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つぶやき2023.1.1-1.4

検体を培養すると見たこともない生物がいくつか繁殖していた。この夢を見るのは2回目なのだが、今回はその生物がやがて子犬ほどの大きさの恐竜のようなものに成長しており、その割に動きは緩慢なので、慌てて捻り潰すと、背後から黒い犬のようなものに襲われたとこで目が覚めたバイオハザードな朝。

1月1日おはようございます。
初夢というのは、今夜みるやつだったか。この夢は却下したい。

おっぱい


初日の出は登った後と思われ、更に地階から確認できるはずもなく。

屋上からなら見えるかと思えども、屋上の扉は閉まっており、屋上までの階段からは角度的に見えず。
新年明けましておめでとうございます。

すな。

2023年の訓示

どげんかせんとアカンと思ったら、余計なことはするな。


完結編。


新年初の二度寝が美しくキマッた。
改めまして明けましておめでとうございます。

意外と。

意外とうまいきびだんご。


福袋は確か人生で一度しか買ったことがない。
人生同じ過ちはしないように生きている。

インドでは、お正月の心構えのことを
「イチュネンヌケーワガンタンニャーリ」
と言う。


一年の計は元旦にあり。

1月3日までゆっくり過ごしたら、みんなで12月30日に戻ろう。

一献。

今年もよろしく。

午後の珈琲。

新年早々またワシの女子力が爆上がりしてしまった。

奥さんがお母さんのところへ行っていて、今夜は奥さん公認のしゃぶしゃぶなのです!

一人でしゃぶしゃぶやっとるとです。しゃぶちゃいまっせ。しゃぶしゃぶでっせ。

慣れない手つきですみません。

しゃぶしゃぶの所要時間、一人だと、奥さんと飲む時の1/5以下の時間で終わるな。

フランス語で、雨に濡れたことを
「ジュボンビショヌレデヤーンヌ」
と言います。


奥さんのお母さんより。
ご馳走さまでした。
越乃寒梅、デキャンタした方がうまいのかな?
空気に触れて少し後の方がおいしい。

晩酌。


贅沢な一日やった。
あとがこわい。
金をくれ。

定期。

#今日も一日

せえ。

戦いで敗者を生まない唯一の方法は戦わないことである。
戦えとも戦うなとも言っていない。言ってもお前らは言うことを聞かん。
ただ知っておいてほしい。その明らかな真実を。

挑発は、本来、戦いを挑む時にするものだ。
戦いになって、挑発したことを、後悔しても遅い。顔の前で飛ぶ蝿は叩かれる。
戦いになったら、お前は戦いを終わらせることはまずできない。しかし、挑発を止めることは、お前の意志で、今すぐにでもできるはずだ。
馬鹿な挑発はするな。


人間、自分を賢いと思うか、愚かと思うか、匙加減がむずかしい。
どちらかに振り切れることは、エンジンになるが、同時に悪魔が仕掛けたとでも言いたいような罠にはまりやすい。
そして、多くは、その両方であるか、そのいずれかでもない。


腹が立つ時、ドイツ語では
「ナニヒットーネンスマキニシチャルケン」
と心の中で唱えるそうです。

ご飯を作るのが面倒臭いことを、イタリア語で
「アーモウレトルトノパスタニシヨーカニャ」
と言います。

わたしの心は、月夜の湖畔の水面のように静かです。そっと心の声を聞いてみましょう。
(シュッピガカサムヤバイヤバイヤバイ)
ほらね。


勝てる人はどこまで勝てるのかわかってる気がする。勝てる勝負をするというとちょっと違う気がして(そういう人もいるだろうけど)、負ける勝負はしないのだろう。
ギャンブルはほとんどやらないが、大負けするのは、やけになった時、自分の勝ちに満足できなくなった時、勝てない勝負に乗った時だろう。
なぜギャンブルをやらないのにわかるのかって?人生もギャンブルみたいなとこがあるからさ。
二番目のは勝つこともあるが、最後にコケる。引き際大事。

人類股間計画
人類オカン計画


説明しよう。
わたしは真剣な話と出鱈目なナンセンスな話を0.1秒で切り替えられる能力を持っている。
実生活でするとコミュニケーションが破綻するのでTwitterでお見舞いしているのであーる。
仏がおっしゃるには、この心を空(クウ)と呼ぶ。
知らんけど。

いい夢見てね。

(二日目)
いやあ。昨日は色々口から出まかせを言って清々しい。


嘘をつく時に良心の呵責がないものと友になるのは難しい。

新春初夢。元日の夢は清々しいほど全く何も見た記憶がない。

冬よくこれになる。
ーンチー


正月は正しい。
日々、正月気分でいると怒られるというが何が悪いのだろう。タガが緩んでいるという意味ならほどほどにしたら良いが、人はむしろ正月のように清々しく日々を過ごせた方がいい。

あなた車売る?


