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まずは自分を褒めてあげようね/4月30日の日記(完)
今月の初めに決めた目標。
「4月は毎日日記を更新する」
本日をもちまして、無事達成いたしました!
見てくださった方、スキしてくださった方、本当にありがとうございました。
「毎日一枚、その日の出来事をイメージした絵を描く」
実はこれも、わたしが自分に課した目標だった。更に、ただモノを描くだけでは面白みがないので、表情をつけるために手を添える、というのが裏目標だった。
4月20日だけはちょっと推しに荒ぶっていたので、あえてのあの絵だったけれども。
自分の手を見ながら、時には写真に撮ったりしながら描いたのだけど、今までこんなに真剣に手を描いたことがなかったな、なんて。昔はよく分からず苦手だと思いながら何となく描いてただけだったので、今回は練習のつもりでもあった。
結局のところ、わたしは絵を捨てられないでいる。
「もう描きたくない」「わたしには無理だ」そんなことを思い続けては、「描く時の参考になるかも」「これを使っていつかまた描くかも」なんて未練がましく好みの絵をブックマークしたり、参考書を読んでみたり、画材を大事に取っておいたりして。
他のものは未練なく手放したものが殆どなのに、絵に関するものだけはどうしても捨てられないのだ。
ああ、これがきっと「人生に関わるものになってしまっている」ということなのだろう。
そう思うと、なんだか涙が出てくるのだ。わたしの過去は無駄じゃなかったのだと。わたしは絵を描いてもいいのだと、肯定されているような気がして。
「やめなければいつかどうにかなる」
自己啓発本で見かけたその言葉を、4月15日の日記にも書いた。
継続は力なり、とも言うことだし、確かに真理としてはそうなのだろうと思う。でも間違った方向の継続になってしまうと、それは力にならない可能性も高いわけで。
例えばダイエットでも、まずは食事から見直すべきなのか、トレーニングから入るべきなのか、は人によって違ってくると思う。最終的な結論は別にして、足がけにするところや注力するところを履き違えたまま続けると、結果が出なかったり、身体を壊したりなどもあり得るわけだ。
自分が今しているこれが正しい継続なのか、間違った継続なのか、ぱっと見では判断するのは難しい。自己理解や客観視が上手くできる人なら別だろうけど、そこまで考えて行動できる人が果たしてどのくらいいるものか。
わたしはそれを上手く判断できないまま、実際続けたところでどうなのか、何か変わることでもあるのか、なんて疑心暗鬼のままこの一ヶ月続けてきた。
しかしこうしてやり切ってみると、特別何かが大きく変わったわけではないにしても、確かに気付きや自信には繋がったな、とは思うのだ。
ちなみに、日記については来月から毎日更新はしない予定だ。慣れぬルーティンワークに頭を悩ませた日々ではあったので、一旦お休みして別のことに力を注ぎたいと思っている。
おわりに。
ある人にとってはこんなもの、たかが一ヶ月なのかもしれない。
でも、わたしにとってはされど一ヶ月なのだ。
他の誰が褒めてくれなくても、自分だけは自分を褒めてあげるのだ。
お疲れさま、わたし。やり切ったね。すごいよ!
完
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