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龍一、ニューヨークで「エマニエル夫人」を弾く

改めて紹介します。1990年のクリスマスに、日本で放映されたものです。


冒頭4小節ぶんはこんな風。


前回すでにドレミを書き入れたわけですが、再度やってみます。いつもどおり旋律は赤のドレミ、ほかは青のドレミです。


和声進行の分析からいきます。青のドレミです。最初の小節を見てみましょう。

緑で括った小節の和音は、「レ・ファ・ラ・ド」和音に⑨の音「ミ」が挿まったもの。マイナー和音に⑨を挿むのは龍一のお気に入りの響きです。なぜかわかりますか?この和音の場合ですと「ミ」と「ラ」がうまいこと4度音程になって、内省的な響きが生じるからです。


次。ここに注目。

小節と小節のあいだと同じ音でつなぐのは、ベートーベンの「合唱」のあの旋律でも使われている割と王道的なものです。印象に残りやすい。ただあの旋律は四分音符が階段状に並んでいく作りでしたが、この曲の旋律はそうではありません。

実はこの曲の初出であるアルバム「Neo Geo」においては、一つ目のほうの「シ」は使われていませんでした。下の楽譜でいうと、緑で括った「シ」が、当初は存在していなかったのです。

ここで耳コピ版が聴けます。これについて当時の彼は「映画『エマニエル夫人』のテーマ曲みたいだとスタッフにいわれた」と苦笑気味にコメントしていました。いわれてみればそんな風にも聴こえますね。それを気にしたのか、以後の演奏では「シ」(上の楽譜で緑マークしたところ)を挿入したものになっています。

この音符をひとつ挿しこんだとたんに、マダムエマニエルなアンニュイ(倦怠感)が消えて、内省的知性がきらめきだす…不思議ですね。どうしてだと思います?


カギは下の楽譜の、緑で括ったところにあります。

一拍目の音が三連符ですね。♪ミファラ~ の三つで一拍。その後「ラ」がずーっと四拍目まで響くのが、元の版でしたが…


今回分析している版では、下の楽譜にあるように「シ」の挿入によって四拍目も三連符化されています。

四拍目の終わりに「シ」がぽつんと鳴ることで、聴く側はびくっとなります。「あれっ、一拍目だけが三連符だと思っていたら、四拍目の終わりにいきなり音が鳴ったぞ。そうかこの四拍目も三連符なのか。まてよ、ということは二拍目でも三拍目でもずっと三連符リズムが続いていたってこと?うわわ『ラ』の音がけだるく響いているんだと思ってたよ、違うのね」と。

こうやってマダムエマニエルなアンニュイ感をフェイク化して、歯切れ良い内省感に変身させているのです。


次の小節の、旋律を見ていきましょう。♪ シ・シドミ~

この前の旋律は「ミファラ~」でした。そして「シ・シドミ~」と続いていくのですが、見ての通りこれは1オクターヴ下での「シ・シドミ~」です。せっかく1小節目で「ミファラ~」と上昇しているのだから、この上昇気流にのって「シ・シドミ~」とさらなる上に向かうのが筋ってものでしょうが、作曲者はそうしなかった。わざと1オクターヴ下に置いた。

なぜでしょう?

もし上昇気流にのったりしたら「ミファラ~、シ、シドミ~」とひたすら上昇して、「ミ」が1オクターヴ上の「ミ」まで舞い上がってしまうのです。せっかくの内省感がこれでは台無しです。

それで「シ、シドミ~」を上昇気流から外して、1~2小節における旋律の音列を「シ・ド・ミ・ファ・ラ」すなわち「シ」から「ラ」までの短7度音程、つまり1オクターヴの枠を壊さない、慎み深いものになるようにしたのです。


和音をみてみましょう。

「ラ・ド・ミ・ソ」和音に⑨の音「シ」を挿んでいます。これもマイナー和音に⑨を挿んで内省的な響きにするという、龍一くんの好きそうな響きが響いています。

一小節目では「レ・ファ・ラ・ド」+「シ」、二小節目では「ラ・ド・ミ・ソ」+「シ」の和音…おっと五度の和声進行です。禁則ってことはないけれど、進行の王道である四度ではないですね。どうしてこんな風に進むのか、わかるでしょうか?

この二つの和音を、ブランコのように繰り返すと、いったいどちらがトニック和音なのかだんだん曖昧になってくるからです。調をいつのまにかすり替えたり、どの調なのか判断できなくしたりするのはこの作曲者の得意技です。この得意技を支える技のひとつが、マイナー和音を五度進行させてそれもマイナー和音というこの和声進行です。


3小節目と4小節目も同じ和声進行ですね。


しかし旋律はちょっと違う。この「シ」の音が新たに加わっています。

この「シ」の投入によって、二周目(3~4小節目)の旋律は、音列にすると「シ・ド・ミ・ファ・ラ・シ」つまり1オクターヴに達しています。慎み深さがこの「シ」によって一瞬揺らぐのです。


つづくかも

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