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岡山で10年、教育NPOを継続して生まれた変化。NPO法人だっぴ代表 森分志学さんインタビュー

岡山エリアを中心に小中高生と地域の大人や大学生など、従来では無かった出会いを生み出し、10年継続させている教育NPO法人だっぴ。

今回はNPO法人だっぴ代表、森分志学さんにお話を伺ってきました。

だっぴに関わり始めておよそ7年、岡山の教育環境に真摯に向き合ってきた森分さんの目には、岡山における若者の教育環境はどのように映っているのでしょうか。

今回の取材では、岡山の地方教育の成功事例や、地方教育の強みについて、お聞きしました。


プロフィール

NPO法人だっぴ 代表 森分志学(もりわけ しがく)さん

1990年、岡山県倉敷市生まれ。岡山大学大学院教育学研究科卒業。卒業後は、教育系の広告代理店に勤務し、2017年に岡山にUターン。NPO法人だっぴでは、中高生・大学生を対象に、キャリア教育プログラムを岡山県内外12市町村20校以上の学校で展開。コロナショックをきっかけに、小中学生を対象にしたオンラインの学習支援も実施中。

教育NPOだっぴの活動と背景

——教育NPO法人だっぴでは、どのような活動をされていますか?

だっぴで行っている活動は、中高生向けのキャリア教育です。

岡山県内の12市町村の中高生に対して、対話を通して自分の価値観に気づいたり、普段の暮らしの中では出会えない人たちとの出会いの場を提供しています。

メインと言える活動は「中学生だっぴ」というプログラム。

参加した子どもたちの自分に対する自信や、選択肢を出会いによって高めたり、増やすのが目的です。
現代社会における子どもの居場所の種類は、学校と家庭のふたつであることが多く、それは子どもの評価軸の幅が狭いと捉えることもできます。

その子の優しさが評価されたり、たとえ小さかったとしても努力がもっと評価されたりしてもいいはずなのに、学校教育は「勉強の成果」に対しての視点が大きすぎる評価軸になっているのが現状です。

例えば、「中1ギャップ」と呼ばれる現象の1つに、中学校に入ると「勉強」の評価軸の力点が大きくなることが言われています。
小学校では評価されていた勉強以外の部分が、評価のバランスが変わることで、光が当たりにくくなる。

もちろんそれが悪いということではありませんが、その他の選択肢を提示してあげたい。
だっぴという居場所を通して、今見えている世界の他にもたくさんの居場所があることを伝えたいですね。


——「だっぴ」とは、具体的にどういったことを行うプログラムですか?

例えば、「中学生だっぴ」では会の中でトークテーマが決まっていて、そのトークテーマに対してスケッチブックに答えをみんなで書き込んでいきます。

そして書き込んだ答えをもとに、みんなで話し合いをしていくというプログラム。
このような対話のプロセスをとることで、話す人が偏ることなく全員で対話を深めていける空間を作っているんです。

▼中学生だっぴ紹介動画

「中学生だっぴ」は2015年から行っていますが、最近の成果として年間の中学生参加者数が1000人を突破しました。
参加する数が多ければ多いほど、インパクトのある活動なのでいい傾向ですね。

ほかにも「だっぴ50×50」「高校生だっぴ」「ぷち+テーマ」など複数のプログラムがあり、それぞれが異なる若者を対象に自己理解や出会いの場を提供しています。

しかし、現在のだっぴの活動は教育が主たるものですが、昔とは少し違っていて。
だっぴは設立してから実は10年ほど経つNPO法人なのですが、スタート地点は若者が自分たちのこれからの働き方を考えるような活動でした。現在の形になったのはNPOの法人化をするタイミングです。

僕が仕事をやめて、本格的にだっぴに関わり始めたのもそのころ。
試行錯誤のなかでミッションが定まっていき、若者のために人のつながりを提供していく、今の「だっぴ」が出来上がりました。


「だっぴ」が地方に生み出した熱

——岡山県民なら「だっぴ」はほとんどの人が知っていると思うんですが、前身の活動から10年継続してきて、変化はありましたか?

