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【三つ目の扉で書物の迷宮に墜ちていく】 《極私的短編小説集》

 扉を開けると、そこは倉庫、図書館、いや書店だ。古書も扱う大きな書店が倉庫を改良し営業しているらしい。本棚が壁一面に置かれ、中央には低い棚に様々な種類の本が並んでいる。真ん中にはカフェスペースもあり、寛ぎながら本を選ぶことができる。

 古書は背表紙が破れ、ところどころページが抜け落ちそうである。黄ばんだページたちに古い記憶が張り付いているようだ。
 「〇〇船団」「M時代ゲーム」「驪姫驪姫りきりき人」過去慣れ親しみ憧れた小説、「三十億光年の孤独」「ペプシコーラ・レッスン」「銀河鉄道999の夜」少しずつ、ずれながら現れる古書を眺めて、その古めかしい項をめくる。文字が喜ぶ様子が見え、久しぶりの読者を歓迎している。

 「夢分析調書」と名付けられた学術書を開き、立ち読みを始める。これは、一般に刊行されたものではなく、私家版で限られた学生たちだけに配られたものだ。臨床事例の中の夢を分析するというもので、ギーゲリッヒ『夢セミナー』の構成とほとんど同じである。ファシリテーターはS・K先生だ。

 事例はこのように始まる。

【臨床者】
 50代男性。境界例。頭痛や腹痛が出て、出社できなくなる。金曜日に改善し、日曜日の晩に不調になる、典型的な場面うつ。
【夢1】
 自動車に乗っている。営業車。建物の地下駐車場に斜めのスロープを下り、入ろうとするが、駐車場はコンクリートの壁で塞がれており、行き止まり。仕方なく、バックで戻る。これは、自分の意志で戻っている。
 場面が変わり、廃墟の中に突如現れた、古い町並み。明治時代を思わせる、木造の建物、もしくは煉瓦作りの建物。窓枠部分が壊れ、カーテンが破れた様が見える。そこだけ時代が逆行した町並みを、やはり自動車で突き進む。
 何度か角を曲がり進んでいると、道が次第に細くなり、ついには行き止まりに到達する。ああ、ここも行き止まりか、と感じていると、突然、ゴム紐で引っ張られるかのように、引き戻される。ハンドル、ブレーキペダル、シフトチェンジバー、シートはその時消えてなくなってしまい、自分の身体、もしくは裸の、無防備な心の状態で、引っ張り返される。どこまで引き戻されるのかは定かでない。びっくりするとともに、安堵する。この「引き戻し」は、自分の意識的な意志ではなく、無意識の意志で動かされている。

 【一次分析】
 深入りしようとしていた邪なものから、強制力を持って引き返すことを、『意識』も『無意識』も指示している。

【夢2】
 配達。東京支店。ドイツワイン6ケースと3本の注文。支店内で、いつ納品するのか、一番効率的なタイミングで行くよう監視する女子社員。Mさん・Oさんの複合体の登場人物。倉庫会社で荷物を積んでいると先輩のFさんが来て、手伝ってくれる。Fさんに会え、嬉しい。商店街を車で走っていると、先のM(O)さんとR(Fu)さんが喧嘩して、Mさんが泣いている。どうしたの、と声をかけるがほおっておいてと。
 しかたなく、夜の闇の中、盲滅法に車を走らせていると、水の張ってある田圃に突っ込む。車はばらばらに。部品をなんとか引き上げ(このあたりから車は自転車に変化)、納品用のワインなど、近所の人達とともに救出。自転車が部品ごとにばらばらになっているのを、どうすればくっつくか思案する。
 近くの人が、修理用の作業明細書をくれる。このあたりで夢は終了する。

【一次分析】
 この夢は、新しい赴任地への準備をしていると言えるだろう。懐かしい人との再開を期待するとともに、思い通りに行かず、焦って失敗する姿を先に見せ、困難な現実を受け入れるよう、促しているのだ。

【S・K先生による二次分析】
 もっと提出された言葉に向き合うことが必要で、読み直していく。夢1と夢2は続きものであり、その中で共通して現れているのは自動車=自転車、会社の事務所、同僚、女性事務員である。自動車=自転車は、動的なエネルギー体、自己と言える。会社の事務所は女性の体内、保護された場所である。女性事務員は、仕事に従事する女性=管理下にあるアニマともいえ、それらの行動が自己の精神状態を反映している。

 最初に地下駐車場に降りていこうとするが塞がれているというのは、自分自身がこれ以上無意識の底に向かうのを禁止している。そのうえで、現在ではなく、過去に移動することで現在の危機から逃れようとしている。しかしながらそれは万全ではない。「曲がり角を進む」のは、様々な方法を試していることを表す。それでも解決することはなく、次第に追い詰められていく。それを「ゴム紐」で引き戻される、というのは暴力的だ。引き戻しは、覚醒に繋がっており、夢世界の強制終了を示唆する。世界を踏み出し、逃避しようとする患者は境界を飛び越すことを辞さない、容認している。

 夢2では、車がやはり突っ込み、大破して矮小化された自転車に退行していく。自らの進路・精神の退行を容認しているとも言える。過去の同僚や女性事務員たちに懐かしさを感じている患者は、現実の勤務先の同僚との関係がうまくいっておらず、その関係を過去のものとすり替えようと画策しているのだ。修理明細書がそれを確実なものにしようとしている。退行を確固たるものにしてしまおうという隠れた意志がそこに見え、これは、下手をすると自死に繋がりかねない危うい精神状態だと言えるのではないか。

 まあ、当たっている部分もあるが、そんなに危機的ではないなあ、と思う。まずもって、この夢は理路整然としすぎているのだ。健全な思考がそこにはある。棚にその本をしまう。


 その横に、光茫を放つ一冊があった。取り出し項をめくる。不気味な言葉が連なっている。

「汚れた髭をはやした人たちはjudice(審理中)な無気力な人の王国のなかで繊細な学識のある人達ですが、gnogneをerudirするために黙らねばなりませんし、もし私が避難するとしても、私は何をしたかを知っているということのもとで、gnogneを乾いたまま流さなければなりません。死ぬことなくlondoyerするならば、みんなはヤマギシになりますが、高慢の痕跡は、みんながここから長い事実をしかも勿体ぶらすに流すことのできる最高度のBenoitです。堕落した国の禍はすべて誰かの背中の上に積み重ねられることであり、arlequinをひどく痩せた無力な人にすることですし、禍は人が望む損害であるのに、親切は人が自分に対して望まなかった倍加された打撃です」

 これこそ危険な言葉だ、と感覚的に思う。
 読む者を混乱に導き、袋小路に誘うような、意味の通らない言葉の連なりに、この場に逗まってはいけないと感じる。悪意と言うよりも、そこには混乱しかなく、非人間的な感触が空恐ろしい。逃走するべき。すぐさま倉庫と倉庫を繋ぐ階段を登り降りし、別の空間へ。

 そこには漆黒の扉が待ち構えている。

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