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辞めることをやめる〜カッコ悪くていい〜

以前、仕事でモラハラな人のところに仕事に行っている、と書いた。


これを読むとまあまあ晴れやかな気分であるけれど、現実はそうでもなかった。

最後から2番目の仕事の日、その人に最後のご挨拶をしようと思っていた。
でも、その日、その人の家に入ったとたん、喉カラカラ、心臓バクバクしてきて、わたしは挨拶どころではなくなってしまった。身体の声を優先するべく、今日は挨拶はやめようと決めた。
それなのに、そんな日に限って、その人と2人になってしまった。
「うわぁ、これは何か言わないといけない状況だ……汗」
ということで「今月で終わりですね、今までありがとうございました」……と言った……かどうか覚えていない。
というのも、そのモラハラの人が、激しく怒鳴ってきたから。
「最悪!」という言葉をわたしの記憶では、3回は言われた。最後に「経営者の顔が見たい!顔を見せにきなさい!誠意があるなら!!」と言われたため、すぐに上司に伝えて、翌日社長と所長がその人のところに行くことになった。

翌日。
上司たちにその人は
「ともここさんのために言った。他のところであんなことをしないために」
「ともここさんのせいで会社の評判が落ちるのは、良くないから、言った」
みたいなことを言っていたそうな。
わたしは、しつけと称して子への暴力を正当化する親の姿と重なった。彼女の中では、これが正義なんだろうな。
モヤつくところもあるけど、終わったことにはとりあえずほっとした。

しかし、それ以来、他の人と接するとき、いつも優しいこの人も豹変するんじゃないか?と猛烈に怖くなることが増えた。
怖くて、退職を真剣に考えて、上司に「辞めます」と伝えた。
同じ日に、同業者に仕事の相談をされた。イキイキとアドバイスをしている自分に驚いた。1日迷って、わたしは、まだこの仕事を続けたいと、翌日上司に「辞めることをやめます」と伝えた。
カッコ悪い、と思ったけれど、上司に伝えたことでなにか動いた感じがある。
頭の中で考えているだけでは、何にも始まらないし、終わらないんだと思う。

そして、カッコ悪いところを見せることができたことで、わたしの「ちゃんとしていないと、必要ないって捨てられる」「すごいと言われる仕事をしないといけない」という思い込みが外れた。

それ以来わたしは、仕事では「わたし」でいるか、どうかを確認している。
「わたし」よりも大きく見せようとしていないか
「わたし」よりもドラマティックにしようとしていないか
そうしたい癖があるから、そこは冷静に眺めるようにしている。
そして、「わたし」として仕事をしてみる中で、自分自身がつまらなくなったり、状況の流れがおかしくなることがあれば、その時こそ辞める時なんだと思うことにした。

まだまだモラハラな人のことを思い出すと、血管が縮こまるような、身体が押しつぶされるような辛い気持ちになる。
感謝するような方向に持っていくことはせず、思い出したら、辛かったね、と少しだけ感じて、気持ちを切り替えるようにしている。
この出来事に対する私の気持ちは、これからどう変化していくのか、要観察だ。

こうして、わたしの気持ちは落ち着いた。

辞めるのをやめて、仕事に対するわたしの最大のニードは「休みたい」だと気づいた。
良い人だと思われたくて、他人を優先させて、休みなんて取ってこなかった。
これからは、遠慮なく有休を取ろうと思う。
「わたし」であることがなによりも大事なんだから。


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