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「定年女子」番外編③

前回は出産退職までを書いた。今回は出産を経て再就職?!手前、保育園入園まで。
その前に、私が産業カウンセラーとなった後、何度か後輩女性らにお話しする機会があったのだが、その時に必ずと言って良いほど話していたこと、それは出産退職は出来るだけするな、であり、早めの再就職でありその時はそれまでの業界か業務か何か繋がるものであった方が良い、という話だった。今は昔、育休など多くの企業ではまだまだだったし、時短就労もなかったから、辞めるしかないという選択がほとんどだった訳だけど、それでも色々言いたくなるほど再就職は結構大変だったのだ。

出産は秋、無事に産むことができ、毎日がベビーと私の日々、今ならワンオペ、昔は当たり前だったが、夜夫が帰宅する頃にはベビーは寝ている、私もボーとしている、そんな毎日。
で、昼間はといえば、正直手のかからない赤ん坊で、その横で私はこの先どうしよう、と日々考えていた。時折寝顔をデッサンの真似事で描きながら。35年以上前の話だ、パソコンなど自宅にあるわけもなく、情報はテレビ、新聞、雑誌の世界だった。
最初に目についたのが、2021年まで賛助会員だったアムネスティインタナショナルの記事、当時トップはイーデス・ハンソン氏、今は特別顧問らしい。世界的人権活動のNGOとして日本でも組織化されていた。そこに問い合わせをし、会員となり、ちょっとホッとしたのはこれで外の世界と少しだけでも繋がっている、と思えたことだった。この辺の話はそのうち別に書こうかな…

年末≒来年度の保育園申請が近づき、仕事探しのスタート、まずは当時始まったばかりの派遣事業というものに登録しよう!と出かけたのだ。お気楽な私は週3回程度のお仕事があるのではないか?なんて思っていたようだ。
だがしかし、面接で開口一番言われたこと、お子さんが熱を出した時どうしますか?あなたがお休みをすることはできませんよ、どなたかいらっしゃいますか?そして、そういう方に登録してもらうことはできません!
結局、登録などできるわけもなく、退散した。甘い!徹頭徹尾私が甘かった。
そうこうしてる間に申請期限は近づく、私は元上司が転職し、市内外資系企業で働いていることを良いことに内定証明書に記載してもらい、保育園申請した。
あわよくば仕事が出来るかも?という気持ちもなきにしもあらずだったが。
申請後、面接があり、親はどこに住んでいるか、とか子どもの面倒はお願いできないのか、などなど色々聞かれ…その後、なんと保育園入園OKの知らせが届いたのだ。ラッキー!としか言いようがない、タイミングが良かったのだろうと、後で思った。入園9名のうち、秋生まれ6名いた…月齢が近い方が育児しやすいのだろうと。

リアルな再就職活動はこの後になるのだが、今日のところはここまでということで。

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