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読書ノート 「新版 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」ハンナ・アーレント 大久保和郎訳

 
 ついにというかやっとというか「エルサレムのアイヒマン」を読んでいる。
 これは一九六一年にエルサレムで行われた、ナチスの元高官アドルフ・アイヒマンに対する国際裁判について、アーレント自身の取材と現地で配られた膨大な裁判記録を元にして書かれたルポルタージュである。一九六三年二月から三月にかけて、五回にわたって雑誌『ニューヨーカー』に連載され、五月に書籍として出版された。
 「悪の陳腐さ」について、ユダヤ人大量虐殺の実行者としてのアイヒマンのイスラエルによる裁判の記録(ルポルタージュと言うにはあまりにも重い)として、アーレントとしてはある意味転回点となったこの著作は、大変率直にそして真摯に「法」「悪」「人類」といったものを考えるにはうってつけのものであろう。気づきは多く、書ききれないかもしれないが、まあ、ブチ当たっていこう。

 どこから行くか迷うのだが、終盤のこのコメントから。



(アイヒマンの死刑を正当化する究極の理由に触れ)ある種の〈人種〉を地球上から永遠に抹殺することを公然と目的とする事業(!)に巻き込まれ、その中で中心的な役割を演じたから、彼は抹殺されなければならなかったのである。そして「正義は単に行われなければならないだけでなく、目に見える形で行われねばならぬ」ということが真実であるならば、エルサレムで行われたことの正義は万人の目に見えるような形であらわれてきたであろう、もし判事に、おおよそ次のような言葉で被告に呼びかける勇気があったとすれば。

 (ここからの言葉は、アーレントの創造である)

「君は戦争中ユダヤ民族に対して行われた犯罪が有史以来最大の罪であることを認め、その中で君が演じた役割を認めた。
しかし君は、自分は決して賤しい動機からこうしたのではない、誰かを殺したいという気持ちもなかったし、ユダヤ人を憎んでもいなかった。けれどもこうするよりほかにはなかったし、自分に罪があるとは感じていないと言った。
我々はそれを信じることはまったく不可能ではないまでも困難であると思う。
それほどたくさんではないが、この動機と良心の問題について君の主張を否定する、疑問を残さぬ証拠もいくつかある。君はまた、最終的解決において君の演じた役割は偶然的なものにすぎず、ほとんどどんな人間でも君の代わりにやれた、それゆえ潜在的にはほとんどすべてのドイツ人が同罪であると言った。君がそこで言おうとしたことは、すべての、もしくはほとんどすべての人間が有罪である場合には、有罪なものはひとりもいないということだった。これは事実ごく普通の結論だが、われわれはこれを君に認めようと思わない。
そしてわれわれがそれに反対する理由がわからなければ、ソドムとゴモラの物語を思い出してもらいたい。聖書にあるこの隣同士の二つの町は、そこに住む人々がひとしく罪を犯したがため、天からの火に焼きつくされたのだ。ついでに言うが、これは〈集合的な罪〉という最近はやりの観念とはなんの関係もない。この観念に従えば、人々は自分の行ったのではなくとも自分の名において行われたこと──自分が参加もせず、そこから利益も得なかったことについて有罪である、もしくは罪を感じるとされるのであるが。
換言すれば、法の前での有罪と無罪は客観的な性質のものであって、たとえ八千万のドイツ人が君と同じことをしたとしても、そのことは君にとって言い訳とならなかったであろう。

 さいわいわれわれにはそこまで言う必要はない。
君自身とても、その主要な政治的目標が前代未聞の犯罪の遂行ということになってしまった国家の住民はすべて現実に同罪である、と主張したのではなく、潜在的に同罪であると主張したにすぎない。そしてどんな偶然的な内外の事情に促されて君が犯罪者になってしまったとしても、君がしたことの現実性と他の人々がしたかもしれぬことの潜在性のあいだには、底知れぬ深い裂け目がある。
ここで我々の関心をひくのはもっぱら君のしたことであって、君の内面的生活や君の動機は犯罪的な性格をもっていなかったかもしれぬということや、君の周囲の人々の潜在的な犯罪ではない。
君は自分の身の上を逆境の物語として語ったが、事情を知ったわれわれとしては、もっと順境にあったならば君もわれわれの前に、もしくは他の刑事法定に引き出されるようなことはまずなかったろうと、ある点まで認めるに吝かではない。
議論を進めるために、君が大量虐殺組織の従順な道具となったのは、ひとえに君の不運のためだったと仮定してみよう。その場合にもなお、君が大量虐殺の政策を実行し、それゆえに積極的に支持したという事実は変わらない。というのは、政治とは子供の遊び場ではないからだ。政治においては服従と支持は同じものなのだ。そしてまさに、ユダヤ民族および他のいくつかの国の民族とともにこの地球上に生きることを望まない──あたかも君と君の上司が、この世界に誰が住み誰が住んではならないかを決定する権利を持っているかのように──政策を君が支持し実行したからこそ、何びとからも、すなわち人類に属する何ものからも、君とともにこの地球上に生きたいと願うことは期待し得ないとわれわれは思う。
これが君が絞首されねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である」

