見出し画像

つぶやき2024.7.29-8.31

ちょーちょーちょーちょーよんぴる(モー娘。風に)
還暦も見えてきているのに、なぜこんな大変なことばかりなのか。
この世界を俯瞰して見たら見事な地獄絵図である。
この世界、プラグが逆接してるようなしんどさがずっとある。何十年も。
人生幸朗並にぼやきたくなる。歳とったってことやな。
子供時代は子供時代で色々とあったんだけど、世界はそんなに悪くないんじゃないかと思ってた。だからそこを起点とすると、正直、この世界にはがっかりだよ。
うちの奥さんは、生きていく上でストレスは大事という考え方で、事実恐らくその通りなのだが、心情的にはストレスいらねー。ひとつもいらねー。

長いこと温泉に行ってないなー。

こんな人生嫌じゃあ。
気力体力が年齢より一回り上の歳みたいな感じである。もっとかもしれない。
恐怖新聞を読んでいるせいだろうか。(読んでない)
夏バテというよりも一年中バテバテである。
妖怪バテバテと呼んでくれてもよい。いや、よせ。
あまり深く考えているわけでもないが寝ている時以外ずっと何かしらの我慢をしている気さえする。

イライラする。生理前かしら(違う)
怒りの沸点が山頂より低くなってる皆さん、おはようございます。

絶望的な状況でも明るい人ってすごいね。
先天的なのか後天的なのか、自分はそうではないからわからないけど。
わたしの場合は、しゃあないからやってるだけで。少なくとも歳とってからは、ぜんぜん、うちっかわは前向きじゃない。
性分で結局やってるんだけど、文句しか出てこない。

日光が強い。日光最強!

地球温暖化は温暖化ガスが原因ていうけど(影響ないとは言わんけど)、アスファルトで地球の表面を覆い過ぎだからって方が、直感的にはピンとくるよね。

少し前までよく行ってた飲食店のマスターは、半ば笑いまじりによく「そっとしといてよ。」と言っていた。
昔は、大人が泣いてたら、そっとしてたんじゃないかな。

流行る言葉の中には、確かに真理を捉えた面もあるから流行ると思うのだが、何でもそれに当てはめて思考停止してる人見ると、はい、さようなら。お元気で、ガチャ(ドアを閉める音)。となる。

落下傘とおっかさんで韻を踏める。

人間はなぜすぐに階級化して下の階級を見下すかというと出が猿だからであるって、猿(6歳)が言ってた。

冷蔵庫の製氷機で作った氷より、買ってきた氷を使ったドリンクの方がやっぱりうまい。

たまたまスレッズで見かけたのだが。
プリン。ストローで飲んだ飲んだ。

わたしにとってSNSは独り言以上でも以下でもない。

特にsnsでは、自分の呼称が定まっていない。
俺、僕、私、わし、朕。と、てんでいい加減である。
たまには、アチキとかも使いたいくらいだ。
使いわけてる感もゼロではないが、意識して書いてるというより、書いてる時のノリである。そもそも人格というのも、これと凝り固まったものではないので。

心情的には同情するけど、災害時なんかはともかく、基本SNSで助けなんか求めたら、トラブルに合う確率、篠沢教授より倍率高いと思うわ。

おっさんになるまでSNSなくてほんとに良かったと思う。

家族や身内に言われるのは良いが、SNSのポジティブ教の人は苦手。
好きなポジティブな人って見てるとこちらまで元気になる人で。ポジティブって内発的なものか、その人の姿勢から影響を受けてポジティブになるものかと。ただポジティブであれって人はどうも信用がおけない。
個人の感想です。
まあ、人間は気に影響を受ける生き物だから、ポジティブな方がのってけるよ。というのは、それとして。

パタリロのパタリの部分

キリシタンジョーク

神になりたいかー⁉︎

イエスー!

おもしろくないのを見ると、おもしろくないなと思うって、シンジロー君(43歳)が言ってた。

真剣さって、TPO考えた方が良いよね。
真剣な状態が長く続きすぎるって、たぶんそんなによいことでもないんだと思う。
ふざけてひどい事しろって話じゃなくて、息抜きがないとねえ。

過ぎたるは何とか言うけど、過剰に良く思われたいとか、ない方が全然生きやすい。悪く思われたくないが自分の身を縛っているのは馬鹿らしい。全く無いのも向上しないし、世の中とずれていくけど。

しがないおっさんともなると、ほんまに他人はなんもしてくれないので、身内を大事にして、あとは自分がふんばるしかない。

おもしろいかおもしろくないか。
自分で楽しむには完全に自分がどうかで決めたら良いが、相手が面白いと思うかは全部相手がどう思うかである。
健全な関係とは、お互い面白いと思うことが多いってことである。まあ、家族ともなると、面白いだけではやっていけないのだが。
わたしは変なこと言ってるようで、昔から当たり前なことしか言わない。

同族嫌悪という言葉があるが、人が最も嫌うのは、例えば自分と同じような仕事をしていて、価値観の異なる人間である。イデオロギーの違う政治家同士とかね。逆に自分と全く関連のない生活を送る人のことは、随分なゲス野郎でもあまり気にしないものである。
実は似たような特性の人間なのに、価値観が違う故に敵対するなんてことが腐るほどある。
一般論として。

人間は矛盾を抱えている。
ぜんぜん行動がロジカルじゃないから。

否定の言葉が多かったら誰でもしんどいわ。

人間て自己嫌悪に陥る時さえ自己を都合良く見てるんじゃないかな。って、アカリちゃん(4歳)が言ってた。

人間は人が嫌われる理由はわかっても自分が嫌われる理由はわからない生き物だってタケシ君(8歳)が言ってた。

うちの嫁はツンデレというよりツンドラだよ。とゴロー(57歳)は笑った。

エルニーニョ現象とフェミニーナ軟膏で韻を踏める。

もうこの際、兵庫県知事はパワハラ野郎というテレビドラマを作ったらどうか。

パワハラ野郎は謝らない。
的なことをTwitterでなんどか書いたけど、兵庫県知事みてるとあるあるだってわかるでしょ?
だいたいパワハラする人って、自分の正当化が過ぎる人だからね。
パワハラ野郎は反省しないのでされるだけ丸損。

パワハラしてる人はパワハラに甘いからね。(何か見た。)

パワハラを擁護するのは自身もパワハラする人だろうか。
或いは、パワハラを受けたことがない人か。
体育会系みたいに、もうパワハラが深くまで染み付いて不感症になってる人だったり?

