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写真は今しか撮れない

昨日出かける前に、台所に行くと母がキウイを小さく切っていた。大きなボールに大量の細かいキウイ。
わたしは「ジャムにするんだねー」と言いながら、パクリとつまみ食いして、出かけた。
車の中で、あのキウイはすごかったな(母ひとりであれだけ切ったことに)と思い出していた。
そして、ああいうときに写真を撮るんだ!と気がついて、残念は気分になった。

家に帰ったら、ジャムの一部がカウンターに置いてあった。
仕方ないので、出来上がったジャムの写真を撮った。



味見用に置いてあった。あとは冷凍したんだろう
やめられない美味さだった。

写真は、「今」を残すものなんだと、実感した。あの朝の山盛りキウイはもう2度と見ることができない。
文章は、思い出しながら書ける。「今」を書き残すのもいいし、時間がたって、出てきた思いを書くのもまたよし、だ。
でも、写真は違う。思い出して撮ることができない。
そうか、だからカメラを持ち歩いてすぐに撮らないといけないのか、とよく聞く言葉が腑に落ちた。
仕事帰りの夕暮れ、おもしろい雲、完璧な形のイチョウの木、日々感動している風景は、今しか見られないものだ。
心に焼きつけよう、と思ってよーーく見るようにしているけど、日常生活に追われて、すぐに上書きされていく。

たくさん写真を撮ろう。


今朝、食べたもち
お餅は、お腹いっぱいでも食べられるから不思議。
砂糖醤油多かった。
もう少し焼いてもよかった(待てなかった)


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