 


フラグメントたち


  • もしアイヒマンが殺人の共犯として告発されていたとしたら、はたして彼は有罪と認めただろうか?認めたかも知れないが、ただそれには重要な条件がついていただろう。つまり彼の行ったことは遡及的にのみ罪になるのであり、彼はつねに法を遵守する市民だったのだ。彼が最善を尽くして遂行したヒトラーの命令は第三帝国においては〈法としての力〉を持っていたからである。


  • 「彼はよく勉強する生徒ではなかった」


  • ほらを吹くことはどうみても一貫して彼の最大の悪徳の一つだったようだ。


  • アイヒマンは明らかにカンテンブルンナー(帝国保安本部長官)から社会的劣位者として扱われていた。


  • アイヒマンは、オーストリア・ユダヤ人移住センター長としてヴィーンで過ごしたこの一年が自分の最も幸福で最も成功した時期だったとしている。


  • 五百万といえばナチの全機関による犠牲者の総計に近いが、それだけのユダヤ人を自分で殺したと主張することは、彼自身もよく承知していたように馬鹿げていた。しかし彼は耳を傾けてくれる者ならば誰にでも、しかしそれから十二年後アルゼンチンにいたときですらも、彼自身にとって命取りになるこの話を、相手がうんざりするほど繰り返している。


  • 同様に滑稽なのは、言葉の配列の規則を無視して決まり文句に決まり文句を重ねているので誰にも理解できない、とどまるところを知らない彼の文章だった。


  • 彼の語るのを聞いていればいるほど、この話す能力の不足が思考する能力──つまり誰か他の人の立場に立って考える能力──の不足と密接に結びついていることがますます明白になってくる。


  • 想像力の完全な欠如という防壁


  • 八千万のドイツ人の社会は…自己欺瞞の習慣はきわめて一般的なものになり、ほとんど生き延びるための前提条件にすらなってしまっていた。


  • 検事のあらゆる努力にもかかわらず、この男が〈怪物〉でないことは誰の目にも明らかだった。


  • その時々の気分を昂揚させてくれる決まり文句をあるいは自分の記憶の中で、あるいはそのときの心のはずみで見つけることができるかぎりは、彼は至極満足で、〈不整合〉などといったようなことは一向に気がつかなかった。後に見るように、紋切り型の文句で自慰するというこの恐ろしい長所は、死の寸前にあっても彼から去らなかったのである。


  • (SSの穏健派)を構成するのは、自分の殺し得たはずのすべての人間を殺さなかったと証明し得る殺人者はすばらしいアリバイを持っていると信じられるだけのおめでたい連中と、金とコネがふたたび何よりも幅を利かす〈通常〉の事態への復帰を予想するだけの目はしが利く手合だった。

  • 将軍たちのうちの一人はニュルンベルグで「あなたがたは尊敬すべき将軍たちなのに、どうして皆あのような盲目的な忠実さをもって人殺しに仕えつづけることができたのですか?」と訊かれて、「最高司令官を批判するのは兵士のすべきことではありません。それは歴史か天なる神のすることでしょう」と答えた。これよりもはるかに知性もなく見るべき教養もないアイヒマンも、少なくとも自分たちすべてを犯罪者にしてしまったのは命令ではなく法律であるということは、おぼろげに悟った。

  • 繁文縟礼(規則が細々として煩わしいこと)は、ドイツ的な杓子定規や徹底主義の単なるあらわれであるどころか、この一件全体に合法性の外観を与えるのにきわめて有効な役割を果たしたことはつけ加えるまでもない。

  • アイヒマンの位置は、全体の作業の中で最も重要なコンベヤーベルトというものであった。なぜなら、ある地域から輸送し得る、あるいは輸送すべきユダヤ人の数はつねに彼と彼の部下の決定に委ねられていたし、また個々の輸送の最終目的地は彼が決定するのではないが、彼の課から発表されるのだったから。