スポーツマンシップ(より正確には体育会系)ほど信用できないものはない。(3回目)

ズレてる人。

そこ怒るとこじゃない。

そこ怒るとこだ。

そこ怒るとこじゃない。

そこ怒るとこだ。

腰が低いって評価の人の中には、上にだけ腰低くて、下に高圧的な人いるからねえ。どっから見てるかで人って印象変わる人いるね。
逆に上にはタテつくけど、下には優しいとか。
人間関係って相対的だから。
パワハラするけど家族には優しいとか、DVするけど外面はいいとか。色々いると思うよ。

自慢話をするにおいて重要なポイントは不快を感じさせないことである。快活な自慢話なら逆にウケる。逆に相手の暗黒面を刺激してしまうと一般的にはウケる話もウケない。
鉄板の自慢話も中にはあるのかもしれないが、自慢話は相手を見てした方がよい。
そんな色々と考えてまで自慢話したくない。というのであれば、全てを笑いに変えてしまうほど豪快にいった方がよいのではないだろうか。せこい自慢話はそれはそれでマニアにはウケるかもしれないが(同好会的かと)。

一抹の不安がある。と、イチモツに不満がある。で韻を踏める。

今って、昔だったら口にせずバレなかったようなことが、我慢できず思いついたまた口にしちゃって馬鹿が露呈する。みたいのもあるのかねえ?
とトメさん(90歳)が言ってた。

相手をねじふせようと思えばねじふせられる実力がないうちは、才能を出しすぎると、色々とめんどくさいことがついて回る。って、ショウタ君(5歳)が言ってた。

反社会的行動って、社会に対する腹いせなの?
娘のサチ(3歳)に尋ねられた反社会派シンジ(38歳)は二の句を継げなかった。

ダブルスタンダードという言葉があるが、この世界にはいくつかのスタンダードがあり、それぞれが正義を主張しているが如くそれぞれの文脈に相溶性がないのだ。これが世の中が不条理であることの一因で、個人の力ではどうしようもない。
なんてことを30歳くらいから感じている。
これはわかりやすい人間のイデオロギーの主張などに限定した話ではなく、森羅万象を眺めていると一つの世界に違う原理原則が働いているというか同居しているかのように感じる人もいるだろう。わたしのやり過ごし方としては、明らかに自分が困ること以外は極論じみたことを言わず、中庸というか、旅人のように、それぞれの世界の原理原則を右から左に受け流しつつ自分の生活を営んでいる感じである。
訳のわからない混沌に巻き込まれないためには、混沌は混沌、つまり、手に余るようなわからないことは、わからないこととして、自分勝手な解釈をしないことである。
怪力乱神を語らずとは、戦争の話をするなとか、神の話をするな。ということではなく、こうした礼節を守れということかと思う。

防衛策として有効なことって何でしょうね。

・危害を加えないこと

・相手にメリットを与えること

・敵にするとめんどくさそうと思わせること

とりあえず1分以内に思いついたことを書いてみました。もうテーマに飽きたのでこの辺で。

弱点についての考えをいくつか書くと。
弱みを曝け出す。というのは戦術的にありだと思う。だけど、急所というか、ほんとに攻撃されたら困るポイントの情報を開示するのはアホ以外の何者でもない。わざわざ負けに行ってるようなものである。つけいる弱点を何でわざわざ相手に与えるのか。
まあ、男女でいうとスキがある方が恋愛の機会は多くなるのだろうが。アレもわかってやってる人は、見せスキというか、見せて困らないスキを見せてるのだと思う。恋愛でドツボにハマる人は、見せちゃいけないスキにつけいられているのだと思う。
まあ、スキがあった方が打ち解けやすいというのはあるのかもしれないが、別に余計な人間関係いらないなら、他人にスキなど見せる必要ないだろう。大谷翔平さんなど、他人に対し全くスキなどないが、あれだけうまくやってる。プライベートで身内に対しどうかは知らんけど、それくらいが堅実なんだろう。
まあ通訳の件はあったけど、彼として回収可能な範囲までしか信用してなかった気がする。
あと、この人これを弱点だと思ってるんだ。ということ自体が多いのも弱点である。前にも書いたが、ポルノサイト見たことを知られたくなくてゼニを払ってしまったとか、社会的童貞感強すぎる。挨拶がわりにポルノサイト見てる?くらいの日常会話をしていたら、全然困らない話である。

モトリークルーと踊り狂うで韻が踏める。

世界に1人くらいはいるだろうか?
地面師と思って観てたらジュマンジだった人。

20歳くらいの時はよく行ったけど、もうクラブどころかライブにも行かないなあ。コロナより前の知人のライブに行ってたのが最後か。有名どころだと、ブライアンセッツァーが最後?もう10年以上前かあ。
美術館に行くくらいのもので、ほんとにびっくりするくらい何もしてない。活動量、普通の人の1/30くらいでは?

DJ論とかいうの結局自己紹介みたいなもんだと思う。俺はこれがぐっとくるみたいな。人の自己紹介にとやかく言うつもりないし、自分の自己紹介は好きにやれば宜しい。
これは、ツイッターをはじめて1年くらい?の頃に気づいたことなのだが、芸術にしろ、コミュニケーションにしろ、人間の行う表現という行為は、突き詰めると、全て「自己紹介」なのである。
自己紹介がうまい人、下手な人、得意な人、苦手な人、正直な人、偽りの自分を語る人がいるだけの話なのである。

ツインピークスが話題みたいですが。わたしもリアルタイムでハマったけど、わたしの世代だとデビッドリンチを知ったのはエレファントマンがきっかけという人が普通。わたしの場合、それより前のイレイザーヘッドという映画のタイトルを蛭子能収さんが確か自分の漫画につけてて、それで誰の映画だろって調べたのがデビッドリンチを知った最初の気がする。けど、記憶が改竄されてる可能性も?ひょっとしたらエレファントマンの方が先に知ったか。