イタリア語で、ほどほどが良いことを
「スギタールパオヨバザールガゴトシェ」
という。

こだわりというのは武道や芸の型にも似て。
身につけたのち、捨てるものであろう。
同じ匙加減で。

なうすぴにんぐ。これは名盤。飽きない。

↑再発盤。
人は再発盤を持っているとオリジナル盤を欲しくなったりオリジナル盤を持っていて再発盤が出ると悔しくなったりうっかりすると欲望には限りがなくなるのでこだわらないとこを設けてこだわらないのが良いのだ。

フュージョン寄りの音楽って、意外と飽きないのはワシだけだろうか?
つまらないフュージョンは最初からつまらないけど。


こうあるべきっていうのは、すごく大切だったり、力になったり、最後の尊厳にすらなったりもすれば、足かせになったり、邪魔になったり、人を失望させたりもする。
それは、何をこうあるべきと思っているか、その質と鮮度が大事ってことだね。
こうあるべきは凝り固まるより新陳代謝するのが吉。

ブレないっていうのは、変わらないっていうのとはちょっと違う。
万物は流転するし、諸行は無常だ。
生物は新陳代謝するが、その土台が健康であることが生命には好ましいのであって。
ブレないというのは、柔らかさ(しなやかさ)を備えつつ、体幹がしっかりしているということ。

何だろう。
水の流れる器のようなものをイメージしたらよいのだろうか。器といっても定型ではなく。しかも、器が実体なのか、水が実体なのか。
生きているというのもこれに似ているが、ともかくも、形ある限り、その状態をフレッシュに保つ感じだろうか。

当たり前で考えもしないが、生きているとか死ぬとかは、状態のことを言うのだ。


幸せになりたい。これをサンスクリット語で
「アホンダラゼニネーナメシクワサンカイ」
と言います。


なうすぴにんぐ。


お金欲しい。お金で経験と本とレコードを買いたい。
いっぺん全国民に2000万円を配ったらどうなるか社会実験してみいへん?
国家予算は、一旦俺に預けたらどうか。


お雑煮とおせち。
奥さんのお母さんとこのおせち、おいしい。

誤解を恐れず言うと、怒っている人は優しくされたいのである。
しかし、怒っている人も、怒らせている人も、なんだかやり方を間違えてしまうのである。


やってみようとすると、案外できないことだよ。


思いをやる。というのは、人に自分の時間を使う。ということであって。うちの奥さんも、母親も、その意味で思いやりの人であって。わしはそれが足りないから、できないなら、スキルとして身につけるべき。という、嫌味じゃなく、有難い新年の法話を奥さんから承りました。
わしだけじゃなく、できない人はちゃんと聞いた方がいいぞ。
聞いてるか、そこの若いの。

これは歳を取ったとかいう話じゃなく、本当に、地頭の悪い人は、口の聞き方を知らない。想像力が欠如しているのと、対応する能力が低いから。
せめて、これもスキルとして身につけたらどうか。

うたた寝をしていた。
今まで一度も夢に出てきたこともない小学校の同級生が出てきて、大人になっているのだが、なぜか駅から、目的地の駅を出るまでわたしが案内した。その後更に何故かわたしにおんぶしていたようなのだが、いつの間にか消えてしまった。
探していると、お会いしたこともある著名な方がいらしたが、当然こちらを覚えているはずもなく、その方がスタッフに、「名前覚えられないのよね。精進します。」と言ったところで目が覚めた。
中途半端なリアリティのこの夢が、今年のわたしの初夢ということになるだろうか。

そう言えば最近飛ぶ夢をみない。
飛ぶというか、跳躍するとどこまでも高く跳べ、街を低空飛行した。
その夢を見ていると、その夢の中の能力の方がほんとなのだと、見るたびに思っていたのが不思議だ。


