将棋の盤や駒に死者が宿っているとしたら?
世界をミクロにみていくと、必然、最小単位に行き着く。
それは古代ギリシャで哲学者たちが喧々諤々語り合ったアレだ。
ご存知の通り、今日の物理学において素粒子と呼ばれているアレ。
チワワの小便も、あの子の乳房も、母なる海も、みんなみんなとどのつまりは素粒子。
今日は素粒子についての悪魔的な事実をお伝えしたい。
チワワの小便と母なる海は見るからに色も違うし出どころも違うし、いくら同じ素粒子といえどきっと本源的にかなり異なる素粒子から成っていると思う向きもあると思う。
私もそう思っていた。
ところがどっこい驚天動地、素粒子というのはそもそも12種類しかない。
ワオ、ファンタスティックベイビー!
じゃあなんだい、チワワの小便も母なる海も分解していけば同じ12種類の素粒子で構成されてるっていうのかい?なんて悪魔的!
とりあえず12種類と言ったが、これは物質を構成する素粒子のことで「フェルミオン」と呼ばれる。
他方、実は素粒子間の相互作用を媒介する素粒子も存在していて、こちらは「ボソン」と呼ばれており、6種類ある。
ある、と言っているが、たとえば「重力子」のように未発見の素粒子もあるくらい、素粒子物理学の世界は未知に満ちている。
言わずもがな、暫定的な理論には今後修正がなされていくかもしれないし、現状未知な部分も多分にあるのだが、しかし、なかなかどうして、それでも世界を構成する最小単位である素粒子の種類が両手でちょっと足りないくらいの数だという事実は震撼に値する。
12種類の素粒子の組み合わせであらゆる物質ができているなんて、神秘以外のなにものでもない。
人は死んだらどこへ行くのか?
きっと素粒子の組み合わせの仕方が大きく変わり、一部の素粒子は親族の肩に乗り、また一部の素粒子は野に咲く花の花弁にたゆたう。
魂の話は抜きにして物理界に焦点を当てた場合、死者はそこにいる、ということになる。
将棋の盤や駒に死者が宿っているとしたら?
そんな突飛なことを私は考える。
しかしあながちどうだろう、将棋の盤や駒にものすごい額の値札がつけられているのを見ることがあるが、あれは貴重な木から作られている。
その木が歩んできた歴史の中でくっつくことになった死者の素粒子や、盤や駒を形成するために働いた職人たちの素粒子が、1局の将棋に宿っていないと言い切れるだろうか。
私はこういう悪魔的な視座から、世界を、将棋を楽しみたい。
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