発達障害の人を見て子供が喜んでいるのが芸能という世界です。you◯uberもそれ。(もちろん全部じゃないけど。)
自民党やオリンピックやマスコミや芸能界が終わってるのは今にはじまったことではない。

人間関係を断つ言葉は比較的簡単である。
相手に二の句を継がせない本質的な言葉をセレクトすればいい。
人間関係を保つ言葉の方が難しいのである。1日や2日良ければ良いというものじゃなくて。ずっと続くというか、続かせるためのものなので。
時には嫌になったり、時には嫌とは言わないまでも面倒で疎かになったりするのだけど、それは相手にも伝わるし、相手にも感情があるので。人間は飽きやすいし、集中し続けるのもしんどいけど、ずっと継続していく営み、そういったことほど本来は大切にしないといけなくて。疎かにしていることに気づけたなら、自分を顧みた方が良いのだろう。当たり前のようにある幸せを当たり前に感じすぎて幸せであることすら忘れているかもしれないが。
大切だから続けてきたのだろうし。人生はくだらないと言えばくだらないことも多いくせに、気を抜いたところから綻びようとする油断ならない多重人格みたいなとこもあるので。

ウサマビンラディンと頭金足りんで韻を踏める。

社会の政を担うはずの人達のレベルが低すぎる。
毎日なんかある。

米国のトランプ前大統領が自身のソーシャルメディアで、人気アーティストのテイラー・スウィフトさんがトランプ氏を支持しているように見える偽画像を共有した。
こんな人間を政治家として信用する米国人は頭おかしいのだろう。
自民党が第1党という日本人も充分頭おかしいがな。

トランプ、人間として終わってると思うのだが大統領候補になってるのだからアメリカは驚きだ。
まあ、日本も終わってる自民党が政権をとっているのだから日本も驚きだが。
ロシアはプーチン、イスラエルはネタニヤフがトップ。
わたしから見ると世界は驚くようなことばかりである。
トランプが大統領より、トランクが大容量の方がずっと好ましい。

言霊がどうとか言う人はまず政治家に言ってほしい。

ドナルド・トランプとイーロン・マスクの天下一うつけもの対談。そんなもん情報いらんわ。

立憲民主党にないものの一つに人事のセンスがある。

自民党は、自民党の支持団体の顔色ばかりを見ているので、ますます国民には嫌われる。
支持団体の力で、ある程度は次回も当選するのだろうが、ますます普通の国民の感覚とはかけ離れた地獄が続くのだろう。

小林鷹之がなんで持ち上げられてるかっていうと、宗教右派系だから?若返りしても変わらないの?
統一協会とズボズボだったみたいね。
小林鷹之氏の基本路線継承したいは、統一教会(宗教右派)ズボズボ路線継承という意味だろうね。

安倍晋三にコロリと騙された日本国民を私は信用していない。

この世界は、金を持ったら増長するやつが富む。
なんてこと言うと呪いじみてるけど、種を明かせば、この世界は金を持ったら増長するやつがほとんど。ってだけの話である。

許せないことが増えるのは、前頭葉の退化では?

この世界には全く何一つ共感しない人間も割といる。ラジコンで言うと周波数が違う。

Yahooニュースいらないニュース消せるのね。じゃんじゃん消す。

エセなもんになぜ人が集まるかというと肯定しているからであろう。まあ、話は嘘なんだけど、嘘でも肯定されたい人が多いのだろう。

占いは昔から嫌いなのだが、とどのつまり、下等生物のくせに俺様のことを占おうというのが気に食わないのであろうか。って、コースケさん(58歳)が言ってた。

ひどいやつの中に優しさを見つけようとしてもロクなことにならないよとアイコ(30歳)は言った。

なぜ人を愛するの?

一緒にいるときっとわたし嬉しいと思うから。

なぜ愛は失われていくの?

嬉しさを感じなくなってしまったから。
#もてようとしている

伊藤博文がやたら恋愛の多い人だったというスレッズが流れてきた。ただ恋愛をはじめるだけというのならばいくらでも恋愛を始めることはイメージつくのだが、わたしにわからないのはそういった人達はどうやっていくつもの恋愛を終わらせたのかである。(恋愛は終わらせる方がヘビーだと思う。)わたしが真面目に考えすぎるだけで、彼の場合、特に終わらせようともしなかったということであろうか?

人間、自分の自意識には甘く、供給過多でも気にも留めないが、他人、特に嫌いな相手の自意識には敏感で、嫌いな人も多いだろう。
ここからはフィクションと思ってもらってもいいが、神仏も人間の自意識が嫌いなので、こいつ自意識バリバリやん。という人間を見かけると、こいつコケさせてやろうと悪戯を発揮するのである。或いは、妖怪の仕業かもしれないぞ。

お。近所の松のや、ラムかつが復活している。

やってもお金にならないから、狭い範囲のことしかやろうとしないひとは昔からいるが、ダサい。

ECDの歌詞に、漫画に勝てなきゃやってもゼロ。漫画に勝てないんなら寝てろ。というのがあるが、大谷翔平ほど漫画に勝ってる人はいないな。

聖書の中でキリスト自身が言ってる(ことになってる)ことだが、現代まで続く人類の分断は、キリストが種を蒔いたというか(1人のせいにしてはいけないが)、諍いを大きくしたり溝を深めた罪作りなところがあると感じている。
キリストは人の罪をどうこうして救済がどうこういうが、自分の罪をどう考えていたのか。陶酔していて自身の罪が予測できなかったのだろうか。
キリストにしてみても、人間万事塞翁が馬ということか。

前にも書いたが、神だの霊だのはいるともいないともわたしは決めつけていない。わからないことはわからないので。そう言った話は仮定の話をしているだけである。

概念というものは、名づけられたり定義されると、人間はあたかもそれが存在するかのように意識してしまう。ある意味、概念化したものは概念の上で生まれたに等しい。これはわたしであってもある程度しょうがなく、その概念のイメージに考えが引きずられることはある。
しかし、その概念の対象自体が実在するかどうかはまた別の話で、わからないことはわからない状態で保留する。実際目の当たりにしたとかいう明確な客観的エビデンスのないものは信じるも信じないも答えは出さない。言ってみれば、わたしは陰謀説信者とは真逆のアプローチを選択している。彼らはあるものをないと言い、ないものをあると言う。

