アトピーと私

私は生まれつきアトピー性皮膚炎。

幼少期から小学校低学年まで濃密にお付き合いをして、それ以降は高校生まではお別れをしていた。

アトピーが再発したのは高校2年生の冬。

何がきっかけだったのかはもう忘れてしまった。

ただ、気がついたら入浴の度に掻くようになって、

気がついたら血が出るようになって

「掻かない」と言うことが苦になっていた。

1つ前の記事でも書いたように

私は当時、プロのバレエダンサーを目指してバレエをしていた。

1番辛かったのはレオタードを着るのが怖くてどうしようもなくなっていったこと。

私のアトピーは全身ではなかった。

お尻のしたらへん、いわゆるパンティーライン。

それと太ももの裏。

この2箇所が特に酷かった。

だんだん血も出なくなって、透明な液が出てきた。

親からは「汚い」「掻くな」と言われ

薬学部の兄からは「病院に行け」と言われる。

痒い気持ちもわからないくせに、

治療するのも安くない。

精神的にもやられ始めて塞ぎがちになった。

高校2年生で再発してから約1年間。

1人でただ耐えた。

高校3年生の冬、限界がきてバレエのレッスン中に過呼吸になった。

親に連れられ皮膚科に行った。

「なんでこんなになるまで来なかったの?」と言われた。

なぜ私がそこに至るまで皮膚科に行かなかったかと言うと

なんて言われるかはもうわかっていたから。

アトピーの辛さとか、

掻かないと心に決めても寝ている時に掻いてしまって、翌日に血で汚れたシーツを洗う気持ちとか、

学校で試験中にほんの少しだけ太ももの裏を掻いたら

生理でもないのに血で真っ赤になった手を見たときの気持ちとか、

そういう精神面のことは何も考えてはくれない。

皮膚科の先生の仕事ではないから当たり前なのは理解してた。

そもそもそんなことは望んではいけないことも。

今思えば、当時の私が望んでいたことは

アトピーが治ることでも

綺麗な肌を手に入れることでもなくて、

ただ1人だけでいいから

私の話を隣で静かに聞いてくれて

根拠も確信もなくていいから

大丈夫だよ、

そう言ってくれる人が欲しかった。

結局、病院に言って多少良くなっても

良くなったのは皮膚と言う表面だけ。

私は、自分の1番の傷が内面にあることにまだ気がついていなかった。

アトピーの症状は確かに良くなっているはずなのに

掻く回数も出血箇所も明らかに減ったのに

なんでこんなに悲しくなるんだろう。

気を抜くと涙が出てきて呼吸が苦しくなる。

自分で自分の気持ちを言語化することができなくて

何も考えることができない。

あぁ、私おかしくなってるな。

そう思い始めて数日して

学校で過呼吸になった。

アトピーが先か、

精神面の崩れが先か、

もう何度も考えてるけど答えは出ない。

でもひとつ思うのは

おかしくなるまでに

誰かに縋りたい、と

何度も思ったのにできなかったこと。

毎晩のようにLINEの友達欄をスクロールしては

誰もいない、

と言ってベッドに倒れる。

そんなことを毎晩繰り返してた。

元気がない時に1番気にしてあげなきゃいけないのは

目に見える傷よりも

見ようとしなければ本人にすらも見えない傷で

どんな大怪我よりも治る可能性は低いかもしれない。

でもそれは誰にでもなりうるもので、

私はアトピーという目に見える傷で覆われて

自分でも気がつくのに相当時間がかかった。

私は未だに自分の精神面の弱さに左右されることは多くて

治るものではないと思っている。

ただ、上手に付き合っていく必要のあるものだと。

私がこの記事のタイトルを

「アトピーと私」

にしたのは、

アトピーで悩んでる人の多くは意外とアトピーで悩んでいないかもしれない。

そう思っているからだ。

私は今、

どんなに症状がひどくても

それでも存在していてくれるだけでいい

そう言ってそばにいてくれる人がいる。

その人に出会ってから

孤独感も必要のない焦りも徐々になくなって

アトピーも静かにしていてくれている。

「大丈夫。

どんな姿でもあなたは美しい。

存在していてくれたらそれでいい。

毎日よく頑張ってるね。

人生を続ける選択をし続けてくれてありがとう。」

18さいの私にそう言いたい。








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