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読書ノート 「神秘主義」 鈴木大拙

 2020年5月発刊の比較的新しい岩波文庫。鈴木大拙は「日本的霊性」のみ読んでいるがこれは英語で書かれた晩年の代表著作。初の日本語訳。

 日本人以外に向けられたこうした著作は、日本人だったら解るでしょ的な暗黙の了解を超えて書かれることで、自明とされていたことが明確に説明される。それを読んで、実は日本人も、ああ、これはこういうことだったのね、へえ、という感想を持つのではないか。

 言葉の壁・思考の壁を超えるために、異なる言語で考える、ということを我々はもっとしなければいけないのかもしれない。井筒俊彦は30の言語を理解したそうだ。人間の頭脳の能力は、もっと高いところまで行ける、はず。

 キリスト教神秘主義の第1人者であるエックハルトと禅、仏教・真宗の親和性を顕にし、妙好人の浅野才市を紹介している。宗教的叡智である「神秘主義」を縦横無尽に論じている。まずもってページネーションやフォントが読みやすい現代的なものになっており、理解が進む。全文を書き写したい衝動(井筒の著作もそうだが)にかられながら、はやる心を落ち着けています。

 解説が重要であるということに気付いた。安藤礼二すごい。


 「鈴木大拙(1870-1966)は、自らの思想の形成期と完成期をアメリカで過ごした。思想の形成期とは明治期の後半、20代の終わりから40歳を迎える直前のことであり、完成期とは太平洋戦争敗戦後の80歳を迎える前後から最晩年に至るまでのことである。この二つの時期に、大拙は英語を用いて、それぞれの時期を代表する二つの書物を纏めている。それが『大乗仏教概論』(1907)とこの『神秘主義 キリスト教と仏教』(1957)である。…大拙がはじめてアメリカに渡るにあたって抱いていた強い意志、インドに生まれた仏教が中央アジアから中国大陸、朝鮮半島を経て極東の列島である日本に伝わり、変容し、定着することで形をなした「東方仏教」の持つ可能性を世界に向けて発信するという点において、『大乗仏教概論』と『神秘主義』は、そうした未曾有のプロジェクトの全貌、その始まりの場所と終わりの場所を提示してくれる。

 …しかも、大拙の思想を知るためには不可欠のこの二冊の書物の邦訳が岩波書店から相次いで単行本として刊行されたのは2004年の初頭(1月と2月)のことであった。…いずれも禅を特権的に論じる大拙からはかけ離れた破格の書物であった。それまで、主に大拙が日本語で残してきた著作を通してしか大拙の思想に触れることができなかった者たちにとっては突如として未知なる大拙が、未知ではあるがそのなかにこそ真に思想の核を秘めた大拙の営為が、浮上してきたのである。

…実のところ『大乗仏教概論』においても、『神秘主義』においても、大拙の「東方仏教」理解に大きな相違はない。「東方仏教」は、インドにおいてヒンドゥー的な「有」神論に対抗するようなかたちで生まれた始原の仏教が主張していた「無」(空)の意味を大きく変えてしまった。変容した東方的な「無」は、キリスト教の神秘主義的な展開の中で可能となった。人格的で「一」なる神以前に位置づけられる非人格的で「無」なる「神性」とほとんど等しい性格を持つようになる。「無」の側からは「有」が抽出され、「有」の側からは「無」が抽出され、その両者が重ね合わされていくのだ。それでは、大拙が考える東方的な「無」(空)とは、一体どのようなものだったのか。大拙は本書『神秘主義』のなかで、明確にこう定義してくれている。…仏教の主張する「空性」は不在や絶滅や空きを意味するのではなく、「不在・絶滅・空きーこれらは仏教でいう“空”の概念ではない。仏教の“空”は、総体的次元の話ではない。それは主観・客観、生・死、神・世界、有・無、イエス・ノー、肯定・否定など、あらゆるかたちの関係を超越した絶対空である。仏教の空性のなかには、時間も、空間も、生成も、ものの実体性も、すべてない。それはこれらすべてのものを可能ならしめるものである。それは無限の可能性に満たされた零であり、また無尽蔵の内容を持つ空虚である」

こうした「空」の理解は、実に、ちょうど50年前に刊行された『大乗仏教概論』においてすでに提出されていた。そして、そのこと、あらゆる実体(もの)を破壊してしまう「空」ではなく、あらゆる実体(もの)を生成する母体となるような「空」を大乗仏教一般の原理として据えたことに対して、大拙の『大乗仏教概論』は、ヨーロッパの文献学者から激しい批判を受けていたのである。

