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社内SEがいることで、日本は変化する

 デジタル庁がまもなく発足する。

 デジタル化を実現するための第一歩として、日本国政府が創設を急いでいるのはご存じの通りでしょう。 

 これが実現した場合、次のステップでは、『行政のデジタル化』が始まる。

 私自信も現在進行系で感じていることだが、市役所や区役所に対して住民票を提出しているにも関わらず、年金事務所や税務署に申請を行う場合に再度個人情報の登録が求められている。 

 法人の住所変更の場合、法務局に申請をする。

 この申請で市町村や国に対しての申請が終わると思いきや、市役所、年金事務所、税務署、区役所、ハロワークなど、役所という役所のほとんどに、同じような書類を提出しなければならないのだ。 

 国と市では権限や管轄が異なる、というのは理解はできる。しかし、あまりにも非効率がすぎるし、結局同じような情報を登録するのであれば、それぞれの役所が情報を共有するということに対して、誰が反対するだろうか?

 少なくとも、私はぜひ情報共有を行ってほしいと思っている。

 現状の悲惨さはさておき、こういった無駄を効率化させるための手段がデジタルであると思っているのだが、それを推進するデジタル庁の創設を急いでいる理由の1つとして、他国と比較して日本のデジタル化は非常に遅れているという点がある。

 今回は、なぜ日本のデジタル化が遅れているか。ということをお話したい。


会社の目的は、利益の最大化である

 デジタル化を行う場合、必ず通る工程がシステム開発だ。計画を実施する側(以下、クライアント)が開発を行えない場合、必然的にシステム開発を他者もしくは他社(以下、ベンダー)に委任するという手段を取る。

 これは当然の手段であり特に問題はないし、餅は餅屋という言葉もあるくらいで、実用に耐えうる品質を確保するのであればそうせざるを得ない。

 しかし、ここに大きな問題が存在しており、それが日本のデジタル化を遅らせる原因の1つとなっていると私は考えている。

 システム開発をベンダーが請け負う場合、人月単価というものが利用されることが多い。特に大手の法人では。

 これは、一人の開発者が1か月かかる量を『1人月』とし、ひとつの単位として、金額を計算する方式だ。3人開発者が動けば1か月で終わるような量の場合、『3人月』となる。

 この計算方法自体は単価設定がしやすいし、クライアントにとっても開発規模や関わる人数、期間が把握しやすく、便利な計算方法であると思っている。

 しかしこの計算方法は、携わる開発者の能力が高ければ高いほど、ベンダーの売上が下がるのだ。

 数年、開発経験のある者が2か月かかるものを、優秀な開発者を採用してしまったことで1か月で終わってしまった場合、ベンダーの売上は半分になってしまう。同じシステムを開発したのに。

 1か月でできるような開発者がいるのであれば、単価を倍にすればいいのではないか、という意見もあると思う。しかし、単価には現実的に上限がある。いかに優秀な開発者であっても効率的にできる限界はある。しかも通常、どんな開発者をベンダーが用意したとしても、ベンダーがクライアントに対して提示する単価は変わらないのだ。

 それであれば、ギリギリ開発ができる程度の、時間がかかる開発者を想定した期間を設定し、金額を提示したほうがベンダーにとって都合が良いのだ。時間が増えれば増える程、売上が上がるのだから。

 さらに、ここに開発の仕方による引き伸ばしも加わってくる。システム開発の技術は年々進化している。そのため、10年前の技術を利用するのと、最新の技術を利用するのとでは、開発効率が大きく変わってくる(技術の安定性などについてはここでは省略する)。

 そこで、あえて10年前に主流であったような古い技術を使用することで、さらに開発期間は伸ばせることになる。

 しかも見積もりを作成する担当者は、それが古い技術であることに気づいてさえもいない事もあるだろう。

 成熟した古い技術を使うことには、それを習得している技術者がより多くいることなど、多数の開発者が関わる大規模開発ではメリットもあるのだが、システムの要件を整理し設計する担当者ならともかく、末端のプログラムを書く開発者は、上に書いたようにギリギリ開発ができるような人材を多く採用するため、最新であっても古い技術であってもそもそも習得していない場合が多い。