誤解を恐れず言えば、例えば、この世界にある神の概念は、(もし素晴らしい神がほんとに存在していたとしてさえ)人間が作り出した概念である。人間の作り出した概念であるそれに美しさしかないと思い込むから、ほんとのほんとが見えないのである。
ましてや、キリストにせよ仏陀にせよ、かつての天皇にせよ、神格化が過ぎるというか、身体性を持つ人間として生まれたことを頭から切り離した存在と考えるからおかしなことになるのだ。(本人がどうかより、周りがその方が都合が良かったからだろう。人は真実よりも都合のいい嘘を信じたい生き物という。)
身体性を持つ人間として生まれた以上、何者だろうと矛盾を抱えて生を過ごした影響は必ずあると考えた方が自然である。この世界に残っているのはその人の存在そのものではなく、思想の断片でしかないだろう。

仙台市役所の書類の記入例に記載された名前は森野都(もりのみやこ)なのだろうか?(たぶん違う)

ここ最近、詐欺メールがすごく巧妙になってきたよね。もはや完全に騙されないとか無理じゃない?
これ、誰の責任?
なぜ人間は技術を高機能化しようとするのか?手に追えなくなるのに。
それ見たことかと軽口も言えなくなってきている。こうなってくるとアレである。
技術というものに対しては全て、包丁で人は刺せるけど、刺されないように気をつける。くらいの感じで生きてくしかなくなるのである。

何とか気がキレないようにしているが、正直この世界はひどすぎるというのが本音である。

昨日奥さんと飲んでて出た話だが。
例えば金持ちのバカ息子が無茶してて誘ってきても、調子に乗ってはいけない。例えば警察沙汰になったとしてバカ息子は親に助けてもらえるかもしれないが、こちとらにはそんな甘い話ないのである。
道を踏み外し続けたら、堕ちるとこまで堕ちることになるだろう。
遊びほど、守るべき一線を守る意志と、それを明確に相手に伝えられる達者さが必要なのだ。
できないなら、君子危うきに近寄らずである。

あなたは大丈夫だとかSNSで一見優しそうな言葉を振りまく人がいるが、別に何もしてくれるわけじゃないので。え?誰かお金振り込んでくれたの?誰誰誰?わしにもお願い。ってないので基本各人強く生きろ。
あってカルトとか詐欺の勧誘なんでしょう?やーねー。

信頼してても信用しないことはあるよね。

信用してても信頼しないこともあるよね。
信用ってのは建前というか、社会に向ける顔だよね。
信頼ってのは、さっき誰か言ってたけど、ハートの問題だよね。極端に言ってみれば、のるかそるかみたいな。

まずは現状を受け止めた先にしか、しっかりとした未来は築けないと思う。

現実逃避は、ほどほどに。というか、行き過ぎた現実逃避をすると、今よりもっと酷い現実がやってくるかもしれないよ。って、キョウコちゃん(14歳)が言ってた。

光だけでブラックホールを作るみたいな。見出しだけ見て中身を見てない記事があったけど。
強い光ほど強い影を生じるというのは、この世界の物理現象として目にするところである。
いつもの連想であるがこれに似たことは色々あって。
例えば、人間の心に当てはめてみると。英雄には嫉妬がつきものだし。躁は鬱を生じたり(無理に明るくしようとすると反動がくる。)
連想しようとすれば、この世界には、メカニズム的に似通ってるなということが沢山ある。
盲信に陥らない程度に空想や妄想を楽しむのが、脳ばかりが発達し逆に馬鹿なことばかりをしている人間として生まれたよく言えば嗜みであり悪く言えばお慰みである。

アウトプットが出ないのはインプットが足りないのである。人間の体で考えてみてほしい。入れるもの入れなきゃ出るものも出ないのである。

後悔先に立たず。というが、少しでも後悔しそうなことは、やるべきはやっちゃう。やるべきじゃないことはしない。で、日々を送ることである。
小さなことほど。無謀なことをするのは、ちょっと意味が違う。自分の身の丈での話をしている。特に、あの人にこれを言うべきか。とか、どこかに出かけようかとか。
勇気だけの問題で、そういったことは、すべてしてしまって問題はない。なんとかなるもんであるし(というよりしろよ)、そういう風に自分が後悔なく生きていたら、悪いことは全部他責にできるのでおすすめです。

忍法はなぜ使う前に忍法と宣言するのか。

元気とかけて便器とときます。そのココロはひとふんばりしましょう。

孤独がつらいのではなく、孤独と思うことがつらいのである。と、ネコ(5歳)は言われた。

柔よく剛を制す。と、16。ユーコでーす。で韻を踏める。

二転三転する。と、視点反転する。は、韻も踏める上に、よく似ている。ちなみに四川飯店も韻を踏んでいる。

SMチックなことを言うと、東京ドームと調教道具で韻を踏める。

番号検索で迷惑電話とわかっているから電話に出ないのに何べんもかけてくるの何なの?馬鹿なの?

バフェットでもaiでも良いのだが、それで株価が変わるなら、損する株掴むわけないやん。
予測したとこの株が上がる、ある意味逆転現象。
株価、めちゃくちゃ投機的やん。平成までとは完全に違うゲームになってるよな。
もはや、株って、実績や実態と乖離しまくり。
余ってる金をどこにおくかだけの話で。
質量保存の法則みたいなものでどこかには余ってる金の行き先があるんだよね。
うちには来ないけど。

金融リテラシーを語る前に運用資産がない悲しみに名前をつけてみました。
「貧乏」

もはや登録しないとサービスを受けられないので仕方がなくなっているのだが、色んなアプリの認証にかなりの個人情報を入力しないといけなくなってるよな。生体認証とか。一歩間違って何かあったら相当やばい世界線だ。
まあ、全てのアプリは個人情報の収集が目的みたいなことを感じている。これっていいでしょ?じゃあ個人情報ください。というのがアプリを使うということである。


