俳句・短歌強化週間 2024年夏
以前消しゴム版画をしていて、版画とセットで俳句を捻り出すという、誰に頼まれたわけでもない創作をしていたこともあるが、時折、俳句や短歌を暇に任せて詠むという、貧乏なわりに雅かなことをするのがわりと楽しい。
作り慣れというものがあって、即興というか、例えば俳句なら、この季語で作ろうと思えば、だいたい数分で1作できるのだが。その気にならなければ全く作らないものでもある。
時折気まぐれで一句詠むと、つぶやきまとめの方に載せたりもしているが、今週は作りすぎてしまったので、記録としてこちらにまとめておく。
まとめておいて読みかえすこともあまりないが、犬が庭に骨を埋めて忘れてしまうアレである。
前置きはこの辺にして。
無作為に、作った順に載せるとしよう。
#短歌
うつし世(現世)が
鏡というは
幻か
鏡に映るは
夢か現(うつつ)か
読んだ背景)
うつらうつらしていて先ほど目覚めた時に、「うつし世(現世)は鏡」という言葉を、突然記憶の蓋が開いたように思い出したのだが、出典がわからない。
ググってみたところ、うつし世は夢というのはよく出てくるが、鏡はなんだっただろうか。
和歌かと思ってググると、「花の色を うつしとどめよ 鏡山 春よりのちの 影や見ゆると」というのが近いが、これが記憶のルーツではなさそうだ。
神道や、松下幸之助にかなり近い言葉があるようだが、そっち方面?
上記は言葉遊びとしての短歌である。
#短歌
#
鎮魂歌
8月某日アランドロンが亡くなった。ご冥福を。
太陽が
いっぱい注ぐ
8月を
カランコロンと
アランドロン逝く
#言葉遊びとしての短歌
笑えます
笑え笑うな
笑えません
笑わなければ
笑わなかったら
笑わせる
笑わせません
笑われる
笑ってください
笑いましょうか
詠んだ背景)
単なる活用の羅列であるが、頭の中で勝手にストーリーやイメージが展開していくことを意図している。言葉遊びである。
#俳句
2024夏
3連作
聞こえるかい
故郷で聞いた
蝉の声
わかるかい
母が作った
五目鮨
五十路過ぎ
記憶に宿る
夏休み
読んだ背景)
人間の記憶というのは不思議である。
例えば、私の場合、何年も食べていない食べ物の味や、何年も聴いていない虫の声などを、わりとはっきりとそれらしく思い出せる。
それっていうのは、そもそもそういった五感で味わうことを味わう時点で脳が信号として知覚しており、その信号を記憶しているということであろうか。
ここで一番言いたいことは、人間、この世界にまだある美しいものを、五感でちゃんと味わえよ。せっかくだから。ということである。
句は、読んでみて、音や味が浮かびうるものかを試したものである。
#夜に詠む短歌
#SNSで感じる世相について詠んでみた
SNS ウケるというが ウケてない 独り言さえ ごまかしたりして
憎しみと ほんとに良いこと の狭間で なんとか今日も 明日に繋いだ
良くないと わかってるのに 駄目だこりゃ 繰り返す昨日 今日も一日
#朝に詠む短歌
レトロ感 滲み出るそりゃ 若くない 言葉遊びで さえも老けたね
自分にさ 飽き飽きしたり 逆にさあ 自惚れたりを 繰り返すよね
結局さ 内に向かって ばかりだし 出かけなきゃって 思ってはいたり
#短歌
会話って 難しいよね わかってと わけを言ったら 言い訳だとか
整わない 整いました 生活も エントロピーへの 抵抗と受容
#人事が季語の俳句
咳、くしゃみは冬の季語、裸、汗は夏の季語と知り詠んでみました。
襖越し
咳こむ母の
生きし方
愛憎を
くしゃみひとつに
感じてる
だらしなく
裸ですごす
外は夜
汗をかく
煩わしさも
明日のため
#短歌
自意識に
踊らされてる
午後3時
ループを抜けて
街に出ようか
#うち飲み後の短歌
うち飲みした時に聞いた奥さんの考え方を基に作った短歌です。
とにかくさ
君がいいね
と
言ったから
いいねと言った
それでオーケー
#飲んだ翌日の短歌
二日酔い
というほどでも
ないけれど
珈琲だけで
すます朝食
コンビニに
タバコを買いに
子供じゃん
顔を洗えと
諭される朝
#おまけの俳句
よく冷えた
アイスコーヒー
沁みるのう
#あとがき
#松尾芭蕉
やっぱり、俳句は松尾芭蕉の詠んだのが知ってる中では1番すごいと思う。
蛙飛びこむも蝉の声もほんますごい。
ようわからんのもあるけど。
わたしの俳句や短歌は、言葉遊びの中にそれとなく心象を詠むスタイルが多いのだけれど、芭蕉の句は、内面でなく、一見外の世界のみを描いており、風景画のように瞼に絵が浮かんできて、映画のカット割りのようにイメージが展開していくと同時に音が立ち上がる。心象は表に現れておらず、言ってみれば浮かぶ絵こそが心象風景という趣きである。
芭蕉の句は一つの完成形であると思う。わたしにはとても芭蕉のようには句を読めないが、もう少しわたしが良い意味で枯れてきたら、そんな句にもトライしてみたいものである。