 大拙は、『大乗仏教概論』において、さらには『神秘主義』に至るまで、不在や絶滅の「空」ではなく、創造的にして産出的な「空」を「東方仏教」の基盤に据え続けた。その際、大拙の導き糸となったのは万物の胎児としての「空」を「如来像」として位置づけた『大乗起信論』であった。『大乗仏教概論』に先立ち、大拙は漢語から英語に『大乗起信論』を翻訳する(1900)。『大乗起信論』は、先の引用に大拙があげたようなさまざまな二項対立ーその最大のものが有限の人間と無限の如来(仏陀)の対立となろうーを二つであるがままひとつに結び合わせるものが「心」、しかも「空」として澄み切った「心」、すなわち「アーラヤ識」であると説いていた。

 有限の存在は、「心」のなかに如来になるための可能性、その種子をあたかも胎児のように孕んでいる。アーラヤ識としての「心」のなかに如来を蔵している。如来蔵とは、如来の子宮にして「空」としての「心」そのもののことである。そこではあらゆる対立が、相矛盾したまま一つに結び合わされており、それゆえ、「心」をもった森羅万象あらゆるものは(つまり「東方仏教」において森羅万象あらゆるものは「心」をもっているのである)、そのあるがままで、如来となる可能性を秘めている。それがこの宇宙の原理であり真実である。その有様を「真如」(永遠の真理)という。大拙は、『大乗起信論』を英語に翻訳する際、「真如」をSuchnessと訳出する。つまりは「そのあるがまま」(あるいは「あるがまま性」とも)である。『神秘主義』のなかで用いられている語彙に翻訳すれば、「このまま」にして「そのまま」である。

…大拙は、才市の残した歌を英語に翻訳する際、「をのずから」にSuchnessという言葉を与える。「あさましやあさましいのもをのずからでるありが太や」、あさましい慚愧もまた「そのままで」自らの内から発せられる歓喜の言葉へと変容を遂げるのだ。まさにここに「そのまま」を現実に生き抜いた聖人が存在していたのである。「妙好人」という聖人の発見が、時間と空間を超え、中世のヨーロッパに生まれた聖人、マイスター・エックハルトの生涯と思想の発見に導く。すべてを捨て去ることによって、人間的な自我が「無」となった場所で、やはり「無」である神と出会うことが可能となる。

 大拙はエックハルトの教説を英語訳で読んでいた。そのうちの一冊をまとめたレイモンド・B・ブレイクニーは、ドイツ語のみならず漢語も理解する人物であった。エックハルトの教説をドイツ語から英語に翻訳するだけでなく、『老子道徳経』もまた漢語から英語へと翻訳していた。老子の説く「道」は万物の母としての「無」である。ブレイクニーはエックハルトのいう神と出会う「無」の場所に、「子宮」という訳語を宛てている。大拙もまた、『大乗起信論』を漢語から英語に翻訳する以前に、ケーラスのアシスタントとして『老子道徳経』を漢語から英語に翻訳する手伝いをしていた。その際、大拙が、仏教的な「如来蔵」(如来の子宮)に重なり合う概念として老荘的な「無」(万物の母胎)の概念を捉えていたことは疑い得ない。エックハルトと「妙好人」、西洋の「無」と東洋の「無」は通底し合い、交響し合う。そこに大拙の思想の完成がある。

 そしてまた、何度も繰り返すようであるが、思想の完成は同時にその思想を死に追いやる最も危険な場所でもある。大拙はアジア・太平洋戦争下、「妙好人」を西谷啓治(1900ー1990)の導きによって発見した。西谷は、おそらく日本人として最も早く、また最も深くエックハルトの思想を理解し、紹介した人物である。その西谷は、同じこの時期、ナチスの全体主義にーもちろん相応の留保を加えながらもーある種の可能性を、あらゆるものを破壊し、その事によってあらゆるものを再生させる、野生と精神性の矛盾しながらの合一、「神秘」を介した合一という可能性を見出していた(『根源的主体性の哲学』)。

 ナチスの思想、全体主義(ファシズム)の思想への共振は西谷だけでなく、その師でもあった大拙その人の営為のなかにも見出せる。現在、そうした視点からの激しい批判が、特に海外の研究者たちから寄せられている。大拙の英文著作では、つねに物質的な「西洋」に対する「東洋」の優位が説かれており、それは強固なナショナリズム形成に通じる。あるいは、『禅と日本文化』では『葉隠』に基づいた「死の哲学」が称賛されており、それは特攻を許容し、ある場合は賛美さえした戦時下の「皇国禅」の提唱者たちの姿勢と通底しているのではないか。

