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映画の楽しみ方

 勉強をしていると自分はなぜ学ぶのかと疑問に思う時がある。…考えた。ずばりシンプルに映画をもっと面白く観たいからだ!勿論そこに気取りがないことは否めない。自分の直観に感動して浸ったり、難しい本を分かった気になったり(繰り返せばそれなりに理解できるようになる)することの気持ちよさはやめられない中毒性がある。でも、面白いと思えなかった映画をベクトルを変えて面白いと感じれたり、好きな映画をさらに好きだと思えることの方が何倍も楽しい。そこを忘れてはいけない。観終わった五分後にはすっかり内容をわすれてしまうが鑑賞中の興奮は永遠に記憶に留まるものだ。

 今日『核兵器のしくみ』という本を読みおわって、原爆の構造の美しさに魅了された。原子力はそれだけで信仰に足る神々しさがある。ちゃんと勉強はしたはずだが陽子?中性子?くらいの知識力だった(馬鹿すぎる)のでめちゃくちゃ難しくて正直全然内容も入ってないが読んでいてワクワクした。で、なぜそんなものを読むかというとコレが、単純に前々から興味があったというのもさることながら、クリストファーノーランの新作『Oppenheimer』が気になるからだ。原爆の父と呼ばれたオッペンハイマーを追う映画である。

 歴史モノなどその前時代のビジュアル性に惹かれる作品は歴史背景の知識が抜けているとついていけなくなったりする。コレは個人的に作り手の責任で片付けるのはいただけないと思っており、観る側が気になったなら予習すればいいだけの話だと思う。ここで今絶賛放送中の『鎌倉殿の13人』で話を進めると、自分は脚本の三谷幸喜が好きなのでドラマの舞台となる平安後期は『平家物語』(現代語訳)や大河ドラマ『平清盛』を事前にチェックしておいた。


 そして作品をより楽しむために勉強をするという回りくどい行動がなぜ大事なのかだが、例えば平家物語で著名な平家と源氏の最終戦、壇ノ浦から二つ前の屋島の戦いで那須与一の扇の的を射抜く話がある。コレは名シーンと言われ歴史に詳しくない人でも知っている人は多いだろう。国語の教科書にも載っている。だが『鎌倉殿の13人』の同合戦では綺麗さっぱりそんなシーンはない。なんなら屋島の戦い自体すぐに終了する。じゃあそれ勉強する意味あるのか?と思うかもしれないが、逆にそれだけの名シーンを省略する必然性について考察するのだ。

 ドラマ内では菅田将暉演じる義経の神がかった軍略センスと独特の個性が描かれてきた。それには彼に嫉妬、畏敬する梶原景時という武士との対立(これも歴史背景)、それによって頼朝との確執(これも歴史背景)にも結びついていくことが重要なテーマなので合戦で映し出されるべきは義経の唯我独尊な活躍であって那須与一のワンシーンではない、と考えられることができるのだ。だから義経の格好良さを十分楽しみ、その後虚無感で海辺に佇む義経の苦虫を噛み潰したような顔を見て彼に待つ苦難に気持ちが揺さぶられるのだ。これ以外にも歴史背景をうまく活用した演出や描写が多々あり、そこが鎌倉殿、ひいては歴史モノの醍醐味である。


 以上を踏まえると先ほどのオッペンハイマーを楽しむためには必ずすべきとは言わないが、核兵器とそれが開発された時代背景、オッペンハイマーの人生、を知っておけば倍楽しめることは間違いない。加えてノーランの過去作も観ると尚良い。更には主役のキリアンマーフィーなどの、出演者の過去作もチェックしておけば役者への好感を持てるので好きな人しか登場しない映画にすることができる。

 そしてそれはまた逆も然りである。作品を観ることで勉強への意欲が湧く場合。核兵器の恐ろしさは映像で知るのが手っ取り早い理解だろうし、戦場の臨場感や政治的駆け引きの緊迫感も映像や文学の独壇場であろう。なぜそうなったのかを追究する作品もあればひたすら悲惨さを描く作品もある。時代と密接していてかつ優れた作品は高評価を受けやすく何かしらの賞を獲ることが多い(獲られるべくして獲る作品)のでそういうのを観れば特定の時代の理解を深めるきっかけになる。

 
 更には何かのために勉強したことが別のところで役に立つこともある。核兵器を勉強して役立ったのは、富野由悠季作品の人工的に開発されたロボットが作った種族や人類、文明を滅ぼしうる(イデオン、ターンエーガンダム)という事がより頭でストンと理解できたことだ。自然の中の神秘に人間が手を加えてやれば、未曾有の恩恵を授かりひいては自分たちの存在が危ぶまれるような代物、それはまさしく原子力だろう。富野由悠季が動くガンダムを開発しようというプロジェクトを批判するのは極端な言い方をすれば兵器になり得ることを危惧しての発言なのだ。
 

 他にも古典文学の講義を受けていて知った増賀上人という偉いお坊さんの話。発心集や宇治拾遺物語などに話が載っている。現世が嫌になりあえて狂ったような行いをして、世間との繋がりを断って執着を鎮めようとしたと書かれている。例えば、皇后の住む屋敷の庭で大便をしたり、乞食と一緒に残飯を食らったりと、まあめちゃくちゃでそこまでする必要あるか?とも思うがそれをやってのける様がどこか痛快だ。人々に利益を与えるために俗に塗れる師匠を批判したり、それを見た人が客観的に自分を見つめ直さざるを得ない説得力もあるように感じる…とまあこれを佯狂というらしい。

 何となくオビワンっぽいなあと思った。西洋圏の佯狂者はガリガリでヨボヨボのおじいちゃんの絵画が調べると出てくる。EP3までユアンマクレガーで4からはアレックギネスになって途端に老け込んだなという違和感は、彼が救えず暗黒面に堕ちた弟子や数多くの仲間の死、自らの身の危険などそういった生の執着を抑えんが為に狂った振りをして山籠りをした結果だと言えるのではないか。実際ルークは当初、オビワンを偏狭老人だと思っていた。そうしてオビワンはフォースと一体化して霊体となって生の執着から解放される。身体という現世の象徴を消し去り精神を残してフォースを探究する求道者の理想的あり方なのだろう。

 そんなこんなで色々駄弁った。まだまだ話そうと思えば出てくるが一回の分量を超えてそうなのでやめよう。とりあえず上記を踏まえることでより多層的な楽しみ方ができるきっかけになると思うので是非試してみてほしい。あざした草薙。

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