分かれた「ファ・ラ・ド・ミ」と「ラ・ド・ミ・ソ」が、交互に現れているのですよっ!


気になるのは、最後に出てくる和音。

緑でマークしたところ、「ファ♯・ソ・シ・レ」とありますが、これの正体は「ソ・シ・レ・ファ♯」です。①③⑤⑦の並び。「ファ♯」によって転調してます転調。


*


続く小節を分析します。以下は転調した調準拠でドレミを付けてみたものです。緑色なので多少見にくいでしょうが眼力で追ってください。

「シ・ド・ミ・ソ」→「ミ・ソ・シ・ド」→「シ・レ・ミ・ソ」→「レ・ミ・ソ・シ」→「ミ・ソ・シ・ド」→「レ・ミ・ソ・シ」→「ミ・ソ・シ・レ」→「シ・レ・ミ・ソ」…


各和音の上下の並びを、わかりやすいよう整理すると、「ド・ミ・ソ・シ」→「ド・ミ・ソ・シ」→「ミ・ソ・シ・レ」→「ミ・ソ・シ・レ」→「ド・ミ・ソ・シ」→「ミ・ソ・シ・レ」→「ミ・ソ・シ・レ」→「ミ・ソ・シ・レ」。

おお、「ド・ミ・ソ・シ」と「ミ・ソ・シ・レ」の、たった二つの和音でできていますね!

「ド・ミ・ソ・シ」和音はメジャーセヴンス・トニック和音というのでしょうか。「ファ・ラ・ド・ミ」和音と同じ組み立てです。つまりもうひとつのサブドミ和音と解することもできるのです。

聴きかえしてみましょう。


「ド・ミ・ソ・シ」和音に⑨の音「レ」を混ぜる、つまり「ド・・ミ・ソ・シ」という、空を見上げる志(こころざし)和音を作り、それを「ド・ミ・ソ・シ」と「ミ・ソ・シ・レ」の二つの和音に分解して、交互に現れる進行にしてあるのです。


ゆるゆるふわふわうだうだ、しかし何か志(こころざし)を宿している、その一方でそういう志を照れてもいて、それで二つの和音に分解して、交互にドンチャカドンチャカし続ける、モラトリアムの音楽空間というところでしょうか。


⇧ 画面をクリックするとメインテーマが再生されます


♪ でんつくつんでんでん、でんつくつんでんでん、でんつくつんでんでん


おもちゃの兵隊チームが、自堕落に、しかし歩調はけして崩さずに、前に向かって行く、そういう反復リズムとともに、曲は進んでいく。同じ和音を変形させながら。

龍一先生は手を抜くどころか、この物語の真髄を、彼ならではのメソッドによって音楽に翻訳していたのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?