国のマイナンバーから激ヤバなのだが、何かあっても国は責任取りませんゆうてんやろ。それで義務ゆうてる。
毎月誰か捕まってるような人達に重要な情報を管理支配されるって悪夢じゃん。まあ、得体の知れない民間会社に重要な情報登録してるからどの道やばいんだけど。(陰謀説ではありません。リスクがでかい社会だと言ってるだけです。)

普通に激ヤバな社会なのに、そちらには目もくれず、ありえない陰謀説にハマる人ってすごいよね。そこなの?って。
陰謀説って要するに現実逃避なんだろうね。
まあ、カルト宗教も現実逃避なんだろうね。
他人の現実に侵食しないでやってよね。せめて。

今、本のおすすめサイトをたまたまのぞいてみたら、これchatGPTに書かせたよねえ感丸出しのがあった。なんだかねえ。

マクドがaiを使って広告したらしい(見てない)けど、わからんでもないとこはある。昨今だと、使ったタレントが不祥事起こしたらってリスクが拡大したもの。(もはや素人でも情報が流布するかも。)
まあ、あらゆる企業がこれをやりだしたら、タレントは商売あがったりだし、CMからある種の楽しさは失われるだろうけど。

人間関係において信用は大事である。
人間社会は信用(約束事)の上に成り立っている。
昨今の世の中を見ると、ここでインチキしている事案ばかりが目に触れ、悲観したくもなるだろうが、口惜しかったら、自分がそれには加担しないことである。
積み上げた信用でしか、他者を動かせないゾーンがある。一時の泡銭のために、積み上げた信用を手放すのはアホ中のアホのすることである。魔がさしたとかゆうとる場合ではない。人生は思っているよりかは長期戦である。

仕事にはきちんとした対価を払えとは常々言っているが、対価がないからと言って、言われた小さい仕事以外の仕事を全部断るみたいな人も、正直、嫌いっちゃー嫌いである。そんな人だらけになったら、組織は沈没する。ほんとに大事な仕事ってのは、誰かがルーティンでやってる仕事と、他の誰かがルーティンでやってる仕事の集合から外れたとこにあると思っているので。そこをやらないと、物事は達成できない。もし、そのチームや組織が物事を達成しているのなら、そこんとこをきっちりやってる人間がいるということである。上の人間の言うことばかりを聞いてエサにありつく小判鮫より、恐らく自分のポリシーでそういう仕事をしている人にこそ対価を与えてほしい。そういうところから好循環するのだと思う。

ルイジ・ギッリの写真集をゲット。昔出ていたのの再販版でずっと欲しいと思っていたが金欠で見送っているうちに古本出品も少なくなってきて市場価格も出版時の定価を超えはじめてきたのでここらで買っておかないとという次第。表紙は素朴な感じだが中身はハイセンスで内容が充実している。

古本をゲット。10-20代の頃、ガロ系の本もいくらか読んだが、意外とこの人の作品読んでなかったので。さっそく読みはじめたが面白い。

なうすぴにんぐ。(本日は在宅勤務)
彼の作品は良いのばかりですが、これはわりと硬派なアルバム。電グルでいうとシャングリラ入ってるアルバムみたいな。

うまい。非常にバランスの良い日本酒。
ご馳走さま。

ロブスターとハムスター
食べるならどっち?

日本人、外国人と写真を見比べると、栄養失調みを感じる。

僕は、例えば、電子マネーって、そもそも世の中を便利にするためってより、誰かが不当に無尽蔵にお金使えるようにするために作られた。って線も無くはないと思ってるので。
考えてもみてほしい。世の中をただ便利にしたいが動機でこんな手のかかるめんどくさいことする?
(むしろ奇跡と思うけど)仮に不正がなかったとしても、どう考えても根っこは金儲けでしょ。合法的としても、常に金が入るシステム作りたくてやってんでしょうよ。
まあ、win-winでほんとに便利になるなら断罪せえへんしご褒美みたいなもんかとも思うけど、世の中混乱させたら死ねよって話で。

黙ってた方がよい人間ほど余計なことを言う。

馬鹿が馬鹿なのは、まあな。と思うが、できる子ができてないの見ると、まあ、もどかしさは感じてしまう。おせっかいはせえへんけど。

アートであるかどうか。
そんなもんワタクシ的にはどうでもよい。
気にしているなんて、アート驚くタメゴロウである。
自分が湖だとして。そこに波紋が広がるか。
それだけである。
名前(定義)などなんでもよい。

教養があると良いのは、自分が退屈しにくいからである。

レコードを買う場合、昨今は迷っているうちに品切れになって、メルカリを探すと値上げて出品されていたりするので注意が必要だが、はじめからダウンロードで済ますと決めた場合は、衝動からしばらく購入せずにいると、より音の好みが明確になり冷静にダウンロード数を絞れる。いつまでも気になる曲は、やはり自分の芯をくっているのだろう。

自分の中にある生まれつき持っているものを大切にすることも、OSのように日々自分をアップデートしていくことも、どちらも大事なんだと思う。

わしも奥さんも昔クロスオーバーイレブンからのジェットストリームで就寝やった。

東出昌大はシンメトラー
ネットニュースって、同じ人ばかりしつこく出てくるのはなんで?

西城秀樹は60歳になった時、絶対。ヒデキ、還暦ー。って言ったと思う。(三回目)

aikoの曲ほとんど知らないのだが(カブトムシは知ってる)この曲はなかなか興味深い。

アイドルでも、SNSでも。
古くから特に芸能というのは、自分を商品化することが行われてきたのだろうが、最近は特に裾野が広がってきて、素人であっても自分の商品化を試みているのを目にすることが多いよね。
それだけの話なんだけど。
アイコンの大衆化みたいな。最近はなんでもほんとに大衆化までのスピードがはやい。

再販盤をゲットしました。全体的にクオリティの高いアルバム。


音楽の歌詞などにおいて、居心地の良いかっこ悪さみたいなものを感じることがある。それは受け入れるのを許容している。むしろ居心地の悪いかっこ良さみたいなのが苦手なのである。わたし的には見せ方を含めかっこ良いとは感じられないやつ。