鬱抜けとは、一抜けた。というように、鬱抜けた。とはいかないものだが、やる気がなくてもやることを無理せず淡々として、食べて、風呂に入り、寝てをルーチンでやっていると、いつの間にか抜けたかな。というようなものだろう。
鬱の間は辛いが、鬱に浸るより淡々と生活を続けるしかない気がする。
お薬は医師と相談してね。

疲れると憑かれるので余計疲れる。
つかるのは風呂くらいにしておきたい。


凧揚げか。
父親とした記憶がある。脳で改変された記憶かもしれないが、映像として思い出せる。
あと、タコはオスとメスで吸盤が違う。どちらが美味いのかは忘れた。数年前は明石に住んでいたので明石だこをよく食したが、最近はご無沙汰。それより、ナマコが食べたいと思いついたが1時過ぎじゃないか

(翌日)梅田紀伊國屋書店探したぜ。旅のコーナーにあるとは。

スローシャッターを読みはじめた印象。編集者の校正を経たからであろう、noteに寄稿されていた時と少しグルーヴが違うのを感じた。音楽にもよくあるけど、同じ曲でもバージョンが違う感じ。noteは生音で本書は少し乾いた音がする。田所さんの奏でるメロディを乗せるには乾いた音も合う。読み比べも吉。
たぶん本書の方が、さりげない技の高級寿司みたいになっているのだろう。
知らんけど(まだ読みはじめなので)。

所謂ちゃんとした宗教と、エセの新興宗教に共通するビジネスモデルは、地獄を作り出し、そこからの救済を説くことだろうか。
知らんけど。
地獄の脚色の仕方に善意と悪意があるのかな。

君は優しい人間だ。
しかし、彼(彼女)の中では、ちっとも優しい人間じゃない。
よくあることさ。
人生は呉越同舟。
心通わぬものもままならぬものも同じ舟に乗ってるだけ。
年が明けたところで、この世界は糞である。同じように嫌がらせしか起こらない。往生しまっせ。

パラノイアは実は全ての人が抱えているが口にすると損なので普通は黙っており口にする人だけが病となるパラドックス
真にパラノイアでない人しかこのパラドックスを否定できない。
ショートショートでした。
(しかし、無自覚でパラノイアやってる人もいるか。
あなたは自分がパラノイアであることに無自覚ですか?と聞かれて、yesと答えるパラノイアもいるだろう。)


焼肉 in the house.

飲みすぎた。
ビール、越乃寒梅からのキクマサピンが余計だった。


中途半端な時間に目が覚めてしまった。
今日の予定は昨日前倒ししたので、お気楽ではあるが。
給料日まで3週間か。今月はこづかいを少し多く持っていたはずだが、全然余裕がない。
やはり、アイコス吸うのを少し減らさないといけないだろう。と言いつつ、アイコスが切れそうなので、コンビニに買いに行こうか、もう一度寝るべきか、迷える子羊状態の早朝。

自分も良い経験をしたいし、人にも良い経験をしてほしいと思う。
これが普通で良い。

機械とかITとかカラキシである。センスがないというより、興味が向かずにご縁がなかった。
例えばの例だが、こうなると、日常でできないこともでてくる。
まあわたしに限らずこうした取捨選択をしているわけだ。逆にわたしの仕事は専門職で、誰かはできないとまずいが、みんながみんなできなくても良い。
つまり、改めて言うと、この世は、持ち回り制なのである。勝手に生きているようでも、誰かのお世話になっている。
自分のしていることにプライドを持つこと自体は良いが、人に感謝せず、奢ってばかりはいけんよ。

飲みすぎでぐったりというか寝ていた。今日有給休暇にしていてほんと助かった。
雲一つない晴天。
今日のお昼はお粥。

なうすぴにんぐ。
国内での流通を確認できず、海外から取り寄せ。とにかくBYE BYE(こちらのシングルは時々国内の中古市場で流通)のメロディが白眉だが、他も良い。


いとうせいこうさん。
『小説禁止令に賛同する』
53頁まで読んだところでこれを書いている。面白くなってきた。徐々に熱を帯びてゆくこの「小説でないもの」を『やすらか』の読者(収監者)の気分で読むもよし。
自由よ。永遠なれ。


明日から仕事だと

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