  • (ニュルンベルグ)裁判では被告たちはたがいに他を非難しあい裏切り合って、自分は「いつも反対だった」と断言し、あるいはアイヒマンが後にするように、自分の最も優れた長所が上官たちに〈悪用〉されたと主張したのである。

  • エルサレムでアイヒマンは「権力ある地位にいた連中」が自分の「服従」を悪用したと訴えた。

 全体主義支配が、善悪を問わず人間の一切の行為がその中に消滅してしまうような忘却の穴を設けようとしたことは事実である。しかし殺戮のすべての痕跡を除去しようとするナチの一九四二年六月以後の熱に浮かされたような試みが失敗を運命づけられていたのと同じく、反対者たちを〈沈黙せる匿名性のうちに消滅させ〉ようとするすべての努力も空しかったのである。
 忘却の穴などというものは存在しない。人間のすることはすべてそれほど完璧ではないのだ。何のことはない、世界には人間が多すぎて忘却などというものはあり得ないのである。かならず誰か一人が生き残ってその物語を語るだろう。
 したがって何ものも〈実践的に無益〉ではあり得ない、少なくとも長い目で見れば。もし先程のような物語がもっと多く語られたとしたら、それは今日のドイツにとって、実践的に大いに有益だったろう。このような物語に含まれる教訓は簡単であり、誰もが理解できるからである。政治的に言えばその教訓とは、恐怖の条件下ではたいていの人間は屈従するだろうが、ある人々は屈従しないだろうということである。


  • (アイヒマンがドイツの若者たちのことを考えて「ドイツ帝国に押し付けられた戦争」の責任を取ろうとしているといった考えや、イスラエルの裁判なら「客観性」が相対的にあるというシオニストに対する奇妙な態度、またアルゼンチンに隠遁していた生活に倦んでいたことなど)この種のおしゃべりが彼に或る昂揚感を与えるのを見た。そして事実これのおかげで、彼はイスラエルの獄中にいるあいだじゅうまずまず上機嫌でいられたのだ。


  • (巨大な複雑な犯罪にあっては)概ね直接に死の道具を操った人間から離れれば離れるほど、責任の程度は増大するのである。


  • 「私はある謬論の犠牲者なのです」(アイヒマン)


  • アイヒマン裁判に対する異議には三つの種類があった。第一は、ニュルンベルク裁判に対して唱えられ、今また繰り返されているもので、アイヒマンは遡及的な法のもとに、しかも勝者の法廷によって裁かれるという異議であった。第二はエルサレム法廷のみに向けられた異議で、この法廷の裁判資格を問題にするか、もしくは拉致という事実をこの法廷が無視したことを問題にしていた。そして最後の最も重大なものは、アイヒマンが〈人道に対して〉ではなく〈ユダヤ人に対して〉罪を犯したという起訴理由そのものに対する、したがって彼がそれによって裁かれる法律に対する異議であり、この異議はこれらの罪を裁くにふさわしい法廷は国際法定のみであるという論理的な帰結にみちびいた。


  • 判事たちはニュルンベルク憲章そのものと同じくらい首尾一貫していなかった。彼らは「人道に対する罪をできるだけ強調しないようにしながら、在来の通常の犯罪すべてを包含する戦争犯罪の廉で」断罪するほうをよしとしたのにもかかわらず、判決を下す段になると本音を吐いて、事実上〈人道に対する罪〉を、いや、「人間の地位に対する罪」を構成するまったく異常な残虐行為の罪を帰せられた人々にのみ、最も厳しい罰、すなわち死刑を下したのだから。侵略は〈最高の国際的犯罪〉であるという意見などは、平和に対する〈共同謀議〉でぜんぜん有罪とされなかった幾人かの者に死刑を宣せられたときにいつの間にか放棄されてしまったのだ。


  • 追放とジェノサイドとは、二つとも国際犯罪ではあるが、はっきりと区別されなければならない。前者は隣国の国民に対する犯罪であるのに対して、後者は人類の多様性、すなわちそれなしには〈人類〉もしくは〈人間性〉という言葉そのものが意味を失うような〈人間の地位〉の特徴に対する攻撃なのだ。


  • エルサレムの法廷に対して異議を唱え、国際裁判を支持した数多くの優れた人々の中で、ただ一人カール・ヤスパースだけが「ユダヤ人に対する罪は人類に対する罪でもあり」「したがって判決は全人類を代表する法廷によってのみ下され得る」ときわめて明確に言明した。


  • 一国民のみしか代表していない法廷では、出来事の巨大さは〈極小化〉されるのだ。


  • アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの人々が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ。われわれの法制度とわれわれの道徳的判断基準から見れば、この正常性はすべての残虐行為を一緒にしたよりもわれわれをはるかに慄然とさせる。なぜならそれは──ニュルンベルク裁判で繰り返し繰り返し被告やその弁護人が言ったように──事実上(人類の敵)であるこの新しい型の犯罪者は、自分が悪いことをしていると知る、もしくは感じることをほとんど不可能とするような状況のもとで、その罪を犯していることを意味しているからだ。


  • 彼らが勝ったとすれば、彼らのうちひとりでも良心の疚しさに悩んだだろうか?


