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保育に引き出しは必要か。

「保育に引き出しは必要じゃない?」って聞かれて、自分には何もないなあって反省したんです。

相談してきてくれたその職員は今年度から6施設のリーダーを務めている。もう1人のリーダーと力を合わせ少しずつ自信をつけていき、悩みながらも日々奮闘して力をつけている姿を見ていたので「リーダーになるのまだ早かったんじゃないかなって思うんです」と落ち込む姿を見て、足りないことを指摘しても「よし頑張ろう!」とはならずせっかく積み上げた自信も失くして「自分なんて」と自尊心が削られるだけなんだなあ、とビールを飲みながら(話を聞きながら)感じていた。

僕たちが勤める放課後児童クラブを運営しているのは数園の保育園を運営する老舗の社会福祉法人なんだけれど、法人の保育園では残念ながら「させる」保育を是としており、法人の方針として子どもの主体を置き去りにした保育が行われている。(特定の園を非難するためではなく、保育所保育指針に沿わずにやっている園があるということを記しています)

一方、所属する放課後児童クラブはその流れを断ち切り4年前から「子どもを主体」にした保育にシフトチェンジした。学童保育が正式に「放課後児童健全育成事業」として制定されて厚生労働省から放課後児童クラブ運営指針が発行されたタイミングで、その指針を実際の「指針」として現場は変わっていった。

といっても、もちろん法人内からはバッシングを浴びるし保護者の方々に理解を得られなかったりして、簡単にはいかなかったんだけれど、紆余曲折ありながらもチームメンバーの力と直近の上司の力添えもあってこの1、2年でようやく定着してきた。(この件については長くなるので、また改めて書こうと思います)

まあ、そんな背景があるから法人の中では僕を筆頭にチームごとめちゃくちゃ嫌われていて、定期的にケチをつけられる。
最近だと、研修でiPadを使っていたメンバーが、ある30代の主任の先生に「iPadを使うのはおかしい。カタカタうるさいしみんなが使っていたら迷惑だろ」と詰め寄られたらしい。そのメンバーは賢いから言い返さずに受け流したんだけれど、それを直近の上司に伝えるとすぐにその園に電話して「後日出さなければならない研修記録をその場で作成できて、離れている職員にもすぐに共有できる。省力化効率化、今の時代に合っている。研修センターでは禁止していない」とすぐに連絡してくれ、その次の週には施設長会で研修にPC、iPadの持ち込みOKと通達されたそうだ。この上司もうすぐ70歳。かっこいいぜ。

「君らこの法人で働いてるんだから、保育指針よりも法人の方針を優先しなさいよ」という、高度なボケなのか?と戸惑ってしまうような非難の声も数えきれないくらい聞いてきた。もし僕がラーメン屋で働き出して「そんなカロリーの塊なんかより和食の方が健康的でうまいから」と精進料理を提供しだしたら、その時は怒ってくれたらいい。僕たちは法で制定されている事業を行う法人で働いている。

話が逸れた。SNSでは、前向きな話しかしないと決めているのについつい皮肉めいた話をしてしまったけれど、まあ、そういった現状の中で冒頭のような「子どもの主体とか指針とか人権とかだけ大事にするんじゃなくて、君たちももっと(技術的な)引き出しがいるでしょう」という一見正論めいた批判的な言葉を法人内の管理職を含めた多くの人からしょっちゅう言われているということを伝えたかっただけで、この法人終わってる!って話ではないと捉えてもらえたらありがたいです。(正直始まってもいないと思う)


で、そんな言葉を聞いて僕なら全然言い返すんだけれど、その職員は「全然引き出しないですわ。ダメですわ自分」と落ち込んでたんですよね。

こんなことで心折れたらあかん!思って「引き出しと僕たちの仕事について」と「引き出しは必要なのか」という話をしたんですが、いい感じに整理できてスッキリしたようなので、こちらでもまとめておこうと思います。

いつもながら前置きが長くなりましたが、ここからは前向きなことだけ書いているので、よかったら読んでください。


〇僕らの役割を考える

「退屈だ」と言っている子どもがいたとします。


そんなときの、僕らの仕事はなんでしょう。

①子どもが退屈しないように
→あそびを提供すること

だとすれば、たしかに技術的な引き出しは必要になってきます。その場でできるあそび、すぐにできるあそびをいくつか用意してすぐさま対応できるようにしておかなければなりません。ピアノで音楽を鳴らしたり、読み聞かせをしてあげてもいいかもしれません。


ただ、僕らの仕事はそれがメインではないんですよね。どちらかというと、枝葉にある付属。本来は、

②子どものしんどさを解消するために
③子どもの楽しいを深めるために
④それを子どもが主体的に取り組めるように
→なぜその言葉を言っているのかを考える。考察する。支援する。

のが、僕たちの仕事です。

誰かとケンカしてひとりになったから気づいて欲しいのかもしれない。やりたいあそびがあるけれど入っていけないのかもしれない。ただヒマなのかもしれない。
それを見て、話して、汲み取って、支援する。
話を聞いて満足して戻っていくかもしれないし、一緒なら遊びに加われるかもしれないし、ただ喋りたいだけかもしれない。その子に対してその子に合った関わりや支援をしていく。

そんな中で、ほんとにヒマで何か新しいあそびがしたいようあれば、引き出しを開けます。ひとりでゆっくり遊びたいのなら、以前は編み物に挑戦したから刺繍や裁縫はどうだろう。誰かと遊びたそうだけど将棋は飽きてきてるしまだやったことのない囲碁をしてみようか。と、ここでも技術的な引き出しもあるけれどその子の姿や発達を捉える力が求められてきます。

