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子どもは自然?親子の認識の違い
養老先生からの質問
「子どもは自然」
これは養老先生(養老孟司さん)の本にあった言葉なのですが、自分の中に残ったので、少し考えてみました。
その本の中で書かれていたことは、あくまで正しいとか間違っているとかではなく、議論の種としてあげられています。
なお養老先生は、1937年生まれで僕とは約50年違いますので、かなり感覚も異なっており、興味をひかれます。
養老先生は「子どもは自然」であり、合理的にああすれば、こうなると言うものではない。
今の親はなんでもコントロールできるように思っていませんか?そう投げかけていました。
親は子どもをコントロールしているつもり?
改めて考えてみると、
現代の親は子どもをつくる/つくらないから考えて、産まれる月も考えている人が多いのではないでしょうか?
そうすると、なんとなく子どものことをコントロールできる気になって親が多いかもしれません。
僕も無意識で、子どものことを自分でコントロールできると錯覚してしまっていました。
例えば、寝る時間やミルクの量。いつ何をするのか決めれば、結果もこうなるというようなルールに当てはめているような気がします。
子どもの目線から考える
ただ、養老先生もその本で書かれていましたが、子どもからすると、親の決めたことなんて知ったことではありません。
例えば、上記のように親は産む/産まないもコントロールしているつもりですが、子どもからしたら、別に親に産んでくれとお願いしたわけでもないですね。
そういった意味では、子どもからすると自然に産まれていた、気付いたら産まれていたという感覚でしょうか?
そうすると親子の間では、そもそも認識が異なっていますね。
親が理解しておくこと
こうして考えてみると、子どもからすると自然と産まれていたわけで、意識的に産まれる決断をしたわけではありません。
なので、子どもは意識の産物ではありませんし、どう育つかわかりません。
なので、親は子どもをすべてコントロールできるわけではないということですかね。
自然がより身近であった養老先生の世代の感覚は、なんでもコントロールできるつもりになっている僕自身を含めた今の世代に気付きを与えてくれると思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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