 アードルフ・アイヒマンは従容として絞首台に上った。
 彼は赤葡萄酒を一本所望し、その半分を飲んだ。
 一緒に聖書を読むことを申し出たプロテスタントの牧師ウイリアム・ハル師の助力を、彼は謝絶した。
 あと二時間しか生きられない、だから〈無駄にできる時間〉はないというのだった。
 両手を背中で縛られたまま監房から処刑室までの五十ヤードを体をまっすぐに伸ばして、静かに彼は歩いていった。

 看守が足首と膝を縛ったとき、まっすぐに立てるように縄をゆるめてくれと彼は看守たちに言った。
 また黒い頭巾を差し出されたときには「そんなものは必要ない」と言った。
 彼は完全に冷静だった。いや、それどころか彼は完全にいつもと同じだった。
 彼の最後の言葉の奇怪なまでの馬鹿馬鹿しさ以上に説得力をもってこのことを証明するものはない。

 彼はまず力をこめて自分が(信仰を持つ者 Gottgläubigkeit※)であることを言明した。これは普通にナチが使っていた言い方で、自分はクリスチャンではなく、死後の生を信じていないということを表明したのである。彼はGottgläubigkeitというナチ的な表現を意識的に使ったが、ただこの表現がキリスト教と死後の生への信仰の拒否を意味していることは気がつかなかったのである。

 「もうすこししたら、皆さん、われわれは皆再会するでしょう。それはすべての人間の運命です。私は生きていたときGottgläubigeだった。Gottgläubigeのまま私は死にます。ドイツ万歳、アルゼンチン万歳、オーストリア万歳! これらの国を私は忘れないだろう」

 死を眼前にして、彼は弔辞に用いられる紋切り型の文句を思い出したのだ。絞首台の下で、彼の記憶は彼を最後のぺてんにかけたのだ。彼は〈昂陽〉しており、これが自分自身の葬式であることを忘れたのである。
 それはあたかも、この最後の数分間のあいだに、人間の邪悪さについてのこの長い講義がわれわれに教えてきた教訓──恐るべき、言葉に言い表すことも考えてみることもできない悪の陳腐さという教訓を要約しているかのようだった。

※ナチスドイツにおいて、ゴットグロイビッヒとは、正式にキリスト教会を離れたものの、より高い権力や神聖な創造者への信仰を告白したドイツ国民が実践する無宗派主義および理神論の一形態を指すナチスの宗教用語。そのような人々はGottgläubigeと呼ばれ、運動全体を表す用語はGottgläubigkeitだった。


 アイヒマンは滑稽だ。しかしこの滑稽さは人間の持ちものである。

アーレントの目にアイヒマンは残虐な悪の化身などではなく、権力と法に忠実で保身と小心と思考停止の小市民であった。

官僚主義的な世界に必死に慣れようとし、業界用語を無自覚に駆使し、判断停止と理論の破綻も顧みず、その場を取り繕いながら小さなプライドを塗り固める、そんな人物が二十世紀最大の悲劇の駆動者だったのだ。

 「エルサレムのアイヒマン」はその後の思想に大きな影響を与える。ドイツの歴史家はアーレントが提起したナチズムに対するドイツ人のレジスタンスの本質と広がりについて取り組み始め、心理学や社会学においても、「悪の陳腐さ」現象に関する研究(ミルグラム実験やフォード監獄実験)がなされることとなる。

 アーレント自身も、この経験が後の「思考」や「良心」についての考察(『精神の生活』第一巻『思考』、第二巻『意志』)の契機となる。

思考と道徳の関係、意志と自由の関係を書き綴り、最終第三巻の『判断』を書く前にアーレントはこの世を去った。

『判断』の重要な手がかりとして、『思考』巻の補遺にある「判断力はもっとも政治的な精神能力である」、これをどこまで拡張・伸長・革新させていくことがわたしたちにできるか。
 

 


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