4naの余白にいたら、フィジカルリリースすれば良いのに。

優れたことって、優れたことがわかる人にしかわからない領域があるので。ぴんときてない人にはそもそも優れてることがわからなかったりする。
仕事で上司が部下の優れた仕事がわからないとかそういう不幸もざらにあるんだろうし。これは知能や知識や経験やスキルといったものに依存するケース。
芸術なんかを例にすると、うまい下手はわかりやすいけど、わかる人にしかわからない作品もある(わかりやすく言うと構図やバランスや色味の良さもわからない人にはわからない)というか、逆にイマイチなもんに反応する人たちもいて、結局、感性がシンクロするかがポイントなケースである。この場合も感性が育つにはいかに多くの良い作品に触れたかという経験も影響する。
右翼だ左翼だみたいな政治的な話や、或いは宗教や倫理感などは、感性の問題もあるし、感化されてきたその人の歴史というか環境の影響が大きいだろう。
結局、物事の理解は、経験も含めてその人の持ってる素養が支配的なのである。だから、馬鹿に馬鹿、ダサい人にダサい言うても仕方ないとこもある。少なくとも早急に改善するのは期待薄である。
まあ言うてわたしも不得意領域はあるので。
楽器とかスポーツとか囲碁将棋とか、その道を極めた人にしかわからない領域の話もあるのだろう。
誰もが何かは得意だし誰もが何かは不得意なのだから。万能感て酔ってる(陶酔してる)だけで、自分の一部しか見えてないというか、その一部も全貌が見えてない状態と思うよ。
まあ、根拠なく、俺天才。という思い込みも時には必要だし。俺何やっても駄目。という挫折感も青春の過程では無駄ではないのだろう。

沈黙は金というけれど、言わない方がうまくいくってことは沢山あるのだと思う。商売なんてのはそれが顕著だろうし。ましてや、親しき中にも。である。特にどちらかが「ずけずけいうタイプ」だと、もう片方は(損な役回りかもしれないが)、そうだね。とバランスを取らないと全体的にまとまらないように思う。まあ、ずけずけした者同士で仲が良さそうな人達もいるが、案外、普通以上に、これは言わない。という一線を守っている気がしなくもない。

何でも言える言えないについて。もちろん親子であろうと親友であろうと、言ってはならないような礼節というかはあると思っているのだが、これを言ったら馬鹿と思われるかな?とか、逆に不味いことだと思っているのに言えないとか。そう言うのはホントに余計である。家庭でも職場でも同じで、良い集団には適切な精神的安心感があるべきである。精神的安心感にとって最も大切なポイントが、お互い敬意を大切にしているということかと思う。

自分に厳しくしすぎていると人に厳しくなりすぎる。
かと言って、自分に甘くしていると、そこから綻びが生じる。
人に甘くしすぎていると、人はどこまでも増長する。
かと言って、人に厳しくしすぎると恨まれる。
人は人、自分は自分とストイックにしていると振り出しに戻る。
とかくこの世はちょうど良いとこ難しい。

良い思い込みも、悪い思い込みもある。

一概には言えないが。他責している人の中には、相手がかなり悪いよなって場合もあれば、本人の方がどうみても悪い場合もある。どちらにしても感情の整理がついてないことには変わりがないだろうが。
責任をあんまり一括りにすると、こういうことになりやすい。世の中お互い様で成り立つことの方が多いので。お互い様の気持ちを裏切られるとわたしの場合アカンけど。

僕の場合、というか多くの人はそうなんだろうけど、歳をとってからは、会話をしている最中に、この人今気をつかっているね。というのにいちいち気づく。快適な人間関係というのは、その気づかいに過不足が少ないということなのかと思う。お互いに。

どんなに一見美しそうな言葉を並べていても、人にこうしなさいと押し付ける論調の人は信用しない。(業務上の明確で適切な指示(対価を貰っている)や、うちの奥さんは除く(家族なので))
清廉潔白に見える主張ほど、うさんくささや、発言者自身のメンタルの不安定さや実りの無さを嗅ぎとってしまうのだ。
両親の私の育て方の影響だろう。ほんとにポイントということ以外は、こうしなさい。ということがほんとに少なかった。(或いは、わたしが聞いていなかった?)
ほんとに大切なことほど、(作りものではない)自然で穏やかな顔をしているものである。
まあ、熱い心でこうしなさい。という人もいるだろうが、それはそれでわかるものである。

丸いものがなぜ丸いか。
そこに落ち着くことが一番理にかなっていたからである。

植物に水をやる時にやたら蚊に刺されるのだが、刺されすぎてすぐに痒みがひくようになった。うちの奥さんはもっとすごくて、ほとんど痒くならないらしい。

生きていると、自分が切り裂かれるような思いをすることもあるだろう。しかし、そんな時こそ、感情側に振り切れると、良くない方向へ行く。

生きていると、怖いことは沢山ある。
中には、ほんとに近づくとロクなことにならない怖いこともある。
けれど、何もかもを怖がっていたら、何も世界を体験することはできない。
完全に無理ってことはしない方が身のためだろうが、少し頑張ればできるかもしれないことをやってみる。それを繰り返すことによって、人は社会的に成長するのだろう。(根っこの本質は生まれつきな気がするが、生きていくことはうまくなる。)
まあ、うちの奥さんは、人間無理しないと駄目だ。という考え方で、私より数段厳しい。

結婚すると喜びは2倍に悲しみは半分に。という。
理想ではあるがなかなかそうもうまくいかない。
が、うちの奥さんはなんでも半分こが好きで、その精神がある。例えば料理のサーブにその思想が垣間見れるが、家事の雑事も半分(以上)やった上でわたしにも作業を残したりして、わかりました、すぐやります、はい。

うちの下の猫ちゃん、ケージに入れてた時はご飯あげる時に撫でさせてくれてたんだけど、家の中自由にさせてから、一定距離までしか近づかせてもらえない。根は甘えたなので奥さんにはよく甘えているが、わたしもよく言えば放任主義、悪く言えば世話しない(奥さんに頼まれたことはしてるが)なので、距離がなかなか縮まらない。それでも逃げ回るほどではなく、うちの中でリラックスはできてるみたいなので、最低限のとこは合格なのだが。野良上がりで小さい時に辛い目にあってたみたいだから、人間だったとしても、そう簡単に人は信用できないだろうしね。

