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子ども英会話、ピアノのお稽古

小学校英語が、中学英語つまり使い物にならない英語にどういう風に接続されているのか、この一か月えんえんと考えています。

私自身の思い出話をすると、小2か小3のときに旺文社系の子ども英会話教室に通っていました。二つ上の姉といっしょにです。私が小4になると母の判断で違う学校に移されました。このとき姉は小6になっていて、とある詰込み塾に送り込まれました。私も二年後つまり小6生になってより、そこに一年間通うことになるのですが、その話はすでにしているので姉の話を今回はします。この塾は教え方も生徒の扱い方も江戸時代の寺子屋風でしたが、違ったのは全員が同じ学年の子たちだったことです。小6なら小6クラス、中2なら中2クラスに振り分けられていました。教室は、だだっぴろい、地べたのすわる式のフロアのものが一階にありました。二階教室はあったのかな?私は一階のあのフロアのものしか使った覚えがありません。教師は少なくとも二人いました。塾長さんは市内のあるそこそこ名門校の元英語教師で、ほかにアルバイト講師を使っていたのだと思います。私の場合はこの両方の方に教わっています。どちらも男性です。〇曜日の授業は若い、キレやすい講師さんで、△曜日(日曜日だったかな)は塾長さんとおぼしい中年男性でした。姉もたぶん同じ環境で(繰り返しますが私より二年前に)この塾に通っていたのだと思います。

さて本題に入りたいと思います。ご承知のように私は坂本龍一という作曲家の楽曲が前から大好きでした。彼が今年3月末に力尽き、4月頭にそれを知ったときはとてもショックでした。ちょうど今年元旦つまり彼の命が衰えていく頃より、「世界のサカモト」を生んだ名曲「ラストエンペラーのテーマ」の楽曲分析をブログで続けていて、先日五か月がかりでようやく全音符の解析を終えたところです。ピアノ演奏用楽譜なのにオーケストラの響きが聴こえてくる、そういう楽譜であることに改めて感動したのでした。

しかし彼はどうやってこの作曲技法を学んだのでしょう? 今の私には彼の楽曲を分析してその技法を学ぶ(なんなら盗むといってもいいと思います)のはそれほど難事ではないけれど、彼はどうやってこの技法を、どこからどうやって学んだのだろう…「ラストエンペラー」分析が進んでいくにつれて、そういう思いが強くなっていったのでした。

先日文庫にも入った自叙伝『音楽は自由にする』を再読すると、彼の幼少からの音楽歴が語られています。ピアノのお稽古は3歳からで、しかし作曲のお稽古は小6からだったとあります。

お母さまがリベラルな女性で、一方夫つまり龍一のパパは仕事の虫で家のことにはかまけなかったこともあって、彼女の意志で一人息子を世田谷にある、自由学園系の幼稚園に入れたそうです。子はバスと電車を乗り継いでひとりで通っていました。ピアノの時間がありました。毎週、園児たちは順番にピアノを弾かされました。ちなみに龍一の家には当時ピアノはなくて、母親の弟つまり彼の叔父はピアノを所有していて、レコードもたくさん持っていて、よくこの叔父のもとに遊びにいってはピアノの鍵盤を叩いていたそうです。

夏休みには園児たちが交代で、うさぎをそれぞれの家で世話するという課題がありました。9月になると幼稚園で「どうぶつのせわをしてみてどうでしたか。そのときのきもちを、うたにしてください」と園児たちは課題を出されました。龍一は当時4歳か5歳。「うさちゃんのめはあかい」とかの詞をひねりだして、それに旋律をつけて、楽譜にして(母親に手伝ってもらったようです)提出して、後にそれを歌ってソノシートにしてもらったそうです。

小学校英語の話のはずが、どうして彼の幼少の音楽歴の話になるのか? 私もよくわかりません。例によってとにかく書きながら答えを探っていくのが私の流儀なのです。

今漠然と思い描いていることを述べると、私もピアノのお稽古をしていたのでわかるのですがああいうのは楽譜にある♪やほかいろいろの記号を瞬時に手の動きに翻訳するメカニズムを、とにかく幼少のうちに体で育んでしまえという作業です。私はひとりでものを考えるのが好きだったから、いわれたとおりハイハイ動き回ればええねんなことは苦手でした。そういうわけでピアノのお稽古は(例によって2つ上の姉といっしょに通っていました)嫌いでした。ピアノ楽曲じたいは嫌いではなかったしクラシック音楽は大好きだったのですけどね。今思うと私はむしろ作曲家タイプでした。演奏家ではなく作曲家。それも高度に理論派の。もっと後になってから芽生えた、語学への関心も、音楽でいうと演奏能力を磨くことではなく作曲(というか作曲技法)の才にむしろ傾くところと通底しているような気がするのです。子ども英会話→学校英語→受験英語の道筋をたどりながらもそこからむしろ逸脱していったひとりとしては、自分の特異さはどうもこのあたりの音楽脳とかかわりがあるような気がしてならないのです。

日本の学校での英語の授業は、割り切っていってしまえばピアノのお稽古と同じです。ピアノ教則本「子供のバイエル」に並んでいる楽曲は、楽曲と呼べるものではありません。あれはあくまで♪を手の動きに反射神経的に「翻訳」する神経回路を育むための、音楽的筋トレマシンの類です。あれをいくらけいこしても、初見弾きの訓練にはいずれなるでしょうが、曲は書けないのです。曲を書くにはやはり理論が要ります。英語に限らず外国語で自分の意思を他者に伝えるには、作曲技法にあたるものがやはり要るし、そういう訓練が欠かせないはずです。龍一くんは小6より作曲のお稽古を、芸大の教授のもとで受けだしたとき、課されたのはとにかく曲を作っていってそれをお師匠さんに見てもらって赤入れされていく作業でした。そういうの学校英語で皆さんどのくらい受けています? ほぼゼロだったのではないかな。私もそうでした。


つづく

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