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恐怖よ、さようなら

断捨離熱、再燃。
今朝、押し入れの中のカラーボックスが一つ不要となりました。
これを持っていることを含めてわたし、なんだと思っていたものもメルカリに出品中。

ものをもっと手放していいと確信したのは、わたしのままで生きていくことができると分かったから。

ある日の日記より

わたしは、わたしの全てが、母への恐怖で洗脳されていた、と分かった。
母に何か伝えたら「怖い、怒られるかも」と思っている自分に気がついた。気がついたというより、やっとそちらを見ることができる自分になった、その余裕ができた、という感じ。
そしたら、ものを手放すことに躊躇している必要がなくなった。
母への恐怖という重りがなくなり、わたし自身で生きていくことができると分かったから、モノは必要ないし、今まで眼中になかった私服の制服化もいいな、と思えた。

ここまで。

母とは今も一緒に暮らしている。怖くて家を出られなかった、というと情けないし、恥ずかしいし、惨めな気持ちになる。でも一理ある。
一緒に暮らすのは、いい点もあるわけで、この「怖くて…」というのは、わたしの思い込みもあると思う。

母がどんな人であろうと関係なくて、わたしの気持ちが母への恐怖という思い込みとかホオポノポノの記憶まみれになっていることが問題なんだと思う。
わたしがわたしとして生きていくことが大事。

わたしにはいつも恐怖心と不安と罪悪感があった。なんで?と思うことでも怖かった。そんな日々だから、本当に生きるのが嫌だった。ここ数年は消えてしまいたいと思っていた。
でも、母のことに気づいて、わたしは「生きてやる!」と思ったのです。
こんな風に生きることに貪欲になったのは、初めてなんじゃないかな。

母への恐怖(から始まって出てきたいろんな恐怖)は、これからわたし自身が浄化していきます。恐怖が表面に表れてきてくれたことに感謝。
対面し向き合えたのは、自己信頼が高まってきていたことが一番の要因だと思う。
長くもがいてきたけど、生きていてよかった。

そんな気づきがあってから、胸が軽いです。胸に母への恐怖が詰まっていたのかな。
あとわたしのインナーチャイルドが、安心して、大の字になってすやすやと昼寝
していることが多くなりました。好きなだけ眠ったらいいよ〜。ずっと怖くてできなかったもんね。

では、また






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