 さらに大拙のパトロンであったチャールズ・クレインはかなり後までナチス支持者であり、大拙自身が残した文章のなかにも、初期のナチズムについて、ある種の好意と共感とが認められる、等々。おそらく、それらのすべてを否定することは難しい。だがしかし、大拙の名誉のためにあえてここで記しておけば、世界大戦が勃発するや否やすぐさま、大拙は私的な書簡においても、公的な記事においても、ナチスや大日本帝国の行き過ぎた政策については断固として批判し、違和感を表明し、そうした態度を、世界大戦が最も激しくなった時期においても持続している。大拙が積極的な戦争賛美者、戦争協力者であったことは一度もない。

 しかしながら、それでも、世界大戦後の大拙は、直接的あるいは間接的に、「存在者」ではなく「存在」を自身の哲学の中心に据えたマルティン・ハイデガーと、「意識」(個人的な表層意識)ではなく「無意識」(集合的な深層意識)を自身の心理学の中心に据えたカール・グスタフ・ユングと、有効的かつ創造的な会話を交わしている。影響は一方的なものではなく双方的なものであった。ハイデガーの「存在」は、大拙が依拠した真如としての如来蔵に、ユングの「無意識」は、アーラヤ識としての如来蔵に、きわめて類似する理念である(ユング心理学の起源の一つも、大拙やベルグソン同様、アメリカでまとめられた有機的な進化論に存在する)。「個」ではなく「超個」をー東西を問わず、それは間違いなく二〇世紀の思想の課題でもあった。

 ハイデガーもユングも、その生涯においても思想においても、ナチスとの接近が指摘され、批判されている。それでは、ハイデガーの「存在」もユングの「無意識」も、「悪」として葬り去ってしまえば、それで全てが済むのか。おそらく、何の解決にもならない。時代を画する理念は、そのなかに未来の可能性と、未来の不可能性を、構築と破壊の双方をあらかじめ孕み込んでしまっているのだ。大拙にとっては、消滅のゼロではなく生成のゼロ、「無」にして「無限」である、あるがままの真如(Suchness)、となるであろう。

 森羅万象あらゆるものを産出する「無」は、同時にまた、森羅万象あらゆるものを破壊する「無」でもあった。大拙の思想には光も影も、可能性も不可能性も含まれている。その危険性を理解した上で、いかにして未来へと継承していったら良いのか。いま、大拙を読むとは、そのような覚悟を必要とする。その果てにこそ、大拙のように読むこと、あるいは大拙のように書くこと、そうした真の創造性があらわれ出てくるはずである」



 最後の、ナチス、ファシズム(全体主義)へ接近をした哲学者についての考察は、なかなか一筋縄ではいかない。田辺元(種の論理)、西田幾多郎(絶対矛盾自己同一)、ハイデガー(ただの存在)、ユング(集合的無意識・元型)、ニーチェ(神は死んだ・権力への意思)、ウエーバー(権力)、カール・シュミット(ナチスへの賛意)、これらと例えばアインシュタイン(原爆製造の基礎理論)を比較すると、その罪については甲乙付け難い。個別に見ていく必要があるが、皆が皆、ファシズムを擁護していたわけではないし、それこそ渦中にいながら反意を表明していたものも多くいる。ユングなんかは、もともと自説が現実社会から浮遊しているところにもってきて、その両義性要素が全体主義的風潮に飲み込まれるのは実は簡単である。ここに記載された哲人たちは、自分のテーマの追求後に現れる邪な我田引水に注意を払わなかっただけであるが、時代がそれを許さなかった。子孫から、脇の甘さを指摘される自体になってしまっているのだ。鈴木大拙もその渦にもう少しで飲み込まれるところであったのだろう。

 読んでいて感じたのは、さまざまな論旨の最後のところですっと説明が抽象的になるようなところが大拙にはある。英語で書かれていても、その「何となく分かるでしょ」といった感じがあり、十分に解説できていないところを感じる。もっと、細かく、もっと密に論理的に東洋哲学を切り刻み、「表現できないものを表現する」努力を積み重ねなければいけない。その手前の段階に大拙はいるように思う。大拙が開いた東洋哲学の構築を、われわれは推し進めていき、東洋哲学から「東洋」が取れる日を迎えなかればならない。それには超人的な天才が必要であり、それは必ず表れ出てくる。そうして継承者として、満を持して登場するのが井筒俊彦であった。


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