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#0217【動乱からの独自路線(大英帝国の萌芽、イギリス)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は七つの海を支配し、沈まぬ帝国と化した大英帝国の繁栄に目を向けます。

イギリスは古くは古代ローマの一部であり、ケルト人の国でした。そこにゲルマン民族の大移動で流れてきたアングロサクソン系の国が成り立っていきます。

さらにヴァイキングが北海で暴れまわる11世紀になると、イギリスはデーン人の支配下に入ります。一時的にアングロサクソン系がデーン人を払いのけて王国を打ち立てますが、それも1066年にフランス・ノルマンディー地方の領主だったノルマン人によってイギリスが征服されてしまいます。

この結果、フランスとイギリスの関係が複雑化します。

英仏百年戦争(1337年~1453年)は、 フランス王室とも姻戚関係のあるイギリスがフランス王位継承権について主張したことから始まりました。

長きに亘った英仏百年戦争は、ジャンヌダルクなどを輩出したフランス側の勝利で終わりました。

敗れたイギリスは、そこから1455年から1485年頃まで国内でバラ戦争とよばれる内紛状態に陥ってしまいます。

赤バラを紋章とするランカスター家と、白バラを紋章とするヨーク家による権力闘争だったので、バラ戦争とよばれています。

最終的にはランカスター家の女系傍流であったテューダー家のヘンリー七世が即位し、ヨーク家の王女と結婚してテューダー朝を開き、ようやくイギリスは安定期を迎えます。

ここから、 島国という地理的要因もあり、 イギリスは大陸ヨーロッパとは違った歴史を歩み始めます。

特にヘンリー七世の息子であり16世紀前半にイギリスを統治したヘンリー八世によって、ローマ・カトリック教会から独立した英国国教会が成立すると、いち早くローマ教会の権威から離れます。

その後、エリザベス女王(ヘンリー八世の娘)のもと、当時世界最強を誇っていたカトリック教国であるスペインの無敵艦隊を1588年に撃破、1600年に東インド会社を設立すると海外貿易に注力していきます。

その間、大陸ヨーロッパではローマ教会とその反対派(プロテスタント=抗議するもの)によって対立が深まり、度重なる戦乱が起きました。

イギリスでも清教徒革命(1642年~1649年)や名誉革命(1688年)といった混乱は見受けられましたが、大陸ヨーロッパが三十年戦争(1618年~1648年)などで多くの人々が戦災を受けたことと比較するとマシだったといえます。

島国であったことから独自路線を進み、ニュートンが万有引力の法則を1687年に発見するなど科学革命が推進され、1690年にはジョン・ロックが『統治論』を著して近代国家の理論的な整備を進めていきます。

そして18世紀初頭には蒸気機関が発明され、他国と比して一足早く産業革命を果たしたことにより工業力をつけることに成功します。

大英帝国の繁栄の芽はこのように、かたどられていったのでした。

以上、本日の歴史小話でした!

(続き:No.218【新旧両大陸に挟まれて(大英帝国の動揺)】)

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