長い時間継続して取り組んでいるおかげか、各地で長い時間をかけて撒いてきた種が、少しずつ芽生え始めています。

例えば備前市では、地元でだっぴ実行委員会をつくってくださっている有志の大人の皆さんが、だっぴというプログラムを超えて、中高生の学びを豊かにするチャレンジを一緒にしています。
もともと備前市は「子育てをより良いものにしていこう」という思いを持った人がたくさんいる熱量高い地域です。

コーディネーターの方の素晴らしい調整と備前市の約200人の大人の方々のご協力のもと、高校生が地域の人を巻き込んでダンス動画を作るというプロジェクトがスタートしました。
これはだっぴからはじまった繋がりが、他の活動を芽吹かせた好例ですね。
他にも盛り上がっている地域としては西粟倉村や、岡山市建部地区などがあります。

僕個人としては、だっぴとしての活動はもちろん、他にも大学で授業をしています。
また、これから関わっていくのですが、国際交流や多文化共生の活動をしたりすることで若者を応援しています。

新型コロナウイルスの影響をうけてはじめた「オンラインまなびば」という新しい取組みもありますね。
オンラインで勉強をしたい生徒に大学生が教えるプログラムを組んで活動しています。
実際に成績が上がった生徒もいたりして、子どもと大学生の力に驚かされますね。


「ダサい」大人の姿を見せる


——森分さんが、教育に関わり始めたルーツはどこにあるのでしょうか?

僕は、岡山大学の教育学部を出ていて、大学院も教育学研究課という場所を出ています。
教育学との関わり始めはそこですね。

しかし、高校生の頃はまったく教育には関心がなかったんです(笑)
「一人暮らしできたらいいや」という感じで大学を選びました。崇高な志はなにもなく、ただそれだけです。

前述のように一人暮らしさえできればなんでも良かったので、高校の先生が勧めるままに国立大学である岡山大学に進学しました。
国立が良かったわけではなく、当時の高校の方針で国立大学への進学を推進していたという理由。学部にもこだわりがありませんでした。

現に大学受験のときは、経済学部を第一志望にしていたのですが、判定が良かった教育学部にあっさり鞍替えしたんです。
「一人暮らし」が目標だったので、合格して一人暮らしが始まった時点で宙ぶらりん。残りはパチンコ・麻雀に明け暮れる日々が始まります。

あっという間に卒業が近づくと、就職活動が始まります。そして「学生時代に頑張ったことが何もない」ことに、就職活動の面接で気付くんですよね。ほんとうに何も考えていなかったので、愕然としました。

面接で一緒になった他の学生はバックパックで好きな場所を旅していたり、起業していたり。みんな、自分のやりたいことを思い切りやっていた。一方で、僕にはなんにもなかった。


——そういった過去も、現在の具体的な活動にも繋がっているのですか?

自分のような思いをするような人間を、再生産しないようにしたいなと思っています。
そんなことがルーツとなって、若者に関わり続ける活動を行っているんです。

また、そういった弱い部分というか人間の綺麗ではない部分も、だっぴのイベントに登壇してくださる方々には見せてもらうようにしています。

若者が、大人を立派すぎるものだと感じてしまうのは、あまり良くないことだと思っていて。
大人もみんな、少なからず苦しんでいる。弱い部分も子どもに見せてあげる姿勢も、重要なのではないかと思っています。


地方教育の強みは「村社会」

——地方の教育課題に取り組んでいる森分さんから見て、地方の教育における強みとはなんなのでしょうか?

地方の強みは、東京のような成熟都市にくらべて、村社会を起源としたコミュニティが残っていることだと思います。つまり、昔のように地域共同体が一丸となって子どもの成長を助けていく風土が残っているということですね。

だっぴの活動のもうひとつのミッションは、コミュニティの力を社会教育の力にも変換できるようにすること。
社会教育はそもそも地域コミュニティが担ってきたものだと思いますが、地方においても、つながりの希薄化が叫ばれているように、コミュニティの力は衰退しているようです。

ただ、都市部は共同体が存在していないところからスタートなので、その意味では地方にアドバンテージがあるとも言えるのではないでしょうか。
とりわけ、岡山県は「市民活動が活発だ」と他県の方から言われることが多いので、地域がもつ潜在能力は高いと思っています。
だっぴの活動によって、その潜在力の再編集に寄与できればよいなと思います

一方で人口減少が進む多くの地方では、ひとつの地域にたったひとつの小学校しかなかったり、その進学先の中学校もひとつしかなかったりするという状況が生まれてしまうことがあります。
こういった状況の何が子どもたちにとって問題か。

それは多様性が少ないことによって、小学校に入ってしまった時点でコミュニティ内で自然に形成されるキャラクターをずっと背負わないといけなくなってしまうことです。
押し付けられたキャラクターとは違う人格や性格が自分のなかにはあるはずなのに、選択肢が少ないことによって、そのキャラクターを長い間引き受けないといけないといった状況があるんですね。

誰しもがコミュニティによって違う顔を使い分けているのに、生まれた場所によって、それができなくなってしまうのはとても苦しいでしょう。地方の教育現場の構造の生み出す問題としては非常に根深い。

