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ポケモン。

ポケットモンスター、縮めてポケモン。その人気は衰えることを知らず、むしろ広がり続けており、今や世界中で大人気だ。

小学生の時、僕はポケモンにドハマリした。

最初に買ってもらったポケモンのソフトは「ポケットモンスタープラチナ」
誕生日プレゼントとして買ってもらった。そのときはポケモンなどよくわからず、ただ、ギラティナの絵がかっこよかった。

最初に旅の仲間として選んだのはヒコザルだった。選んだ理由は尻尾に炎がついててかっこよくて、あと、なんだか親しみやすかったからだ。

そこからは毎日ポケモンをしていた。学校が終わり、家に帰ればすぐに寝転がってポケモンをした。

その世界観は小学生の僕にはとても大きく見えた。

自分のポケモンと旅をしていろんな町を巡り、新しいポケモンに出会ったり、トレーナーと戦ったり、自分の好奇心の思うがままにポケモンの世界を縦横無尽に駆け巡った。

話しかけたら何かが起こるかも知れない、ここの道に行ったら何か見つけられるかも知れない、とわくわくしながら、ゲームをクリアしても遊び続けられた。

だんだん周りにもポケモンを遊んでいる人が増えてきて、みんなで集まってバトルをしたり、交換をしたりした。たまり場はいつも福祉館か市立科学館の飲食スペースと決まっていた。

あの頃はポケモンをしていて、とにかく楽しかったことは今でも覚えている。


そして時は流れ、2019年秋。ポケモンの新作、ポケットモンスターソード・シールドが発売された。

中・高とポケモンから離れて生活してきた自分は、大学生となり、時間も財力もあるので、久しぶりにポケモンができることを楽しみにしていた。いつ発売だろうか、と指を折って日を数えた。

そして発売された。10年も経てば、ゲーム機はもちろん、ゲームの動きも進化している。ポケモンたちはより立体的に、3D化しており、前まで草むらだけだったのが、その草むらで野生のポケモンが歩いている!タイムスリップしたかと思った。

そして何日かはポケモンに没頭した。せっかく買ったので、めちゃくちゃ強くなろうとアバウトな目標を掲げてプレイした。

でも、そう長続きはしなかった。

気づけばswitchを置いていた。

なぜか。なんとなく理由はわかっていた。それは僕が考えすぎていたからだ。

ポケモンでは強くなろうとするためには、いろんな要素が必要だ。有名なのは厳選だろうか。厳選とは、ポケモンの卵を孵化させまくって、強いポケモンを当てる作業だ。これによって強いポケモンが手に入る。また、そのほかにも努力値や技構成など、強くなるためにはたくさんの要素が大切になってくる。これもポケモンの醍醐味だ。


「あのときみたいに楽しみたい」

そう思ってまた始めたポケモンであったが、あのときとは違い、いろんな要素を考えながらポケモンをしていた。なんだかそれが勉強をしているみたいだった。

努力値がなんだ、6Vがなんだ、、、あーもう、うるさい!

人間とは欲の塊だ。他人よりも優れているものは欲しくなってしまう。でも、忘れてはならない。本当に欲しいものは何かを。本当に欲しかったものは、あのときのように余計な情報は入れずに、純粋な気持ちでプレイしていた時間じゃないのだろうか。

本当は、ただポケモンの世界にのめりこみたいだけなのだ。


自分の求めているもの。それに必要ない調味料は毒にしかならないことを知った。





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