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#002 やさしさという個性について | 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

「あなたの個性は何ですか」
「あなたらしさがよく表れているエピソードを記述してください」

最近就職活動を始めた私は、このような文言をよく目にします。

個性、長所、あなたらしさを教えてください。

そう問われて、すぐに思い浮かぶ人ってどれくらいいるのでしょうか。

今回は、村上春樹さんの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んで考えた、個性についての話です。


本書のあらすじは以下の通り。


主人公の多崎つくるは名前に色を表す漢字が入った4人の友人ら(赤松慶、青海悦夫、白根柚木、黒埜恵理の4人。それぞれアカ、アオ、シロ、クロと呼ばれる)と共に、高校時代を名古屋で過ごします。5人のうちつくるだけが東京の大学に進み、残り4人は地元名古屋でそれぞれ進学しますが、高校卒業後も定期的に集まっており、環境が変わっても彼らの絆は強固なままであるように思われました。

しかしある日突然、つくるは4人から、金輪際関わらないでほしい、と理由も明かされないまま絶縁を言い渡されるのです。ショックのあまり、彼は半年ほど死の間際をさまようことになります。

なぜ自分はグループから追い出されなければならなかったのか。その後16年の時を経て、30代半ばに差し掛かったつくるは、沙羅という2つ年上の女性の勧めでその謎を解明すべく、ほかの4人に会いに行く決心をします。自分を捨てた旧友たちを巡る、彼の「巡礼」の物語です。




※これ以降は一部ネタバレを含みます。ご注意ください。





つくるの単調な人生

主人公のつくるは高校時代、勉強はそこそこできたものの、これといった才能を持っているわけでもなければ、顔立ちがとびきり整っているわけでもない、言わば「普通の」青年でした。高校時代のほかの4人の友人がそれぞれ個性を持っているのに対して、自分は何一つ個性がなく、つまらない人間であること(本人はそう感じていた)に劣等感を感じていました。題名に含まれる「色彩」とは、個性のことなんですね。

さらにつくるの無個性は、ほかの4人と対比した場合の、彼の人生にも表れています。詳しくは是非本書を読んでほしいのですが、ほかの4人は転職を繰り返したり、外国に移住したり、なかには波乱万丈とも言える人生を歩む者もいますが、つくるは幼少期からの一貫した、鉄道駅を作るという「限定された興味」に従って工科大学を卒業し、鉄道会社に就職します。特に苦労もせず順調な人生ではあったもの、ほかの4人に比べてそれが単調であることは確かでした。

等価交換で人間関係を考えるつくる

さらにつくるは、あらゆる人間関係は等価交換により成り立つものだと考えます。他人とかかわる際には、必ずこちらが何かを差し出して、そうして初めて相手から何かを受け取ることができると考えていました。
以下の記述からもわかる通りです。

人と人との結びつきなのだ。受け取るものがあれば、差し出すものがなくてはならない。

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文藝春秋、p20

結局のところ、人に向けて差し出せるものを、おれは何ひとつ持ち合わせていないのだろう。

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文藝春秋、p124


彼は自分に何も個性がないこと、すなわち相手に与えるものを持ち合わせていないことを負い目に感じます。そのことで彼は自分に自信が持てなくなり、関わる相手との間には常に一定の距離を置くようにしていました。そうすることで自分が深く傷つくのを防げるからです。恋人・沙羅との関係を一歩前に進めたいけれども、自分が無個性であることに彼女が失望するのを恐れて、なかなか踏み出せずにいたのは、その最たる事例です。

つくるは本当に無個性だったのか?

しかし本当に、多崎つくるは彼自身が思うほど無個性でつまらない人間だったのでしょうか?
私の答えは否です。

「生きている限り個性は誰にでもある。それが表から見えやすい人と、見えにくい人がいるだけだよ」

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文藝春秋、p315


これは高校時代の旧友の4人のうちの一人で、現在は夫とともにフィンランドで生活をするクロという登場人物の言葉です。

例えば勉強や運動ができる、容姿が端麗である、何かに秀でた才能があることなどは、どれも分かりやすい個性だと思います。色彩あふれるつくるの友人たちは、皆が鮮やかな色のついた、表から見えやすい個性を持っていました。それに対して、つくるは個性を持っていなかったのではなく、その個性が見えにくかっただけなのです。ではそのつくるの見えにくい個性とはいったい何なのか?

その答えは読み手の受け取り方次第で千差万別であるかと思います。むしろそれこそが小説・文学の醍醐味であることは言わずもがななのですが、私の目には、本作で描かれている多崎つくるという人物は「やさしさ」「包容力」という個性を持っているように映りました。


まずは「やさしさ」について。これまで述べてきた通り、確かに彼は特筆すべき個性は持っていませんが、詳細な描写に注目してみると、随所で彼の温かなやさしさに触れることが出来ます。ネタバレになるので多くは語りませんが、普通の人なら怒ったり悲しんだりするような理不尽な状況をも、いったん立ち止まって受け止める静かなやさしさや、相手を思いやる繊細な心が彼にはあるのです。


さらに、彼の「包容力」に関しては、次のクロのセリフが、端的かつ美しくそれを表現しています。

「たとえ君が空っぽの容器だったとしても、それでいいじゃない。(中略)もしそうだとしても、君はとても素敵な、心を惹かれる容器だよ。自分自身が何であるかなんて、そんなこと本当には誰にもわかりはしない。そう思わない?それなら君は、どこまでも美しいかたちの入れ物になればいいんだ。誰かが思わず中に何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に」

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文藝春秋、p323


どうですか。沙羅との関係を前に進めたいけれども自信が持てないつくるに、クロがかけた言葉です。クロ、本当に心温まることを言ってくれますね。私がこの本の中で1番好な一節です。

自分には特別な個性もなく、空っぽな人間だと思っているのなら、その空っぽな容器で悲しんでいる人を受け止めてあげたらいい。何かを与えるばかりでなく、誰かを受容して、安らぎをもたらしてあげることも、広い意味で考えたら「与える」ことの一つになりうるのではないかなと感じました。実際、本書に登場する灰田というつくるの友人は、この彼の個性に気づいており、彼と時間を共有することに居心地の良さを感じていたのですから。

しかしこうして中身を欠いていればこそ、たとえ一時的であれ、そこに居場所を見出してくれた人々もいたのだ。

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文藝春秋、p245


私たちの生きる現実世界でも

ここまで物語の中の話をしてきましたが、私たちの生きる現実世界にも、つくると同じような悩みを抱えている人は、少なからずいるのではないでしょうか。


自分には何も個性がない。
相手に与えられるものを何も持っていない。
自分は取り替え可能な存在で、自分が必ずしも自分である必要はない。

しかしそう感じる原因の大半は、そこに確固として存在するものの、その個性に色がついておらず、表から見えにくいからなんだと思います。クロの言葉は、そうした人々への励ましや勇気となりうるのではないでしょうか。


まとめ

今回は本のストーリーや内容にはあまり触れず、「個性」をテーマにして色々と書きましたが、本作は話の展開も大変面白く、楽しんで読むことが出来たので、気になる方は一読をお勧めします。やはり村上春樹さんの独特の比喩表現は読んでいて心地いいです。

また今回は触れられませんでしたが、読後多くの疑問・考察の余地が残る作品でしたので、これらに関してはまた別の機会で書くことが出来たらなと思います。

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