この問題に対するアプローチのひとつとして、だっぴの活動が起点の1つになればよいなと思います。
生きやすいと感じる居場所をふやしてあげたいですね。


「異なる他者との出会いと対話」を若者に


——だっぴがあることによって、これまでの自分のキャラクターから一皮剥けた自分になれるのですね。

まさにそうだと考えています。
「異なる他者との出会いと対話」を提供していくことは非常に大事です。
出会いの中で自分の息がしやすい場所を見つける。

生きやすい場所に片足を置いているからこそ、自分が成長できると思えるような少しだけストレッチした挑戦ができる。
既に苦しい場所にいるのに、より苦しいことをしようとは思いません。

また、他者との関わりによってしか自尊感情は育たない。今の日本の子どもって自尊感情が低いんですね。

自尊感情が低くなっている原因として、はっきりとした結論はないのですが、他者との関わりの希薄化は間違いなくあるでしょう。
他にも、内閣府の調査によって明らかにされていて、自分が役に立たないと感じていることが関連していることがデータによって見えてきます。

参考:特集1 日本の若者意識の現状~国際比較からみえてくるもの~|令和元年版子供・若者白書(概要版)

なぜ、自己肯定感の向上に他者からの承認が必要なのか。
内閣府の子ども・若者白書によれば、日本人の自己肯定感は自己有用感すなわち、誰かの役に立ったという感覚との関連性があります。
これは海外の若者と比べても特徴的な部分だそうです。

アメリカなどの契約文化の社会システムと比較すると、日本はいわゆる村社会で、帰属意識と他者性の関連は歴史的にも深そうに思えます。日本人の自己肯定感の向上には他者が必要であるという前提に立つと、地域コミュニティが失われつつある現代では、他者が登場しにくい。

コミュニティの衰退は、他者から受け入れられる経験を減らしてしまっているのかもしれません。あるいは、「とりあえず何かやってみる」という経験がなければ、他者からフィードバックをもらうことがそもそもできません。

だっぴが提供する「異なる他者との出会いと対話」は、そうした自己肯定感の向上にも寄与していけるのではないかと考えています。

学校のもつ役割とアウトソーシング

——学校や家庭外のフィールドで教育活動をしていく中で、逆に学校や家庭での教育の問題点は見えてくるものでしょうか。

学校の教育環境で言えば、先生たちが叩かれすぎていること。このことは最近気になっていますね。
教育の担い手を、「学校・家庭・地域社会」だとするなら、地域社会におけるコミュニティの衰退とともに、そこが担える役割はどんどん少なくなっています。

その分、学校に期待される役割が増えてきてしまっている。
社会教育がもつ「学校教育の補完性」の機能が揺らぎつつあるとも言えます。

どのあたりまでアウトソーシングするかという問題は、「学校の役割」にも関わってくる話なので難しい。
しかし、外へ出すことで労働環境や質を向上させられる部分は、いくつもあると思います。

例えば僕が思うのは、進路指導。
学校の先生の間では、先生以外の大人も生徒に関わった方がよいと考えられていらっしゃいます。
現在は、社会に開かれた教育課程が求められているんですね。

そういった多様性の観点からも、先生の仕事を減らして他の部分に力を注げるようにするためにも、進路指導を外部に委託するという選択肢はありえます。

役割分担によって先生の労力を減らし、先生が得意な部分に力を注げるようにするためにも、多様な人が教育に関わる視点は重要です。
他にも、教育の抱えている問題としては資金面のことはずっと言われていますね。
公立の学校に配られているお金は非常に少ない。

参考:公教育費政策の現状と課題-

OECD、2020年版「図表でみる教育」を発行

学校以外の教育団体でも同様の問題としてあります。教育界隈で働いている人に悩みやジレンマを聞いてみると、だいたい「お金が無い」という話になりがち。

じゃあ、自分の達成したい目標は、お金さえあれば本当に達成できるのか?という話はまた別の話ですが……。
ただ、確かにお金の問題は大きい。お金があれば、継続的な活動を作っていける可能性は上がる。

お金が無い状態では、そもそもお金をとってくるために本質的では無いことをしなければいけなくなったりします。
お金が無いから、それを解決するための行動を迫られる状況はジレンマになります。
向き合い方がズレてしまうと歪みを産んでしまう。

例えば、だっぴに関わってくれた優秀な学生さんを就職斡旋して仲介料をとるというビジネスの形にするとしましょう。
この形にすれば、もっとお金は生み出せるかもしれない。

しかし、何を評価し目標とするかという指標について、設定の仕方を間違えると、「若者に異なる他者と出会い、対話できる場所を作る」という本来の目的からどんどんズレてしまいます。
歪みを産まないために、必然的にジレンマを抱えつづけることになるんですね。

一方で、学校の先生が持っているひとつの豊かさは、お金のジレンマを抱えなくても良い点にあると思っていて。
学校の先生たちは公務員なので、「給与がなくなる」という心配はする必要がありません。
ひたすらに子ども・若者に向き合える環境にあるという特権を持っていると言えなくもないですね(笑)

だから、先生たちが本来の目的を十分達成できるように、役割の範囲を見直すのは重要だと思います。


居場所コミュニティとうまく付きあう


——だっぴの活動が抱えている課題はありますか?

