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和音と旋律の饗宴:龍一の作曲法則に迫る
先日ある方から、この動画について問い合わせをいただきました。ちなみにアメリカの方からです。
1990年に、ニューヨーク・ハーレム街のアポロ劇場で収録された、龍一先生のピアノライヴです。ライヴといっても無観客での収録です。客席にひとがいないと響きがかなり変わってしまうと思うのですが、それは百も承知での収録だったと思われます。
この動画で演奏されているのは「Before Long」という曲。もともとはアルバム「Neo Geo」(1987年)冒頭曲として書かれた、もっと短いものでした。このアルバムはオキナワ民謡をロックンロールに融合させてアメリカ市場に打って出るという野心とともに制作されたもので、プロデューサーを務めたビル・ラズウェル(当時のニューヨークで前衛だったミュージシャン)からの要望で、アルバムの開幕曲として一気に書かれた、というかピアノでほとんど即興的に作られたものです。
龍一の楽曲は、ほとんど即興で作られたものにしばしば良作がみられます。彼の作曲技法がストレートに出るからだと思います。
そういうわけでこの「Before Long」は、彼の作曲技法を抽出するにはちょうどいいサンプルです。
本格的な分析は後の機会に譲るとして、私なりの龍一楽曲の分析法について、以下手短に説明します。日本語記事ではこれまですでに説明してきたことですが英語記事ではあまり触れてこなかった気がするので、今回改めて説明します。
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上の楽譜は「Before Long」の冒頭四小節です。旋律の全音符に、赤で階名を書き入れてあります。「m」とあるのは「mi」の略称、「f」とあるのは「fa」の略称、ほかにも「d」とか「r」とかあるのはそれぞれ「do」「re」の略称です。
これらは音名ではありません。この曲の冒頭小節の旋律について、もし
音名で記すならば「e-f-a」になるのですが、階名で記すと「mi-fa-la」になります。もっともそれはこの旋律がハ長調だからです。もしへ長調だったら同じ「e-f-a」の旋律であっても階名での記譜は「ti-do-mi」になります。
簡単にいうと「e-f-a」は音響物理的に旋律を書き記したもので、「mi-fa-la」はその旋律を聴く側がどう解釈しているかを示したものです。同じ旋律であっても「mi-fa-la」と解釈することもあれば、「ti-do-mi」と解釈することもありうるわけです。どちらが正しいかは文脈次第となります。
龍一の楽曲は、旋律について複数の階名解釈ができるように音が選ばれているのが特徴です。たとえば上の楽譜にある旋律について、ハ長調ではなくト長調という仮定で階名をふってみましょう。
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今回は赤ではなく緑で階名を各音符に付けていきました。ちなみに「t♭」とあるのは「ti♭」のことです。下の楽譜でこの音についてマークを付けてあります。
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こうしてみると、この旋律についてト長調と解釈するのは無理があると皆さんは思われるかもしれないのですが、作曲者は(無意識に)この調でこの旋律を発想したとみます。
これまで何度か指摘してきたことですが、彼の楽曲は旋律と和声進行が常に異なる調にあります。この「Before Long」についてもそうです。上の楽譜を見るとハ長調に思えるし、実際、弾いてみるとすべてハ長調の音でできています。しかし実はこの旋律はト長調にあります。
その解釈でいくと「ti♭」の音がト長調の音階から逸脱してしまうので不自然だと皆さんは思われるかもしれない。ところがこの音を、旋律ではなく和音の構成音のひとつだと解釈してしまえば、この疑問はあっさり解決してしまいます。
楽譜下段にある「fa」の音が、旋律のなかに混じって「ti♭」の音を奏でているとみるのです。
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これが私が呼ぶところの「R.S.の法則1」です。旋律が和声進行とは必ず異なる調にあるというものです。そして、そのことが聴き手には勘付かれないようにするために、和声進行のほうの調の音階にはあって旋律のほうの調の音階にはない音を、こうやってときどき挿し込むのです。まるでこれがもとから旋律の音であるかのように、です。
この「R.S.の法則1」を発見したことで、私の龍一楽曲研究はブレイクスルーを果たしました。これまでブログにアップしてきた龍一楽曲の私の分析は、どれもこの発見を元にしています。それはいいかえれば、この法則を理解できていないひとに、私の龍一楽曲分析はおよそ理解不能なものとなってしまうということでもあります。
悲しいですね。
![](https://assets.st-note.com/img/1687962961776-xUP4N54A3m.png)
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