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「みんなちがって、みんないい」 はダメ?
「多様性多様性っていうけど、それってダメじゃない?」
「ただの何でもありの放任じゃん」
という意見もありますね。
この場合は、その人が「多様性」「何でもあり」が具体的にどのような状況を示しているのか、しっかり確認する必要があるでしょう。私のnote記事では表現できません。
やや話が飛躍しますが、以下は、「みんなちがって、みんないい」についての私見です。
(推敲していませんが、ゼロよりイチと思い投稿します)
「みんなちがって、みんないい」が、「違ってはいけない違い」もある。
それは、
「人を刺してはいけない」
「基本的人権を尊重する」
などの、これまでの「巨人たち」が積み上げてきた、持続的な、安全安心に暮らせる社会で生活するための考え方である。
向社会的な視点、持続的な視点がなければ、人類は簡単に滅亡する。
だから「みんなちがって、みんないい。だから自分は人を刺してもいい」とはならない。
また、この詩は価値や態度である「いい」を使っている。
ゆえに、色々な解釈が可能である。
正義と悪と同様の相対性。
ポジションの転換。
しかし実生活では、
「他者を傷つけない、物理的に攻撃しない」
というのは、歴史を見ると共有され「るべき/なければならない」価値や態度と言える。
なぜか。
「いい・わるいが存在しない社会」
「多様性を認めないという多様性が認められる社会」
などの思考実験をすると、ヒントが得られる。
世の中では個人の諍いから、グローバルイシュー「核による脅し」「戦争」も現に存在している。
私たちは、平和のために、戦争している。
金子みすゞさんの詩は、最初から最後まですべて読んだ上で、いろいろな解釈ができます。
素晴らしい詩と思います。
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