子どもたちが安心安全な空間で「異なる他者と出会い、対話ができる」という環境をつくっていくことは、だっぴの役割の1つです。

しかし、(だっぴに限らず)時には作ったコミュニティが、若者の成長や学びを停滞させてしまうことがあるかもしれません。

知らなかった人と信頼関係を築き、その関係性を自分の居場所だと感じることはとても大切なことです。
その関係構築において、はじめはその若者にとってストレッチゾーンだったわけですが、時間経過とともにコンフォートゾーンに変化していきます。
そして、ずっとコンフォートゾーンにいると成長はできません。

居場所があることは当然重要である一方で、そこに依存し過ぎないバランス感覚もまた大切なんだと思います。
そのため、いくつかのコミュニティに越境していけると良いなと思います。

信頼関係を築いた大人が持つ、つながり(コミュニティ)にお邪魔してみたり、その先で新しい取り組みをやってみたりしてもよいと思います。

安心できる居場所に片足を置きつつ、別のコミュニティは自分の未知に触れ、挑戦できるようなストレッチ(未体験)ゾーンとして関わっていく。
学校と家庭だけが世界のすべてではないように、だっぴも世界の全てではありません。

コミュニティ作りの過程で起きてしまう「過剰な居場所化」という側面もあることを意識に入れておきたいところです。


地方ならではの教育のフォーマットを。


——「地方教育の課題を考える」というテーマでお話してきましたが、森分さんから見て、だっぴが与える地方教育への影響は何でしょうか?

時代の流れには逆らえず、都市部だけではなく地方でも、地域コミュニティはどんどん衰退しています。
そういった中で学校と家庭以外の居場所を作り、未来を模索する若者と魅力ある大人が出会う場所を作り続けていきたいですね。

ただ、現在のだっぴの活動だけで、地方の教育課題を解決できるというほど、課題はシンプルではありません。
問題は複雑に絡み合っているわけですが、だからこそローカルで、そこにいる人たちが対話して意思決定していく必要があると思います。

だっぴの活動は、教育に関わる大人を増やすアクションでもあると思っています。
多様な人が教育に関わり、子どもたちの教育の環境をより豊かにしていける地域を目指したいです。
例えば、「地方」というワードに着目すれば、都市との違いに目を向けることになります。地方と都市の教育環境では、想像するだけでも大きな違いが。

参考:英語民間試験だけではない。親、塾、高校のレベル…地方と都市部が抱えるこれだけの格差

例えば都市には塾がたくさんあるし、美術館や博物館などの文化資本の数も豊富です。
そこだけ見えると、環境的に格差があると言えなくもないのですが…。
それは、都市部にある環境を地方部でも再現しようとする前提の中での格差だなとも思います。

地方にある資源を活かしてつくられた学びが増えて、子どもたちに向けてもっとカスタマイズできるのではないかと最近は考えています。まだまだ答えは出ていないんですけどね。

東京でつくられた教育のフォーマットにただ載せるのではなく、地方の子どもたちに向けてオリジナルのものを提供できたらいいなと思います。多様な人が教育に関わり、子どもたちの教育の環境をより豊かにしていける地域を目指したいです。

インタビューを終えて

岡山県内の学生なら知らない人はいないというほど、幅広い活動をされている教育NPO法人だっぴ。

熱いお話を伺う中で、だっぴが長く愛される理由がよくわかりました。
長く岡山の教育に関わってきた森分さんが考える、地方教育の強みは「村社会を起源としたコミュニティが残っていること」。
昔のように、地域共同体が一丸となって子どもの成長を助けていく風土が残っていることでした。

だっぴは、まさに世代を超えて一人一人が一丸となって子供の成長を助けていく学び場です。地方においても、つながりの希薄化が叫ばれている今、だっぴのおかげで「生きやすい」と思える居場所を見つけた人も多いのかもしれません。

若者と大人が対話し、視野を広げる活動を行っている森分さんに話を聞いていく中で、地方の教育課題の一端が浮かんできました。

「異なる他者との出会いと対話」を軸に地方へ社会教育をインストールしていく試みは、既に盛り上がっている地域もありますが、森分さんからはまだまだ、これだけでは十分ではないとのコメントも。

地方教育をとりまく複雑な要因は様々あります。ですが、地方オリジナルの豊かな教育環境を目指す、という森分さんの言葉はとても心強く感じられました。


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この記事は、過去のインタビューを『無花果シロ』としてnoteに移転したものです。現在と状況等変わっている場合もあるかもしれませんが、その場合はご了承ください。


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