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ドラえもんは誰のもの?

小学館の重役OBに取材したことがあります。ドラえもんの関係者です。何しろ昭和44年に連載開始したときの担当さんでもありました。十年を経て昭和54年にテレビアニメ化する際にも尽力された方です。小学館、旭通信、シンエイ動画、テレビ朝日の四社で、ドラ&藤子先生を神輿に担ぐ体制にしたとおっしゃいました。

それ以前に一度テレビアニメ化されてはいましたが、藤子(というか藤本)先生はあまりできを気に入られなくて、別のアニメスタジオより再アニメ化を打診されたときも乗り気ではなかったことは有名です。このアニメスタジオの元社長さんが当時をそう回想していました。四社でドラ&藤子を守る体制が整ったことで、現在にまで続くドラえもんフランチャイズが始まったのでした。

美談っぽく語られることも多いこの逸話ですが、実は法律の視点から眺めなおすと、少々違う風に見えてくるのです。

著作権法は「作品」(work)とその「著者」(author)を守ってくれるけれど、たとえば『ドラえもん』というまんが(work)の主人公ドラえもんについては、何も守ってくれません。なぜならそういうのは「キャラクター」(fictional character)であって作品には該当しないからです。極論すれば、誰かが藤子先生の知らないところでドラえもんを送迎バスにあしらって幼稚園児の送迎用に使っていても、それを藤子先生は著作権法を使ってとがめることができないのです。

本当ですよこの話。ドラよりずっと昔に、サザエさんとカツオくんとワカメちゃんをバス車体にあしらって走らせていたバス会社が、まんが『サザエさん』の著者・長谷川町子から訴えられた事件がありました。これ、かなりこじれました。結論をいえば地裁で彼女の訴えは認められ、バス会社は上告しないで和解で決着がつきました。ただ地裁の判決文を読んでも、どうしてバス会社側に非があると判断されるのか、ロジックが弱いものでした。

アメリカではさらにずっと昔から、キャラクターは特許と同じ効力を有するものと広く認知されていました。そういう商習慣ができあがっていたのです。しかしそれはアメリカ国内でのことで、世界標準になっていくのはさらに後世のことです。

アメリカでどんな風に「キャラクターは特許と同じ」とする商慣習ができあがっていったのか、じっくり説明すると本が一冊書けてしまいます。前にできるだけ簡略に説明したことがあるのですが、今読むとこれでも難しい。そこで今回は私自身の頭の整理も兼ねて、箇条書きにしてみます。

① 作者が他紙に移籍する際、連載まんがの続きを自分以外は描いてはいけないようにするために主人公キャラクターを「特許」化する手を思いついた。

② このアイディアは国の機関より却下されたが、その後もいろいろな絵師の他紙移籍による混乱があって、やがて主人公キャラクターを「特許」とみなす考え方が法廷で議論されるようになった。

③ 著作権法でも特許法でもまんがキャラクターを「特許」と扱うことはできなかったが、不正競争防止という理念を根拠に、キャラクターを作者の人格の一部とみなして作者からの切り離しを(作者の許諾なしでは)不可とする判断がニューヨーク州で下ったのを皮切りに、キャラクターを「作者に帰属する特許」とみなす考え方が広まった。

④ その後アニメーション映画が市場拡大するにつれて、たとえばミッキーマウスは誰に帰属するのかという難問が生じた。ミッキーをデザインしたのもアニメートしているのもアニメーター(それも複数)であってウォルト・ディズニーではないとなると、ミッキーを「作者に帰属する特許」とするばあい誰が「作者」なのか?という難問だった。ウォルトはミッキーといっしょに写っている合成写真をいろいろ作らせて宣伝素材としてマスコミや広告に積極的にばらまくことで、ミッキーとウォルトが一心同体であることを大衆に喧伝し、ミッキーはウォルトに帰属するものと「啓蒙」を続けてこの難問に対処した。

⑤ 一方、新聞まんがの世界ではウォルトとは違う方策が採られた。「まんがキャラクターは作者に帰属する知財」とする判決に対抗するために、まんが連載開始の際には「この連載まんがに関するあらゆる権利を社に譲渡する」とする同意書に漫画家を署名させるようにした。これが広く定着した。これはすなわち「キャラクターは売買可能な特許」とみなす商習慣の確立であった。

ここで話は終わらない。さらにこんな解釈ができるのです。

⑥ 「キャラクターは作者の人格の一部」とする判断は、「キャラクターは人格を有する」と読みかえられ、さらにその後④⑤の拡大解釈を経て、「キャラクターは作者とは無関係に、それ単体で自律的人格を有する」と読みかえられていった。

この⑥は極めて重要な点ですので、どうか赤ペンで画面に線を引くか四角く囲っておいてほしいくらいです。一枚絵のカートゥーンのなかの、こんな変てこな禿少年に、どういうわけかファンレターが届くようになって、やがて主人公になっていったのが1896年。つまり当時の新聞購読者たちは、この禿少年(の姿かたち)に自律的人格を読み取っていたのです。それが「キャラクター」であり、この不思議な現象が、数十年かかって法理論化されていったとみます。「キャラクターは作者とは無関係に、それ単体で自律的人格を有する」と。

これを論証するには各時代の裁判判例を比較検証していくのが一番です。ここでは紹介しません、読むだけでも日が暮れてしまうでしょうし説明するほうも大変だから。

ドラえもんチームは、この事はなにも知らなかったと思います。もっと素朴に「キャラクターは原作物の作者さんのものだから、作者様を皆で守ってあげる体制さえ整えればキャラクターをいろいろ使わせてもらえる」と考えたのです。

スーパーマンやポパイの作者は誰か?と訊かれてさっと答えられるひとはまずいないと思います。それはまさにアメリカにおける「キャラクターは売買可能な特許」「キャラクターは作者とは無関係に、それ単体で自律的人格を有する」とする考え方に由来するものなのです。

日本の絵描きたちは、昔からアメリカンコミックスやアニメーションにたくさん影響され刺激を受けて、いわゆる「目で盗む」ことでやがて国産ものをいろいろ作り出したわけですが、かの国独自のキャラクター理論・商習慣を目で盗むことは叶わなかった。それゆえに日本独自のまんがやアニメーションが発展していきました。

アメリカのキャラクター商習慣が日本に入ってきたのは1950年代の末のことでした。日本独自に発達したまんが、アニメーション文化と、アメリカの商習慣が混交し、混合して、そして生まれてきたのがドラえもんのフランチャイズを一例とする、日本独自のやり方であったと、そんな風に考えます。

そしてキャラクターが血を流し、命を落とし、年を重ねていくという現象をも許容していったのでした。


後日このテーマについては論じなおしていくつもりです。気長にお待ちください。


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