プリパラ(プリティーシリーズ)についてのノート

 プリティーシリーズ、都市化が極まった時代のサーガという感じである。もはや土着のものに依拠できない、伝統が失われた時代に、都市が依拠するものになるのかもしれない。

 プリパラしか見ていないのでいい加減なことは言えないが、世界観が統一されているものとして公式から提示されているように見える(プリティーリズムのキャラクターによって構成されていると思われる「セインツ」というグループがプリパラ内で伝説のアイドルとして設定されている、プリチャンにプリパラのキャラが登場する、2.5次元のライブがプリティーシリーズの枠組みで企画される、プリズムストーンショップでプリティーシリーズが一緒くたにされて売られている、など)。

 必ずしも厳密な連続性というわけではなく(客演するキャラは別人ともとれるようになっている)、緩く世界観を繋げることで、より豊穣な、開かれたものになる。

 少なくともプリパラにおいては、現実の地名に限りなく近い地名が使われている(プリチャンもそうなのだろうか、「キラ宿」という地名からは原宿が連想できる)。しかし、「パラ宿」、「アキパパラ」、「パパラ宿」などは、現実の原宿、秋葉原を連想させたとしても、それそのものではない。聖地巡礼をしようにも、原宿は存在していても、パラ宿は存在していない。その遠さこそが、重要になってくる。

 私たちは限りなく近接したとしても、決してプリティーシリーズの世界には行くことはできない。原宿に行こうが、プリズムストーンショップに行こうが。プリズムストーンショップは、作品内でのプリズムストーンに似ているとしても、あくまで物販品店である。

 行くことができない。それは少々(ときには多大な)絶望をもたらす。しかしそれは、東京でありながら(パラ宿を原宿に見立てれば東京になることは明らか)、確実に東京と言うことはできないのだ。それは、東京/地方の二項対立を無化する。もしかしたら、あの作品世界は、どこにもないけれど、逆にどこにでもあると言うことができる。今まさに、プリパラ(プリティーシリーズの世界)は現前している。来ることは無いが、それゆえに来ているのだ。来たるべき民主主義的なものなのだ。

 地方において、もはやアイデンティティの拠り所としての土着のものは消滅しつつあり、殺風景な地方都市、ジャスコ的空間しか残らない。それはゼロ年代の若者をささくれ立たせた(『下妻物語』、あるいは宮藤官九郎のドラマ。『ゼロ年代の想像力』を連想)。しかし、プリティーシリーズの世界は、そのような現実世界に近接しつつ、絶対的に遠い。あそこは東京かもしれない。しかし地方かもしれない。と励まされるのだ。

 東京にせよ、地方都市にせよ、都市生活に慣らされた私たちにはもう、中上健次の紀州サーガのようなものに依拠する力は残っていない。路地は消滅した。その喪失は、人によっては大変につらい。オルタナティブを構想できない。いまさら土着のものに魅力を感じられるか?そんなものが残っているのか?グローバルな帝国にもはや抵抗できないのか?

 そんな中、都市でありながら、東京でありながら、絶対に虚構の存在であり、だからこそ現前する、プリティーシリーズというサーガが降臨した。

 このサーガが、来たるべき何かの原動力として、生き続けてほしいと思う。


補遺:この豊穣なサーガが、『天人五衰』や『地の果て、至上の時』のように行き詰まりを見せることもあるかもしれない。しかし、どうしてもならざるを得ないときもある(アイドルタイムプリパラにはなにか「終焉」を感じたような気がする)。そのときは改めて、この世から本当にさよならをすることになるのかもしれない。

追記(2021.9/22)

 アニメ批評家の石岡良治のYouTube番組で、プリティーシリーズについて放送していた。改めて分かった事実として、プリティーシリーズのアニメの開始は2011年4月ということがある。3.11の翌月だったのだ。そしてそれから10年、未だに続くシリーズとなっている。震災後という空間と並走しているアニメ。そこに直接震災が描かれることはないが、これは重要であると感じる。都市であり、東京のよう見え、しかし絶対的に虚構である空間は、外部の力で壊れない。災厄によって現実の世界がどれほど破壊されようが、プリティーシリーズの作品内部は保たれる(「聖地」も無いので、「聖地が災害で壊れてしまって......」という事態が避けられる)。これは、『ご注文はうさぎですか?』の「木組みの街」という虚構空間と共通する、震災後の一潮流なのではないだろうか。そして、『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』(2012)は日韓共同制作であり、KPOP要素が強いということも知った。これは晩年の中上健次の、アジア諸国との連帯を意識した作品(『讃歌』、『異族』等)に繋がるのではないか。韓流アイドルの日本進出は数多く見られるが、アイドルアニメにおいても確認されるとは驚きである。新時代の大アジア主義なのかもしれない。

 2010年代はプリティーシリーズだけでなく、ラブライブ、アイカツなどもあり、アイドルアニメの時代と言えるが、時代が作られたということは、飽和状態だということでもある。2020年代はどうなるのか。次のプリティーシリーズは『ワッチャプリマジ!』であり、魔法要素があり、プリキュア、つまり魔法少女ものとの接続が意識されるはずである。魔法要素の導入は、震災後の空間を新たなステージに進めるヒントとなるかもしれない。

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