刹那に憧れる傲慢さ

今日も今日とてテレワーク。

客先にも委託先にも投げられるボールは投げたらサクッと閉店ガラガラ。

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旦那氏、ここ数年ミドルエイジクライシスっていうのかな。元来エネルギーに富んでいて好奇心が人よりかなり旺盛なだけに、この極東の島国の閉塞感に耐えられず鬱気味。

とにかく弁が立つので、つらい。いかにこの国が差別的で閉鎖的で異常なマインドセットかというのを夜毎説いてきてつらい。

夜にとうとうと語るのは、多分日中あれもできなかったこれもできなかった。という自責の念があるからなんだと思う。

結婚前、転職して実家に戻ったが学生時代は気にならずとも、一度出てしまうと流石に親との同居に耐えかねた私が、旦那(当時彼氏)の1K単身者用アパートに押しかけた。

そこでは物理的にも心理的にも息が詰まってケンカが絶えず、私が半ば強引に決めた(今思えば不動産屋に強引に押し切られた)マンションは、家賃はそこそこするなりにやはり2LDKは精神衛生上ええなぁと思っていたのに、このマンションに越してきてから気持ちが沈む。陽当たりが悪いからだと文句を垂れる。

誰の福利厚生で家賃補助出てると思ってんのか。

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閑話休題。昼過ぎに仕込んだ豚バラ煮をつついた夕飯後の語らい。

つらい…まだベッドタイムまで時間があるのに今日は飛ばしている…

もうあかん。外行こう。鍵だけ持って散歩しよう。と誘い、21時過ぎに久々に連れ立って外に出る。

夜風が気持ちいい。公園のベンチに腰をおろし、スパークリングしてる人や下手くそなトス練習をしている中学生カップルを眺めながら、缶ビール片手にこれからの都市生活がどうなるか語らう。

商店街で門戸を開けている店々をふらふらと覗き見て、収束したら週末に夫婦で立ち寄って、一二杯引っ掛けられる店を近所で見つけようよ、だのと罪のない話をしてたのに。

私が発した何気ない一言で、空気が一変した。

「刹那的っていうのに憧れる」

(もうちょい前後の脈絡はある、勿論)


私がnoteを始めたのは、色んな人が色んな生活を送りながら色んなことを考えていて、それを覗き見したいと思ったのがきっかけだった。

昔から、夜に生活を送っている人に興味があった。

夜っていうのはここ数年私にとって、深夜残業して疲れ果てて電車に揺られて旦那が寝てたら起こさないようにスマホ片手に夕飯つまんで寝るだけのものか、

女友達や同僚との飲みでは、学生時代にはバカにしてたような非言語で通じるあうんとかノリに際して水を得た魚のように感じたり。で、その帰り道の自宅最寄駅から

「あー、これからまた全てを言語化しないと通じない、もしくは言語化しても齟齬が生じてぶつかるあの2LDKに帰るんだ。」

とカウントダウンしながら歩くってものになっていた。

だけど夜に自由になる人が世の中には少なからずいて、それに憧れていたんだ。

就活うまくいかず、昔の赤線地帯の川べりでチヤホヤされるのに味をしめた女子大生だった頃に憧れていたのは、地に足のついた生活とそこに欠かせないパートナーだったのにな。

無い物ねだり。

さて、そんな私なりに感じている閉塞感から、夜の刹那的な感じがいい。刹那的に生きている人の生活を垣間見たい。と言ったのよ。

そしたら今晩は、今晩だけは大丈夫と思っていた旦那のしゃべくり魂に火がついた。

「刹那的って何なんだ?俺にとって刹那的ってのは、NYでOCCUPYのかデモしてる奴らとか、ジプシーとか、イギリスだったら不法占拠で人の不動産に棲みついてたまに警察に追い出される奴らとかだ。

なお悪いことに、俺はこの国で裁量もてる職について指導的立場に付いてるにも関わらず、一歩外を歩けばガイジンだよ。

毎年新しいヤツらが来日してきて、同じ数だけニホンジンにはどんなに頑張ってもなれなかったと夢破れて帰国する。そんな刹那的なヤツらがガイジンと呼ばれるんだ。

刹那的って言葉はすごく神経に障る」

と言われた。

もうどうすりゃいいの。

今はベランダに出した折りたたみイスに座ってこれ書いてる。このイス担いでフェス行こうって話していたのも今は昔…

気持ちよかった夜風も冷たくなってきたし、缶ビールはとうにぬるくなってしまったし、そろそろ寝る。

おやすみー

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