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自分自身だけは誤魔化せない/これからのこと


 4月の日記以来、久々にnoteを書いた。
 X(Twitter)は続けていたのだけれど、主に共有関連においての制約が厳しく、どうにも使いづらくなったので今はThreadsInstagramで主に活動している。

 あちら、こちら。
 相変わらずその時興味のあるものへとフラフラとしながら、映画を観たり、本を読んだり、ひたすらノートに書き込んだりしていた。

myノート。気に入りすぎて別カラーをストックした。もうすぐ終わるので切り替えが楽しみ。


 自分がいま考えていること。映画の感想。本の感想。良いなと思った言葉たち。
 そんなことをノートに書きまくって、何ヶ月もかかって、ようやくわたしは「自らの手で書く(描く)こと」がやっぱりどうにも好きなのだと思ったのである。


1

 随分と本が増えた。

 別にミニマリストというわけでは無いけれど、元々部屋に物があふれるのは嫌なタイプ。そもそもわたしの狭い部屋では置く場所も限られるし、大体が支出を計算せずに買えるほどの金銭的余裕もない身である。
 本を買う時は毎回「いまここで買うべきか、買わざるべきか」と悩み抜き、時には泣く泣く厳選してきたというのに。

 4月の日記にも書いたけれど、結局わたしには紙の本が必要なのだと一度思ってしまえば、片っ端から読みたい本を手に取ってしまっている。
 SF小説を手にしたかと思えば、読み終えた次はアートミステリ。並行して暮らしや旅のエッセイ本なんかも読み、時には起業家の頭の中をも覗く。更に積読の中には「図解 スナイパー」なんてものもお利口に鎮座している。

 本を手にした時、自分の心が湧き立つのがわかる。

 いつ読もう。
 どこで読もう。
 どんな内容かな。
 どんな学びや気づきがあるかな。
 表紙と帯はもちろん、中の装丁も素敵だな。
 —— やっぱり、紙の感触は良いな。

 本のすべてが好きだ。

 わたしの知らない誰かの言葉を読めるのが嬉しい。
 わたしの知らない物事について知ることができるのが嬉しい。

 その喜びを、誤魔化すことはやめようと思った。


 ここまで来たら、どうせなら誤魔化すのではなく、わたしなりに伝えていこうと思ったのだ。


2

 絵を描きたいと思い、挫折した過去がある。
 今や界隈にひしめくあふれんばかりの才能と努力の中においては、わたしの存在なんてひどくちっぽけで、描けば描くほど嫌になっていった。

 わたしには向いていない。

 そう思って背を向けて、なのに未だ捨てられない道具。クロッキーブック。絵にまつわる本に、勉強ノート。結局それらを大事に抱えたまま、気づけば何年も生きていた。
 不要なものを手放すのに躊躇しないわたしが、いつまで経っても捨てられないものたち。

 それらをずっと眺めながら、今更になって、わたしが嫌になったのは「絵を描くこと」ではないのだと気づいた。
 何者にもなれない中途半端な自分が、どうしようもなく嫌だったのだ。


3

Life is a series of choices.  —— 人生は選択の連続である。

ウィリアム・シェイクスピア「ハムレット」


 いまこの瞬間にも、人はあらゆる物事を選択している。

 何を食べるか、食べないか。
 何を見るか、見ないか。
 どこを通るか、通らないか。

 —— 自分はいま、どうしたいのか。


 結局わたしは、書く(描く)ことを捨てられないのだ。
 その世界に浸っていたいと、どうしようもなく焦がれている。
 例えそれが、自己満足だったとしても。

 自分が何者であるかを決めるのは、周りじゃない。自分だ。
 だからわたしが決めて、選び取るしかないんだよ。


君自身であれ! そうすれば世界は豊かで美しい!

ヘルマン・ヘッセ


 取り敢えずのやりたいこととしては、Threadsで上げていた映画や本の感想に多少肉付けして、noteにもアップしたいと思っています。
 見出し画像も自分で描きたいな。

Instagram @1_seeyou_atdawn


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