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トイレットペーパーを棚から消したのは誰?ぜんぶ妖怪のせいだ

実家からマスクを送ってもらった日

「マスク送ってくれない?」
新型コロナウイルスがじわじわと我が身に迫っていることを感じていた2月後半のこと、私は親に頼んで実家に備蓄しているマスクを分け与えてもらった。180円の入れ物にマスク10枚入れて送ってもらうなんて、初めてのことだった。

この頃すでににマスクは入手困難になっていて、どこのドラッグストアの店頭にも、訊く前に諦めろと言わんばかりに「マスク入荷なし」の貼り紙。そしてツイッターでは「トイレットペーパーが不足する」という情報(デマ)が流れていた。

「マスクと原料が同じだからトイレットペーパーが不足する」
「中国から原料が輸入できなくなるから、トイレットペーパーが生産できない」

通勤途中、ドラッグストアの前に人が並んでいるのを見る。今日の入荷分はあの人たちが全部買ってしまって、仕事が終わるころには売り切れている。正直ムカついていた。私だって必要なのに。
アベノマスクも届かないし。
空になった商品棚、開店待ちをする人々の行列。ツイッターに投稿されている写真やテレビの報道を見て、毎日不安だった。

当時を振り返って思うことがある。自分の場合は、一人暮らしでトイレットペーパーの消費量が少なかったため、焦って調達する必要はなかった。
でも、家族がいたら、子どもがいたら、冷静でいられただろうか?
テレビやSNSの情報に不安になって、あの人たちと一緒に行列に並んで、必要以上の買いだめをしてしまったのではないか?

コロナが刺激した「本能」=お化け

マスクやトイレットペーパーが買えない状況だったあの頃、自分が感じていた漠然とした不安は何によって引き起こされていたのだろう。それを考えるヒントが「ファクトフルネス」の中にあった。


キーワードとなるのが「恐怖本能」と「ネガティブ本能」だ。
ここでいう本能とは、物事に対して人が無意識にしている思い込みの原因のことだ。この本能にとらわれると、物事を正しい見方で見れなくなってしまい、時には誤った行動と結果につながってしまう。
そういえば、なんでも妖怪のせいにするアニメがあったな。日本人からすると、「妖怪」とか「お化け」だと考えるとしっくりくるかもしれない。

・「恐怖本能」
自身を危険にさらすものにどうしても関心がいってしまう。それが恐怖本能だ。恐怖本能を刺激するものは「身体的な危害・拘束・毒」だという。
コロナってこの3つをすべて満たしているのでは?たとえばこんな風に。
【身体的な危害】発症による身体的苦痛
【拘束】外出できないこと、隔離されること
【毒】目に見えないウイルス、無症状での感染や飛沫感染

重症患者の治療の様子、ホテルで隔離されている人のこと、海外でのロックダウンの様子。コロナに関するショッキングなニュースがSNSやテレビで多く流れていた。
「怖いコロナ」に関するニュースであればなんでも気になってしまう状態だったのだ。

・「ネガティブ本能」
物事のポジティブな面よりネガティブな面に注目しやすい。
テレビのニュースではトイレットペーパーが不足することはないという情報が伝えられていたが、それよりも印象に残ったのは、空になった商品棚の映像や商品が手に入らなくて困っている人のインタビューだった。
トイレットペーパーが買えないという悪い情報ばかり頭に残ってしまっていた。

この「恐怖本能」と「ネガティブ本能」によって、「感染すると死ぬかもしれないおそろしいコロナの関連で、トイレットペーパーが買えない」ことで頭がいっぱいだったのだ。

SNSはお化けの大量発生地

あらためてツイッターを見渡すと、「恐怖本能」や「ネガティブ本能」を刺激する情報に溢れていることに気づく。いわばお化けの大量発生地だ。
でもツイッターにはそうなっても仕方ない性質があると思う。


まず「ユーザーが発信者であり受信者である」ということ。私たちは無意識に、「本能」に引っかかった情報を発信している。恐ろしい事故・事件のことや物事のネガティブな側面に注目しやすいがために、そういう内容の発言をしてしまう。それがさらに誰かの「本能」に引っかかる。
かくいう私も、「薬局の前に行列ができてる」とか「トイレットペーパー足りるかな」という投稿をしていた。自分が「本能」により不安になった結果、他の人を不安にさせるような発言をしてしまっていた。

次に、「注目されるほど話題になる」ということ。
SNS上には個人の発信のほかにも、広告やネットニュースなど、話題になることを狙って発信される情報もある。見られてナンボであれば、人々の「本能」に訴えかけて注目をひくような見出しやタイトルにするだろう。

そして、「文字数に制限がある」ということ。
ツイッターはひとつの投稿に140文字の制限がある。全く誤解のないように前提や背景を説明する余裕はない。「トイレットペーパーが不足しているという情報が流れていますが、それはデマです。なぜなら~」という書き方とはとても相性が悪い。結果的に「トイレットペーパーが品薄になって大変だ!」というネガティブな情報ばかりが目立って発信されてしまう。

「ファクトフルネス」の本の中に、「メディアが完全な中立性をもって報道することは難しいだろう、それは正しくても退屈だ」というような記述がある。ツイッターをはじめとするSNSも同じことだと思う。
そもそもツイッターはコミュニケーションのためのツールで、自分の興味関心について発言し、交流して楽しむものだ。「退屈」になることはできない。

妖怪図鑑を片手にSNSを歩く

「本能」にとらわれると、トイレットペーパーの買いだめやデマの拡散のように、誰しも誤った行動をとってしまう可能性がある。そうならないために、どうすればいいだろう。

ひとつは、SNSそのものの仕組みを改善すること。
コロナで世界的な混乱が起こったことをきっかけとして、SNSのプラットフォーム側も私たちが正しく情報を入手し判断できるよう、様々な取り組みをしている。
ツイッターを例にすると、「コロナウイルス」などのキーワードで検索した際に厚生労働省の関連ページへのリンクが真っ先に表示されるようになった。また最近では米大統領選期間に合わせてリツイート機能の仕様が変更され、投稿内容をよく確認しない安易なリツイートよる拡散を抑止しようという試みが行われた。(公開時点ではこのnoteの先頭にも注意喚起のメッセージが出るようになっている)
ただプラットフォーム側としてできることは限られているので、これだけでは不充分だ。ユーザーひとりひとりが物事を正しく理解する努力をしなければならない。


ユーザーが発信者であり受信者であるから、自分や他人の発言が「本能」にとらわれているかもしれないと考える。
注目されるほど話題になるから、見出しやタイトルだけを見て反応したり拡散しようとしていないか考える。見出しの裏にある事実を見る。
文字数に制限があるから、前提や背景がすべて説明されていないことを認識する。
以上のようなことを意識することができれば、「恐怖本能」や「ネガティブ本能」にとらわれず、冷静な判断ができるようになるのではないだろうか。

妖怪図鑑を持って妖怪退治に行くように、「ファクトフルネス」をお供にしてSNSとうまく付き合っていきたいと思う。

#読書の秋2020 #ファクトフルネス #FACTFULNESS #NewsPicks   #NewSchool

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