見出し画像

『鑑定士と顔のない依頼人』を観たら居ても立ってもいられなくなったので感想を書いた(ネタバレ含む)

 私のGoogleChromeは備忘録としても機能させており、恥ずかしながらタブが35も開いている。それを眺めていたらこの映画の考察記事のページが残っていて、また、あぁ……となってしまった。もう、この映画のことを考えると胸が苦しくて切なくてたまらないです。なので感想を書くことにしました。

 初めに注意ですが、この映画は“感想がネタバレになる類の映画”です。個人的にこの映画は、観るならネタバレ見ないで観てほしい、そんなタイプの映画なので気になったら映画を観てからこれを読んでください。それでも、ネタバレ大丈夫だよ! って方もいると思うので好き好きによしなにしてくださいませ♡

 それではいきますよ?


 まず、監督はジュゼッペ・トルナトーレ。知らない監督だ、と思いながら鑑賞開始したのですがここで既に誤認識。私、この監督ふつうに知っている!! 上記の画像を見て気づいたんだけど『ニュー・シネマ・パラダイス』の監督だ!! しかし私、未だにこの映画を観たことがない(※観た方がいいですか? 誰か教えてください)。
 じゃあなぜ知っているの? かと言えば、『ニュー・シネマ・パラダイス』の監督、イコール『海の上のピアニスト』の監督だと知っているからだ!! つまり、私は海の上のピアニストが好きです……(いつでも観れるようDVDを持っている。しかしまだ一回しか観ていない、蛇足)。
 なんとなく、言われてみれば海の上のピアニストを観たときも胸を引っ掴まれてこんな感情になった気がした、私はトルナトーレの映画が好きなのかもしれない。

 余談だけど『海の上のピアニスト』の音楽はエンニオ・モリコーネが担当していて、このエンニオ・モリコーネは映画界では著名人のようだと最近私は覚えた。『ニュー・シネマ・パラダイス』の音楽もこの方です。たとえばタランティーノの『ヘイトフル・エイト』も。そしてなんでこの話をしているかと言うと、たしか、近々トルナトーレが監督したモリコーネの映画が上映されるからです。嘘、ググッたらなんとちょうど今公開中だった! 観に行かなきゃ!

 さて、そろそろ本題に入ります。

 私は多分この映画を、胸糞悪くなる映画のまとめ記事か何かで記憶して、気になるけど胸糞系なんだな……と感じて敬遠をしていた。それでも観ようと思ったのは会社の上司と(経緯は忘れたが)この映画の話になり、「胸糞悪いというほどでも……」という身近な他者の一意見を得たからだった(ちなみに今度その上司と会社で『ヘイトフル・エイト』を観る)。話は戻り、それなら気になっていたし観てみようと思い、鑑賞し、この感想を書くに至るほどには囚われてしまっている。

 この映画のエンディングが忘れられない。とても美しい幕引きだった。とは言え、観終わった直後はただひたすら、呆然……だった。マジで観てよかった、観てよかったけれど、マジで切なくて胸が苦しい。

 これちょっと、この映画のオチを書かないことには私の書きたい感想が書けないことに気づいたので完全なるネタバレを書きますが、この映画が描いた物語を簡潔に=暴力的に要約してしまうならばこうです。

「凄腕の美術品鑑定士(老人)が、唯一恋に落ち愛した若い女性、そしてその仲間たちに手の込んだ芝居で騙され、長年大切に・厳重に保管してきた価値ある名品を、何百という単位の絵画を全て奪われ、もちろん愛する女性とももう会えない」。

 凄腕の美術品鑑定士はヴァージル。そして彼が唯一愛した女性は“クレア”という。“クレア”はずっと嘘や芝居を重ねてヴァージルを騙していて、そしてその周りの友人や青年、etc. もヴァージルを騙していた。もう本当に……愕然としてしまうような展開なんだけど、ヴァージルが一番にショックだったのはやはり“クレア”に騙されていたということだったんですよね。もちろん、名だたる美術品がごっそり奪われてしまいもう二度と手元に戻らないことも、友人たちに騙されていたこともショックだったはずだけれど、ヴァージルはずっとずっと、“クレア”のことを考えていた。終盤はそうした描写がずっと続きます。

 私が印象に残っているのは、宇宙飛行士がトレーニングで使うようなぐるぐる回転するあの機器で、ヴァージル自身がぐるぐるしながら、“クレア”との想い出――さらに言うならば彼が初めて好きな女性=“クレア”とした性行為――を回想するシーン。ぐるぐる回転しながら彼の表情がアップで撮られており、不安だとか呆然とした面持ちだとかがすごく記憶に残っている。そうした、精神的な不安定さや悲しみを巧く描いたシーンだったな、と感じました。

 そんな感じで事件の後、ヴァージルは病院(精神病院かな……)に入院したりとかなりの心の傷を負って過ごすのだけど、やがて段々回復してきます。そんなヴァージルは「ナイトアンドデイ」というレストランに赴くのです。

「ナイトアンドデイ」――これは、“クレア”がヴァージルにした話の中で出てくる、彼女にとっての思い出のレストランなのだけれど、なんとこのレストランは実在したんですね。つまり、“クレア”が語ったことは、全てが嘘ではないのではないか――それを私はこのレストランの実在から想像しています。

「ナイトアンドデイ」に入り、ヴァージルは二人がけのテーブル席に座る。「お一人ですか?」とウェイターに問われるのだけど、ヴァージルは「いや、連れを待っている」と答えるんだよね……。そして固い面持ちのヴァージルの表情を中心に据えて、次第にズームアウトしての幕引き、エンドロール。……いや、いま考えると、美しすぎ!! なんだこの、「余韻という概念を表しました」みたいな終わり方は……すごい……。でもいまの私がこんなに、美しい幕引きだー!! と素直に感激できるのは、考察記事(後述)で「監督はこの映画はハッピーエンドだと語っている」ということを知ったからでもあります。

 個人的に、印象に残っている台詞。「たとえ何が起きようとあなたを愛しているわ」、これは物語上、重要な場面で“クレア”がヴァージルに真剣な面持ちで伝えた言葉です。

「たとえ何が起きようと」という箇所が意味深ですね。ここでの台詞って「あなたを愛しているわ」でも問題なかったと思うんです、だけど彼女は「たとえ何が起きようとあなたを愛しているわ」と言った。そして私は、これは本当の、心からの言葉なんじゃないかな、と思っています……。他にも根拠があるのだけど、それは考察記事で見かけたものになって、そこまで書くとまた長くなるので端折ります。

 ちなみに該当の記事はこちらで、「2020年2月追記:絵画に描かれた歯車が示す意図」という見出しの箇所です。

 ハッピーエンドってどういう意味なんだろう? と考えてしまう。今まで人との(特に女性との)関わりを避けてきたヴァージルが、人を愛する歓びを知ったこと? そして、あんな目にあってまでも“クレア”にまた会いたいと、それほどまでの愛を覚えたこと? 何なんだろう、わからない。でも私はこの映画、好きです。ヴァージルが“クレア”にもう会えないとしても、個人的には二人は本当に愛し合っていたんじゃないかと思うし、人を愛する歓びや愛を知ることは私はとても素敵なことだと思うから。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?