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アインシュタインの原論文を読んでみよう(1905年 : E=mc^2 は論文に出てこない)

名高い彼の、この数式は、どなたも目にしたことがあると思います。


エネルギー(E)は質量(m)と等価である… 詳しいことはコンビニの書棚に並んでいるその筋のお手軽本にあたっていただくとして、彼アルベルトくんの原論文それも1905年当時のものに、以前目を通してみたら――

載ってないやん!


1905年は「奇跡の年」と呼ばれています。無名のアマチュア物理学者・アルくんが、立て続けに論文を書き上げて、そのどれもがノーベル賞級どころか20世紀物理学の一大頂点といっていい内容のものであったことから、後世のひとびとがこの名を授けたのです。

この年、相対論(今でいう特殊相対論)の論文を彼は二つ刊行しています。ひとつはかなり長いものです。31頁。

特殊相対論は、現代であれば高2レベルの知識で説明できてしまう、割と易しい内容ですし、それゆえにコンビニには「よくわかる相対論」なんてタイトルのソフビ本が定番商品になっています。しかし発表当時は前衛もいいところでした。アルの相対論論文第一号が、いろいろまわりくどい(=慎重な)議論を積み重ねて進んでいくのも、前衛ゆえに批判や非難や誤解もされることを見越してのものだったと感じます。


この原論文にあたる前に、日本語訳のほうを私は先に目を通しました。湯川秀樹監修の『アインシュタイン叢書』①収録のものです。

以下は同論文(邦訳版)の最終段落から。


mc^2」が出てきますね。

ところが、先ほどアルくんの原論文で、同じ個所をチェックしてみたところ、出てこないのですよ「mc^2」は。原文ではこんな記述でした。


これにはびっくりしました。プロフェッサー・ユカワ(というかその下訳翻訳者さん)が何か企んでらっしゃるのかと一瞬思いました。


しかし原論文冒頭を見ると、この不可解な「V」について、説明がされていました。


「真空中の光速度」と仮定して以後議論を進めるよん、と。


邦訳版でもそうなっていますね。「真空中の光速度であると仮定しよう」。


ユカワ(の下訳者さん)がどうして「V」を「c」と訳し改めたのかというと、おそらく彼は、アルが「仮定しよう」と慎重な言い回しを使っているのを見て「アル先生、この後この論文の中盤であなたはⅤが真空中の光速度であることを計算で示してくださるわけですし、1905年当時はともかく今はこの議論が正当なものだと受け入れられているのだから、Ⅴなんて奥ゆかしい表記ではなく  c(真空中の光速度を表す略称)で通してええでっしゃろ」と判断して、邦訳版では「c」で通したのだと思います。


それからこの邦訳版では、質量を「m」で表記していますが…

アルの原論文では…


どうしてアルくんが「μ」を使ったのかというと、先ほどの「Ⅴ」と同じです。これを質量と「仮定」して議論を進めると、最後にちゃんと質量であることが示せるので、それまでは「μ」で通すよーということです。

ユカワ下訳者さんはというと「んなこたー今では常識なんだからとっとと m で通しちゃいましょうやアル先生」と判断して、邦訳版では「ⅿ」に統一したのだと思われます。


察しの良い方はすでにお察しでしょうが、この第一論文には「E」(エネルギー)も出てきません。アルくん、そこまで頭が回らなかった――というよりはローレンツ変換の議論で手一杯でその先まで進めなかったのだと想像します。それを悔やんでか、続く第二論文(わずか3頁!)では、エネルギーについて語られます。

ところがですね「E」ではなく「L」が使われているのです。


断わっておくと、原論文中に「E」が出てこないわけではなくて、それどころか頻繁に出てきます。ただ、エネルギー保存則を示す略称としては使われていないのです。そういう使い方を、アルくんは慎重に避けつつ議論を進めています。

どうしてだと思います? ここでも「仮定」が使われているからです。

彼の画期的な説・相対性理論は、あらゆる点で画期的かつ前衛的であるけれど、エネルギー保存則は否定していないのです。否定しないというか、この保存則は保たれると仮定を置いて、計算を進めています。そうすると、エネルギー保存則は保たれるという結論がラストで導きだされるのです。

そういう奥ゆかしい手順を踏んでの議論ですので、いきなり「E」を使うのはよろしくないと彼は考えて、代わりに「E₀」とか「E₁」とか「H」とか「L」とかを繰り出しています。

これらを後でいっしょに計算すると、常に同じ値になりますよって。


余談ですが「L」「H」とあるのは、それぞれおそらくラグランジアン(Lagrangian)とハミルトニアン(Hamiltonian)の略称「L」「H」にひっかけたものです。あくまでひっかけたものです。「A」でも「Q」でもいいのだけど「L」「H」のほうが解析力学風の高雅な香りがしてかっこいいのでそうしちゃえって考えたのだと思います。


最終頁を見てみても「E=mc²」はとうとう出てきません。


以上の読み込みから浮かび上がってくるのは、どうも1905年時点のアインシュタイン(ちなみに当時26歳)は「質量とエネルギーは等価」とは考えていなかった、いや、厳密にいうと「論文中の数式はすでにそれを証明しているのに、当時のアルくんはそれに思い至っていない」のです。

彼の伝記にもあたってみましたが「質量とエネルギーは等価」と彼が公言しだすのは、同書の記述から想像するに1907年からのようです。自分の前衛的理論を、自分で理解するのに二年近くかかったことになります。


こういう時差が、彼はこの後だんだん大きくなってきます。我が子があまりにずば抜けていて、親がそれを理解できなくなっていく様を思わせますね。


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