帰省したのだが、無茶苦茶暑かった。そして劇眠(エミネム風に)。新幹線でお弁当食べてからほとんど眠ってた(目覚ましをかけて乗り換えには成功)。

帰省先で若い人達が浴衣を着ているから何かと思ったら、なるほど。

年々母親は歳を取ってるんだけど(当たり前だけど)明るさに救われる(これは当たり前のことではないと思う)。私も明るくならな、ほんとアカンと思う。

母親が先ほど、私は退屈したことがないと語ったが、確かに退屈する前に何かしはじめている。と笑ったことである。

田舎で久しぶりに民放番組を見ていて、最近の北朝鮮の映像を見たのだが、どう見ても狂っているな。全員。
痩せこけた国民が、ぶくぶくと肥えた豚一匹を崇めている。最後にはその肉を喰らうというオチでもなきゃ笑えない映像である。
ひくわ。

人間は忘れてしまう生き物なので。
それは時に救いともなり時に悲しみともなる。

親が歳をとっていくのを感じるのは、人によっては自分が歳をとるよりきつく感じるだろう。
嫌でも確実に老いはやってくるので。それを受け止めなければならない定めには、生きている限りは諦念とともに過ごさなければいけない時期がある。
普段色々と言っているが、親の死を乗り越えた人はみんなすごいな、よく頑張ったな。と思う。
若いうちに親を亡くした人も歳をとってから親を亡くした人もそれぞれに大変だったかと思う。
家族の死や、大切な人の死をどう受け止めるか。或いは、自分の死をどうしたいか、つまりはどう生きるかということは、くだらなくも見える人生において、突然急にマジメモードのゲームに巻き込まれたような、やるせないと言えばやるせない、必修科目なのだろう。

ほぼ日見て思い出したがお盆シーズンはなんとなく死というものを感ずるよね。終戦記念日もあるし。

日本も戦争を知らない世代が社会の中心になってきた。わたしは遅くに生まれた子だったので両親は戦争を経験しているがわたし自身はやっぱり体験として戦争を知っているわけではない。(ただ、自分自身が知り得た情報から戦争は忌むべきものという観念はずっとある。)
世界に目を向ければ必ずしも平和が続いていたわけではなく、最近はロシアとウクライナとか、イスラエルのゴタゴタを嫌でも目にすることになった。戦争はどんな戦争であっても正当化されるべきではない愚かさを内在しているが、特にこの数年間は報道により、若者たち(或いは私でさえ)その愚かさをリアルさをもって知覚したであろう。このことは、数年前にSNSで右傾化が感じられたこの国にとっては、(当事国には気の毒だが)勉強材料になったと思う。
人間万事塞翁が馬というが、ほんとに人間には、良いことも悪いことも、そのように思わぬ因果が作用する。

仕事で迷うことなんてほぼ無いが、人生のことは迷う。悩んでも仕方ないし、前に進まざるをえないのだが。迷う。いくつになっても、捨ておけないことほど迷う。まあ、迷うというのは、気持ちが甘えているということかもしれない。勇気が足りないということかもしれない。或いは、努力が足りないということかもしれない。1人で生きている分には勝手にしたらよいのだが、人と関わると、責任やら生じるのでいい加減にもできない。ふりしぼる力もないくらい気持ちが駄目でも、前向きに生きようと努力しないと相手も救われない。迷っても、道を踏み外さないためのコンパスは、誠実さだったりするのかもしれない。

この世界は不公平の上に築かれている。
資本主義は安い労働力の上に成り立っている。
豊かな生活は労働の搾取の上に成り立っている。
別に、共産主義でもないし、ロックなこと言ってみたわけでもない。
ただの現実である。この世界の。

世の中、気に食わない人はそりゃおる。誰でも好きな人と同じくらい嫌いな人がいると言われている(大半はどうでもよい人)。他人に感じた違和感て、まずその違和感が解消されることは(少なくとも5年は)ないし。気になりだしたら、えげつないほどやな人や、やなとこが目につくし、中には実にえげつないなという人もおる。
しかし、この世界は基本、神の嫌がらせかと思うようなイベントが起こるのがデフォルトの星なので。嫌いという感情を出しすぎると、自分に負の出来事が返ってくる。波が岩を侵食するように、怒りが自分を侵食する。怒りは、悪であるとも思わないが、火に似たところがあるので。四六時中抱え込んでいると、自らを焼いて灰にしてしまう。灰になってから気づかんようにの。

良し悪し非常に匙加減の難しい話であるが。
人に腹が立つことももちろんあるが(むしろ相当ある)。それって考えても、相手と距離を置くより仕方がなかったりする。それより、そんなことをいつまでも考えて気持ちを引きずられるだとか、自分(の状態)に腹が立つとか、がっかりするとか、アカンわとか、どうしようもなく落ち込むとかがある。
それは次の自分のステップアップにもつながることだから、完全に悪とは言えないが、トゥーマッチに抱えすぎると自家中毒を起こしたりして。
考えないのも次に生きないし、考え過ぎも蟻地獄だし。この世界をうまく乗り切るには、ほんと塩梅の自己コントロールが全て(他人と相談するを含めて)。

スレッズのタイムラインを見ていたら、すごく辛そうな人がいたので、同情しつつもミュートした。自分のことで手一杯。
書く人の自由ではあるが、完全に愚痴だけで終わっている人を見ていても救いがない。
結局、自分の人生は自分で引き受けなければならない。SNSで色々と書いてはいるが、リアではずっとそうしてきた。たまにグロッキーみたいになるし、もっと人を頼るのがうまければ楽になるのに。とも思う。いい歳こいて。

ブッダは、人間に苦をもたらすのは、外的要因ではなく、人間自身の心の内にある「執着」という煩悩であり、これをなくせば苦はなくなると言ったらしい。
一般的な、自分の「老・病・死」に対する苦は、私の場合案外うすいのだが、老・病・死にかぎらず、あらゆる苦は人間の執着に起因するというのがブッダの考え方らしい。言い換えると、苦は“欲望”と“現実”のズレから起こると。旅に出れない、欲しいものを思うほど買えない、老後に必要な金がないと言ったお金にまつわる苦は、わたしにもむっちゃある。
苦をなくすには、ズレをなくせばいいと。ズレのなくし方は二つ。一つは欲望を満足させるために現実を変えること、もう一つは欲望をなくして現実を受け入れること。
現実を変えようと努力しても、現実は何年経っても変わらないなんてこともあるだろう。てな場合は、欲望をなくして現実を受け入れろということになる。まあ、諦めろっちゅうことやな。ご無体な話だが、そもそも人生糞ゲーなので。

