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中秋の名月、それはまるい

「なんでこんなになってるのに誰も何も言ってくれなかったんだろう」と思うことがある。

体型の話である。

正確にはここに至るまでに周りの人が「おかしいぞ」というサインを折に触れて送ってくれていたのだが、当の本人にその自覚がないために、それらを完全に見落としていたのだった。

ZOOMの画面に写る顔のサイズだけで爆笑されたり、後ろ姿を見た人が「おかしいだろ!」と思わず声を上げたり、たしかにそういう兆候みたいなものはあった。

(ただその時は素朴に「なに笑ってんだこいつ」と思っていた)

「近ごろではオーヴァーサイズが流行っているものな」と思って、元々LサイズだったはずのTシャツも、気が付けばXL、ともすると最近はXXLとかで買ったり注文するようになっている。

今なら分かる。

流行りなんてものは甘え、おためごかしである。

苦しくてLがもう着られないのだ。着るとムチムチのハムみたいになる。

毎朝着る服を選ぶ時も、毎夜寝巻きを選ぶときも、無意識にLサイズのTシャツをよけている。

ゆったりした服が着たいとからだが本能的に望んでいる。

二十歳を過ぎて、きちんと物心がつくまで「ああ、肌寒いな」という時に一枚サッと上に羽織ることが出来なかったように、己のからだについた脂肪量(と、自分の身体のサイズ)をついに正しく認識出来ていなかった。

こぼれた牛乳を嘆くみたいに、取り返すのがやや難しい状況になってから悔いる。

肥満体というのは往々にしてそういうものである。


さてこの夏、10代の頃からずっと大好きなバンドがオンラインでライブを配信するのを観ていた。

そのバンドのフロントマンは私が17歳で初めてライブで目の当たりにした時と同じスニーカーを履き、同じようにファンに語り掛け、そして同じようなほっそりとした体型をしていた。

(ベースの人はしっかり中年太りしていたが、)

そのフロントマンのあの頃と変わらない姿と、「嫌なこととか大変なことばっかだけど、続けてみるといいこともあるかもね」みたいなMCに、iPadの画面越しにそれを眺めながらうっすら涙を浮かべたりしていた。

それにくらべて自分はなんだ、この10年間で適正体重みたいなものすら定められず、季節の変わり目ごとに膨らんだりしぼんだりを繰り返している。

パチンコ屋の店頭のバルーンの人形じゃねえのである。

年齢も三十路にさしかかり、体型に一貫性がないとむかし誂えたスーツや礼服などといった一張羅的な服も着られるものが少なくなる、みたいな現実的な不具合も重なるのだった。

せっかくだし、そろそろ自分自身の体型について決定版みたいなものを定めようと思った。

満ちた月は、欠けるのである。

(つづく)

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