 つまり、時間をかけた開発を行った方が、日本ではより儲かる仕組みが出来上がってしまっているのだ。これではデジタル化が遅れているのはもはや必然である。

 もちろんこれは目に見えて膨大な金額になるので、中小企業同士の取引であればクライアントが納得できるものではないと思う。しかし、国からの発注や、潤沢な予算のある堅牢なシステムを目的とした発注の場合は、これがすんなり受け入れられてしまう。

 そしてそれらのほとんどは、私達がよく知る大手システム会社が受注するのである。

 大手であれば当然、多くの人が関わっており、そのほとんどがいかに非効率的なしくみを採用し開発費を膨らませるか考えているのであればそれは、効率化が最大のメリットであるデジタル化の本質とは真逆の性質を持っていることになる。当然関わる技術者も、世界では主流の技術に触れることもない。

 これが日本のデジタル化を遅らせている主な原因だと私は考える。しかしながら、ベンダーに非はないのだ。会社は営利団体であって、利益の最大化をしなければならないのだから。


判断のできる状況が、この現状を覆す

 なぜこのような事が起こってしまうのか。ベンダーとクライアントの立場を考えてみる。

 この問題の起点は、非効率な開発手法で計算された見積もりが、クライアントに承認されてしまうというところだ。

 大規模開発の場合、不具合が起これば社会全体への影響は大きいし、クライアント自信へのダメージも非常に大きい。であれば、クライアントの最上位の要件は『安定して動作すること』『確実に完成させること』であるはずだ。だからこそ、完成までの責任をしっかりと持って進めてくれるような、絶対の安心感がある大手開発会社を選ぶ。

 クライアント側もベンダーに対する大きな信頼が最初からあるのだ(政治的、戦略的理由でのベンダー決定ももちろんあるだろう)。

 いずれにせよ、クライアントは信頼しているベンダーから開発の内容を説明されれば納得せざるを得ない。ベンダー側としても、納得させる力は持っているし、手慣れているところでもある。むしろここが、大手は非常に上手いのだろうと考えている。

 これを改善するのに有効なのは、クライアント側にも、見積もりの内容や開発説明を、開発者レベルで理解できる『社内SE』を置くことである。

 この社内SEの能力条件として、今主流の開発手法や、世界的に見ても通常採用するのであろう、最も効率的な技術を把握していることが絶対だ。

 そのような人物が窓口となれば、売上の為の開発というものは回避できるし、主流開発ができるかどうか、という、そもそものベンダーとしての能力を問うことができる。こうなれば、技術のあるベンダーが選ばれるようになり、古い体制で行ってきたような一部の大手ベンダーも、知識をアップデートし、効率的開発にシフトせざるを得ないのだ。

 これはまさしく、日本を世界に追いつく水準へとデジタル化する為の推進剤である。

 このようにデジタル化とは、開発する側だけでなく、利用する側にも一定のITリテラシーが必要であることがわかるだろう。

しかしなにも全員にITリテラシーを持てということではない。たった一人、今のITを知っている『社内SE』がいればいいのだ。


デジタル庁は、国の社内SEとなれるかが課題

 明確にデジタル化のロードマップで示されているわけではないが、デジタル庁が担う役割は、国にとっての『社内SE』の立場であろう。

 国が発注するシステムで往来の鈍足開発ができないとなれば、その影響は非常に大きいものであるし、国自体が水準に達したということにもなる。

 古いままのベンダーは淘汰され、日本のシステム開発に、世代交代が発生する。

 これは日本を大きく変える始まりであり、デジタル庁の役割は今最も重要であるのだ。

 また、効率的に開発ができるようになったとしても、システム開発予算が大きく変わることは結局、ないと思っている。つまりそれは、開発期間が短くなる代わりに、単価が大きく上昇していくということになる。効率的な開発をしていくと単価が上昇する。そう、まさにアメリカのシステム開発者が、1000万以上の平均年収を獲得している理由に繋がるのだ。この仕組は既に実証済みなのである。

 期間が短くなり、報酬が上がればどうなるか?IT業界の働き方に改革が起きホワイト化が進み、若者は高単価報酬を目指して、ITリテラシーを獲得するようになる。

 今の日本が抱えている問題の多くを解決する手段は、ITリテラシーの高い『社内SE』を一人、雇用することなのだ。

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