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僕の子供はきっと可愛いので、産んでくれませんか?

定跡はどこまで覚えればいいのだろうか。
この問いは将棋をはじめた者を容赦なく無慈悲に襲う。
だからすこし、所信を述べたい。

棒銀に矢倉、腰掛け銀に雁木、右四間飛車に左美濃。
居飛車の戦型をとってみても、多様極まりない。
ぜんぶ覚えなければ、相手に出し抜かれてしまう。
そう思って焦燥し、がむしゃらに定跡を詰め込み、しまいには将棋が嫌いになってしまう哀れな人間もいるのではないか。

私は声高に言いたい。
定跡なんて覚えなくても、有段者と戦える。

現に私は、必要最低限の定跡しか知らないし、普段指す戦型から外れてしまったときは、迷うことなく「力将棋」に持ち込んでいる。
それでも、有段者に勝てる。

なぜか。
あるひとつの戦型において卓越しているからだ。
私の場合それは右玉であるが、別になんだっていい。

無論、そのひとつの戦型はとことん極める必要がある。
それについて著された本は隈なく読み、その戦型を愛好しているプロの棋譜を並べながら呼吸を学ぶ。
本にも過去の対局にも見つけられない局面が出てきたときは、自分ひとりで何時間でも考えてみる。
ここまですれば、その戦型に対する愛も養われるし、なにより勝利に近づく。
恐ろしく尖ったひとつの武器さえ持っていれば、たとえ農夫でも、敵の大将の首を持ち帰ることだってできるのだ。

では、愛好する戦型とどう出会うか。
それこそが、定跡を覚えるということに繋がる。
とにかくいろんな定跡に触れると、自ずと好きな形が分かってくるものだ。
まずは広く、その次に深く、あらゆる物事を修練する際の鉄則である。

あらゆる物事……それはナンパだっていい。
声をかけるときに女性を探す場所、繁華街やオフィス街あるいは図書館だっていいが、とにかくまずは試してみて、自分にフィットするものを愛好すればいいのだ。
第一声だってそう、「お暇ですか?」や「道を教えてくれませんか?」あるいは「僕の子供はきっと可愛いので、産んでくれませんか?」など、とにかく試行錯誤してみて、自分の中の熱狂を見つめるのである。
そこから、磨くべき武器を選べばいいのだから。

自分の奥底に眠る熱狂を探すとき、ありとあらゆる手段を試さなければ素敵な結論にはたどり着けない。
だから、定跡を学ぶのである。

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