まあ、面白くない話だが、浄土宗の人によると、苦しみを軽減するには、苦を客観的に分析してみるのが良いらしい。自分の欲望はどんなものか、どのように現実とズレているのか。苦しむ自分を「メタ(より高次の視点)」から客観的に眺めてみることで、苦自体はなくならなくても、冷静に自分の苦を見つめ直すことができ、苦しみが軽減すると。
要は、苦しみの中におぼれるよりも、視点をずらして、うまくごまかせっちゅう話である。どないもならんことはどないもならんので。


誰かCDJを1台頂戴。ただで。
誰か2兆円頂戴。ただで。

あったらいいな。は、誰にでもある。
しかし、ないものは、ないのである。場合によっては、あるところにはあるが、手に入らない人には手に入らないのである。
すごく当たり前のことを言ってると思うだろう。
しかし、よく騙される人ってのは、
ないものをある。あるものをない。手に入らないものを手に入る。手に入るものを手に入らない。と思っていたりする。
何なら疑いもせずに。
何なら逆ばかり信じている人もいる。
馬鹿なの?
と思うかもしれないが、ほとんどの人間が何かにおいては、この馬鹿をやっているのである。
つまり。人間は基本的にすべからく馬鹿であることを知った上で、馬鹿で頭を打たないように気をつけていきていくことが大切なのである。

実際に苦しいものを、苦しいと感じなければ良いのか?わたしにはよくわからない。
これを渡しておこう。苦痛に耐えられぬ時のむがいい。
仏教てのは、これでしょう。

誠実な人間であるとしても、人間が頭に思い浮かべることの全てが他者にもしわかったとしたら、どんな人間であっても、それは他者には気持ちの悪いシロモノであろう。誠実な人間が誠実であろうと自分の中の綺麗なものを見せようとするのは普通のことで、まあ確かにそれが極端で偽善めいた人も中にはいるが、それを不誠実だと糾弾するのも行き過ぎに振れたりする。
多感な子供の頃に、大人たちや異性を気持ちが悪いと思うのは、ある意味で正しい感覚が働いているのである。全くそのあたりのアンテナがないのもリスクを察知できないということであろうし、過敏過ぎるのも生きにくいというか生きてく上で邪魔になることがあるだろう。
感性のチューニングは、人生を過ごしやすくする上で重要である。

ちょっと振り向いてみただけの未亡人。

(昔から言ってる)

色々と大変。色々と厳しい。ずっと首の皮一枚で生活している感じ。
人生は結構大変というか、友人や知人やそのまた知人の話なんかを聞いていると、若いうちは飄々と生きていたような人が、結構過酷な人生を送っている。
子供のいる家庭には再生とも言うべき物語があるのだろうが、うちはそうではないので、どうしたって終わりに向かう物語になる。この歳になると、終わるということが容赦ないほどのリアルさを帯びてくるので、結構ハードである。死ぬのが怖いとかいうことではなくて、むしろ、生きているうちに果たすべき責任の重さが年齢にこたえる。というか、生きているうちに やるべきことはむしろそれだけだったりするので。老体に重石を乗っけられてる感覚である。
もうほんと無理と何度も思いながら何とか生きながらえてる。

アンニュイな
午後に憂いが
ヨーロレイヒー

#伊藤園俳句大賞

もちろん昔に比べたら色々と達者にはなっているのだが、生まれてから今が1番自分に駄目だししてるかもしれない。

ポジティブもネガティブもやってると脳がそう思い込むということであって、ほんとに楽観すべき状況か悲観すべき状況かって客観性より、主観がどうかという話だと思う。
だから現実がアレ?って時に、ポジティブが良いのかネガティブが良いのかは一概に言えないと思う。
ハッピーかだけを考えたらポジティブがいいんだけど、暗い世相を明るくするほどのポジティブさがなければ、お花畑という話で。
人間関係において、ご機嫌だと得することが多い、不機嫌だと損することが多い、というだけだろう。
ポジティブに振る舞うのは、人の心を明るくするけど、無理しすぎて、躁から鬱に転移してたら本末転倒で。
大丈夫な無理(語彙的に変かもしれないけど、そこはフィーリングで)はした方が鍛えられて良いけど、ほんとに無理な無理はしない方が身のため。

この世界は、できる無理はしないと、自分が退化していく意地悪な設計で。
結局全部バランスの話。この世界に完全な正解ってない方が多い(自然法則は除く)。
前にもどこかで書いたけど、答えっていうのは、問題を限定しないと、そもそも無い。

仕方ないことは仕方ない。どうしたって努力なんかじゃどうしようもないことだってある。上手に諦めるというか、仕方ないことも含めた人生を受け入れ、時にはクソと思いながらも、結局のところは前向きに生活に向き合っていくタフさが、歳を取ると必要になると、少なくとも私の人生においては感じる。誰かと人生を共に生きる人は特に。

そうありたい。と思ったものに、人は近づいていくのだろう。って、ヤスオさん(63歳)が言ってた。

今日のほぼ日の最後に書かれていた「若いときは、じぶんの心身はじぶんのものだと思いこんでた。」というセンテンス。結局、身体のことを考えたりするのは自分のことより例えば家族を考えて頑張ったりするのよね。

この道を行けばどうなるものか。

道ゆく人に聞いてみた。
元気ですか!
人生はひつまぶし。

最後はお茶漬けにしていただきます。

自分の存在理由など誰もわからない。
昔の人が50にして天命を知ると言った。
わたしなりに解釈すると50歳になって生きる理由を自分で見つけたということかと。
焦るでない。
まあ焦るのが普通の若者だけど。

天気もはや異常では?
今度の台風頭おかしいのではないか。
台風一過って言って、昔は台風が過ぎたら気持ち良く晴れたのにねえ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?