新世界のあたま #353

サブスクの話。

メジャーシーンで活躍するミュージシャンが、サブスクが主流になった今の時代を嘆くとき、未だに「CDが売れない」という趣旨のことを話していることがある。

サブスクが流行りはじめたころは、CDとの音質の差を取り上げていることが多くあって、「サブスクは視聴機としてアリ」みたいなことを話している人も多かった。そして今、たとえば Apple Music はロスレスでの配信に対応していて、CDの音質を超えてしまっているので、もうCDで音楽を聴く意味はほとんどなくなってしまっている。

音楽そのものを売って食うということは、もうほとんど誰にとっても叶わない夢になっている。ただ、別にそれはもともとそうだったとも言える。そもそ音源をリリースすること自体が叶わなかった時代が長くあった。音楽の質はさておき、「売れる人」が売れていた。純粋に音楽がいいから食えるという時代は、たぶんこれまで一度も訪れていない。

ミュージシャンにとって、なにがいちばん幸せなんだろうか。自分の作ったものが多くの人に喜ばれることだろうか。自分の作りたいものを作り続けられることだろうか。

ひとわかっているのは、音楽が飯の種になることがミュージシャンにとって目指すべき場所であるということが、ミュージシャン以外の人たちも含めて、それがあたりまえのこととしてずっとあり続けているということだと思う。

ならば日本では取り分の少ないサブスクは、ミュージシャンにとってうれしいシステムではないかもしれない。しかしそもそも取り分の配当があるミュージシャンが、世の中にどれくらいいるだろうか。サブスク時代にミュージシャンは食っていけないということを何かしらの媒体に載せて俺たちに向けて発信できる人たちは、そもそも配当がある人たちだ。

そんな彼らを除く氷山の隠れた部分にいる、つまり俺たちは(笑)、もしかすると彼ら以上に作ることをおもしろがれているかもしれないし、もしかすると誰かが聴いてくれることそのものに尊さを感じているのかもしれない。

サブスクは、ある意味で俺たちみたいな人間に正しくミュージシャンという肩書を渡したという意味で、とんでもなくすばらしいシステムだと俺は思っている。


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