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大作曲家、へぼ講師に終わる - 坂本龍一の音楽講座について

龍一先生とそのファンの皆さんにとっては不快でしょうが、この動画はほぼ完全に間違っています。

ファンのあいだでは有名な動画のようですね。2011年(東日本震災はこの年の3月でした)の11月にNHK教育で放映されたものの一部です。

「戦メリ」を作曲者そのひとが分析的に語っています。

どこがどうおかしいのかの説明は今はしません。私にとって前から不思議だったのは、どうしてこう露骨にアサッテなことを彼は語っているのかということに尽きます。

昨日、検索していたらこの回のフル動画を見つけました。それを(倍速ですが)目を通してみて、彼のアサッテ解説がどういう文脈で発せられたものなのか、多少つかめた気がしました。(どなたかテキスト要約したものがあるので興味がある方はそちらもどうぞ

フランス印象派音楽の三巨頭であるドビュッシー、ラヴェル、サティについて語る回で、この動画でいうと7分半目よりサティの音楽について彼は語りはじめるのです。

①、③、⑤ プラス ⑦

①とか③とか⑤とか⑦とかありますね。⑦の音を和音に使って画期をなしたのがサティであると、彼は説明しているところです。

「ジムノペディ」冒頭を弾きながら解説


さらに彼は⑨の音について語りだします。

⑨ の音

さらには⑪の音について。

⑪ の音


もっとさらに⑬の音。

⑬ の音


解説動画がナレーション付きで挿まれる。「こういうのをテンション・ノートといいます」的な説明。

ここまではいいのだけど…

「戦メリ」のあの主旋律一小節目について、彼はとんちんかんなことを語りだすのです。

第一にアウトなのは「ドレミ」表記な点です。こういうときはできれば c とか d# とか、あるいは「イロハ」で語ってほしいところです。そうしないと「♪ レミレラレ~ ♪」とあの旋律について語るとき、それが相対音階的なものなのか、それともピアノの鍵盤に準じたものなのか、わけわかんなくなってしまうから。

第二にアウトなのは、この画像からだとわからないのですが彼はこの曲について「短調」と語っているのですよ。♭が五つある、つまり変ロ短調であると。

これは「長調」です! 変ニ長調。そうでないと和音(ここではどういうわけか「ソ♭」とルート表記されていますが)がサブドミナント和音であることが伝わりません。


もっとアウトなのがここ。この曲は途中で4度上に転調するのですが、

驚くことに作ったご本人が、この転調パートについても「変ロ短調」で押し通して語るのです。4度上に転調しているのだから「変ト長調」でしょうが! 変ニ長調が変ト長調に4度上がりするのですよっ。

どうしてこんな気の狂ったようなことを自信たっぷりにぼそぼそと語るのかと前から不思議でしたが、この番組を冒頭から視聴してみて、ああなるほどテンション・ノート(上の画像では青で「レ」とある音)に切り替わるので曲の雰囲気が変わるんだよといいたいのですね。

零点。

しつこくいいます、ここは4度上つまり偶数度での転調をすれば和音構成音はテンション・ノートになるにきまっているのだから、こんな解説はAHOです。敬愛するサティを語った勢いで、自曲についても日本のサティだよんといわんばかりの語りをしてしまっているのです。

そこの学生さん、うなずいてどうする!

この「スコラ 音楽の学校」シリーズ、書籍のほうも図書館で拝見しましたが、いいことも語ってはいるのだけど、あまりいいできではないです。少なくとも作曲技法を学ぶための教材としては、およそ使い物になりません。たとえばドビュッシーの交響詩「海」について、龍一先生はゲスト講師たちと語り合っているなかで「あの楽章のあそこは、作曲家としていわせてもらうと途中で投げてしまっているように思う」等、なかなかそそることを述べているので、おおこの後分析が来るのかなーと期待したら何にもなし。肩透かし。

彼については若い頃より「分析のひと」とまわりから評されてきましたが、分析むしろ下手っぴだったのではないかとこのところ考えています。右脳と左脳の超高速フィードバックによってひとの楽曲(に限らずこの世のあらゆるもの)を自分のものとして吸収してしまう能力が突出していたのはわかるのですが、それを言語化する能力には欠けていたのではないかと思うのです。つまり世でいわれるほど分析力のある方ではなかったのではないかなって、思うわけです。

おこがましい発言でしたか? しかしそれほど的外れなことは述べていないと自分は考えます天にまします我らがプロフェッサーどの。


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