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この夏、noteで

今年はこれまでにない暑さを体感した。
それも長期戦にもつれたことが災難だった
終わりの見えない夏の暑さに
私は体力のみならず、気力まで減退させた。
にもかかわらず今日まで生き永らえてこれたのは
noteの働きによるものが大きい。

夏のつわものたち

あるものは真夏にスイートポテトなるものを作り
読者の別腹を挑発し、またあるものは難しい語学試験に
合格した。読書に立ち向かったものもいる、不屈の精神で
連載に臨んでいる姿や、神の使いに遭遇した奇跡、
読むだけで仮想旅行した気分にさせる旅レポ、
異国料理で応援してみたり、魔法少女の未来について
勝手に心配する者もいた。

心と身体の調子を崩すものもいた。いつもの調子が
出ないくるしさもあった。見事な構図の美しい写真
に感嘆の声が漏れた。意外と近くに住まうものもいて
世間の狭さを知った。謎の暗号”パッケらモッチ”、
毎回違う話題でのコラム、見習いたい題名の付け方、
美味しそうな料理の数々、夫婦の話、子どもの話、
それぞれにいろんな出会いがあり
また苦悩と葛藤があった。

全て勝手に覗き見ているだけだったが
まるで友人の話を聞いているような
不思議な錯覚に落ちていった

彼、彼女らの記事によって
救われたのだった。
その朝露のように煌めく文字と写真は
実に甘美な幸福を私にもたらしてくれた

noteとは一体何なのだろうか?

間違っているのかもしれない。
そもそも推奨されているnoteの
使い方を私は知らない。

義務感の無い、責任感の無い、
ナチュラルでフラットな場所で
好きなことを好きなだけ
大人の良識に従って書いて、読んで、
勝手に推測したり考察をしてみたりする。

人によって人が救われる
そう思う人もいるというだけの話。

noteがいつまでも続いてくれることを願う

この夏の終わりに

―雑記





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