シアター・ホームステイinアトリエ銘苅べ―ス④
滞在四日目。
沖縄の猫は顔立ちがりりしく、人懐っこい感じがします。
この日は当山さんにアテンドしていただき、午前中にひめゆりピースホールの見学へ伺いました。
ひめゆりピースホールがある栄町市場は、地元の皆さんをして「何度行ってもぜったいに迷う」と言わしめるカオスの街。
元々”ひめゆり”ことひめゆり学徒隊の母校である、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校跡に建っていたところが沖縄戦で焼け野原になり、戦後そこへ市場が立ち、飲食店が並び、遊郭や学校が建ち、都市計画というものを考えるよりも先に戦後の沖縄の人々のバイタリティの迸るままに街の形になっていったとのことでした。
ひめゆりピースホールは元々ひめゆりの同窓会の方々の持ち物で、同窓生の方々が定期的に合唱を行ったりされるのだそう。詳しくはこちらに。
ひめゆり、と聞くと、たとえば私の世代だとマームとジプシーの藤田貴大さんの演劇作品『Cocoon』(今日マチ子さんの漫画原作)を思い浮かべますが、当山さんが沖縄・復帰50年現代演劇集のフライヤーに掲載されているインタビューで「自分は先輩方の沖縄戦を扱った芝居をみてきました。でも、体験した方の描写は怖かったし、リアルだった。だから観終わった後のショックが大きかったんです。で、経験していない私は何をどう伝えていいのか分からなくて。」と仰っていたりするのを読んだりすると、沖縄の方々が考える沖縄戦と、本土の人間が想像する沖縄戦というのはその重みが(もちろん)異なるのだろうなということを、つらつらと思いました。
そしてこのひめゆりピースホールは、劇場としても使用される傍ら、今も必ず週に一回はひめゆりの同窓生の方々のために場所を開放されているそうです。
コロナ禍による経営難に直撃を受け、現実的には運営も厳しいものの、場所がなくなってしまうとひめゆりの同窓生の皆さんが集まることのできる場所が失われてしまう。そうしてはいけないという志でもって運営されている場所とのことでした。
下山さんはプロデューサーとして『りっかりっかフェスタ』も手掛けられており、このフェスティバルでは世界中の優れた演劇作品がずらりと並び、沖縄の子どもたちはそれらの作品を一ヶ月で観られるのだそうです。
そのあと車で移動し、那覇空港近くの瀬長島へ。
すぐ真上を飛んでいく飛行機を、下から眺めます。
この瀬長島は近年リゾートとして開発されたときに全体としてエーゲ海をイメージされたのか、建物がほとんど白色(まっしろ!)のコンクリで建てられており、晴れた日には日差しが激しくハレーションを起こして目を開けていられないほどなのだそうです(この日はいい感じに曇っていた)。
その後車で30分ほどかけて南へと向かい、糸満市のひめゆり平和祈念資料館へ。
ピースホールがあった那覇市内のあの場所から、車で30分以上はかかる糸満市のこの地まで当時の女学生の方々が歩いて移動して従軍し、激しい戦火に晒され、その多くが亡くなられたことを思うと言葉もありません。
THE BOOMの『島唄』の歌いだしの「でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た」のでいごの花。ここで唄われる”嵐”とは上陸してきた米軍のことなのだそう(ご存じの方も多いかもしれませんが…!)。
そしてその後はまた当山さんの運転で那覇市へと戻り、公園の猫に癒される一幕も。
そしてめちゃくちゃおいしい魚屋さん直営の食堂でお昼ご飯を食べ、那覇文化芸術劇場なはーとへ。
実はこちらのなはーとで現在総合プロデューサーを務めておられる崎山敦彦さんには、私がまだ大学生の2012年のKAAT(神奈川芸術劇場)の運営インターンに参加した折にお世話になったことがあり、10年ぶりに、まさかの那覇で再会することができるとは思ってもみませんでした。
なはーとの設計は、香山建築研究所さんによるもの。劇場設計の雄。
なはーとでは、新しい劇場ということもあってたくさんお話を伺うことができ、それだけで結構な分量になってしまいそうなので、稿を改めたいと思います。
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