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宗教=Religion=絆

「宗教=Religion=絆」

宗教。
この強い語彙には、
・非科学的で迷信
・金儲けの道具
・怖いカルト
など、ネガティブなイメージが付き纏ってしまっていると思います。

しかし、明治より前の日本には「宗教」という言葉はありませんでした。これは「Religion」の翻訳語です。
Religionの原義は、Re-ligo。すなわち、「再び結びつける」です。

神と人間を再び結びつけ、神を通して人間同士もまた結びつけていく。これが宗教の原義です。
日本語に訳し直すことが許されるのなら、私は「絆」としたいものです。

なので、海外の人の中には日本人が無宗教だということに違和感を覚えたり、ある国では入国カードに無宗教にチェックすると入国を拒否されかねないことになるのです。

「私には絆はありません。考えを共にする人がいません。」

と宣言されたら、確かにちょっと不審に思えてしまいますよね。

フランス革命以後、人権宣言に謳われているように、人間はそれまでのキリスト教会・共同体(農村・ギルド等)・身分などあらゆるものから解放され段階的に「自由」の領域を得ました。まさに様々な既存の「絆」から離れた「個人」が誕生していったのです。

日本社会においても、明治以降、段階的に既存の様々な繋がり・絆が崩れてきました。宗派・地域・共同体・家族・家族的経営。これらが崩れていく一方で、孤独死や繋がりの欠如が現代社会の問題として挙げられています。

さらに「絆」が崩れていく間隙を縫って、カルト的な宗教が牙をむいています。

個人が自由を謳歌することは素晴らしいことである一方、人間は決して個人だけでは生きられません。必ず誰かと何かとに結び付けられることを必要としています。

3.11、新型コロナと様々な課題と接するたびに、「絆」の大切さが語られています。

たとえば、イスラム教にはラマダーン(断食)という共通体験を同じ時期に信者同士で実施することによる繋がりの醸成があります。

日本には明文化された「コレ」というものはありませんが、
・お花見を楽しむ
・甲子園に熱狂する
・夏祭り
・花火
など、様々なもので社会としての絆を醸成する装置・機会があります。

この機会にあらためて、自分自身に問いたいです。

「自分が大切にしている「絆」はどんなものなのか。それは誰とどうやって共有しているのだろうか。」

感染症の問題がどうあろうとも、崩せない・壊されないモノがあるはずだ。

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