極端なことを言ってしまうと、遊びは教えたり提供したりしなくても子どもたちと一緒に探したり覚えていけばいい。作っちゃってもいいし、ネットで調べたっていい。「なにか作ってみたい?毛糸があるけど(自分は編み物できないし)よし、じゃあ調べてみよう」でいいんですよね。

人間の頭にはキャパシティがあって、引き出しの数は決まっているから無限に詰め込むことはできない。お医者さんも、その場で答えられることもあれば医学書読んだり専門医の助言を得たりするし、弁護士も六法全書を暗記して判例を全部覚えているわけではない。大事なのは目の前の情報を専門的視点と専門的思考で最適解を見つけ出すこと。

なにが言いたいかというと、なにか技術的な引き出しではなく、その子の姿を捉えるための引き出しと、どの引き出しを開けてなにを取り出すかの方が大事だということです。

そして、その子どもの姿とそれを支援するための視点や知識や方法を、どう組み合わせて支援するのかという力を伸ばしていくことが必要だと思っています。

技術はなくてもいいから、その時にどんな顔をしているのかを見る力、その姿が子どもの発達のどこに繋がっているのかを考察する力や視点が重要になってくると思っています。

で、その力を身につけたり伸ばしたりするために何より必要なのは、子どもの姿を見て「その子の最善の利益」を考えること。僕らの頭の中に技術や知識を詰め込むことではなくて、頭の中にあるものをなにに使うかの目的を明確にすることなんですよね。

大事なのは、
①子どもの人権を尊重できる環境を整えること。(安全も含む)
②子どもが主体(主役)であることを心がけて、原則子どもに意思決定や選択の権限があるようにすること。
③子どもの姿をちゃんと見ること。言葉を聞くこと。子どもにとっての最善を考えること。
④子どもが健全に育つための知識、またはそのために必要な支援方法を身につけること。
⑤考察した子どもの姿を、知識や技術を生かしてどのように支援するのかを考える力を持つこと。
⑥その支援のために、既存の価値観に囚われないアイデアを生み出す思考力をつけること。

技術的なことはその後でいいと思っています。技術って無限にあって、全部は身につけられないから先に技術を身につけてしまうとその技術を自分のアイデンティティにしてそれに囚われてしまって本質から離れてしまう可能性があるから。
(技術は後からでも獲得できます。けれど、目的や姿勢は技術の後からは身につきにくいです。
目的のための手段か、技術を発揮するための目的か、とまた話が逸れるので今回は端折ります。)


色々理屈を並べましたが、ようは
落ち込まなくていいよ。ってことです。

ピアノが弾けなくても、字が下手でも、絵が描けなくても、手先が不器用でも、そんなことであなたの価値は下がらないし、そんなことで大事な自尊心を削られないでほしい。

ピアノが弾けなくてもCDがあるし、絵が苦手でもフリー素材があるし、字が汚くてもPCで文字は打てます。
手先が不器用なら、不器用な子の立場から支援の方法が見つけられるよ。音楽が苦手なら、みんなが歌って楽しいわけではないのを知っているなら歌わない子が問題児には見えないよ。子どもと一緒に絵を描くことを楽しめばいいし、できないことがあることを恥ずかしいと思わなくていいってことを子どもに伝えられるから。

だから、苦手なことがあったとしても、自分なんて、と落ち込む必要なんてありません。

そして、後輩や新しく入ってきた職員にも「できてないよ、足りてないよ」とは伝えずに、持ってる引き出しで最善の方法を一緒に見つけていけたらいいなと思います。

そんなことを考えていくと、これからはAIがいまの保育を担っていって、保育士はまた新しい領域にいくんだろうななんてことを考えています。が、話が長くなるのでこの話はまた別の機会に。


あとがき

料理屋さんの仕事が「美味しい料理を食べて幸せになってもらうこと」だとします。

すると、力を入れるのは料理や接客サービスだと思います。より雰囲気を感じるようにインテリアや空間にも力を入れるかもしれません。

それが仕事です。それ以外の引き出しは後でいい。

ただ、「あ、このお汁美味しいですね」と言われた時に仲居さんが「こちらは鳴門の鯛で出汁を取っていて、お刺身だけでなくいろいろお楽しみいただけるんですよ」と伝えられると価値が上がります。それは答えられる仲居さんにやはり引き出しがあるからで、大切なことです。また、引き出しが多くなると小手先に頼りすぎない奥深さと余裕も出てきます。

だから、そこを目指しはしたいなと思いますし、目指していくことが大切だよなと思います。

なにか身につけたいけれど、なにをしたらいいかわからない、という時にも自分の自信になるのでとりあえず技術を身につけてみよう、というのも一つの方法としてもアリだと思っています。

技術や知識がない言い訳として、今回の理論を盾にしてしまうのはそれはそれでプロ意識に欠けるので、両方の視点を持っていたいですね。今回は無くても落ち込むなよ!って視点で書きました。

「鯛の出汁かー!私こないだ鯛の出汁のラーメン食べたわ!美味しかってん!」という答えに「私もラーメン好きです!鯛ラーメン美味しいですよね、〇〇というラーメンやさんもおススメですよ」と自分の経験や好きなことが思いがけず生かされるのも、一つの引き出しだと思います。


結論。


引き出しは増やすものではなく、整理するもの。

ちなみに僕はうどん派です。

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保育をしたり絵を描いたり文章を書いたりしています。自身の保育論の追求だけでなく、いまの保育業界を本気で根っこから変えられる仕組みを研究しています。