新世界のあたま #330
フィールドレコーディングの話。
ハンディレコーダーを片手に、家の近所をうろうろ。ときどき耳に入ってくるちょっとした物音なんかに耳が傾く。その音をピンポイントで録音したくて近づくけど、環境音のなかに紛れているその音をだけを切り取って録音することは、ハンディレコーダーなんかでは絶対にできない。
その中心にある音以外の音は、いわばノイズ扱いになる。俺たちはふだんそのへんの道端を歩いてるときなんかでも、とてつもない情報量の音を同時に聴いているけど、聴いていることにすら気づかないようなポジションの音がほとんどで、それらが重なってノイズを形成している。レコーダーには脳がないので、とにかくそこで鳴っている音を拾う。
よく考えてみたら、人間にはそれができない。脳が必要だと判断した情報をうまくピックアップする。自家製ノイズフィルターみたいな機能が俺たちには備わっている。
ならばハンディの特性はそのノイズを拾うほうにある、ちょっと強引だけど、そう言ってしまってもいい。
歩きながら録音した音を帰ってから家のスピーカーに繋げて聴いてみる。イヤホンやヘッドホンではなく、スピーカーで流す。部屋のなかにとつぜん外が混ざる。それでもあくまで家の中は家の中なので、とても不思議な空間になる。
そしてこの空間を作るのは、やはり環境のノイズだった。耳が勝手に引っかかってくれるような物音は、どこか楽器的に鳴るので、空間を形成する要素にはなりづらい。
ノイズにもいろんな種類のものがあるけど、車が走るノイズだけは本当にいただけない。おそらくあれは物音的で、楽器的な単一の音なのだ。無数の音と音が重なったときに出来上がるカオスなノイズではないので、たぶん協調性がない。音のなかでノイズと分類される音が、最も協調性のあるものだという、なんかちょっと変なところに着地しそうで、ちょっとおもしろい。
今日のMUSICTRICAL
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